Travel through Architecture by Taka Kawachi

細部にわたる独創的な美学が貫かれた 目黒区総合庁舎 河内タカ

目黒の駒沢通りからすぐそばにある「目黒区総合庁舎」は、もともと「千代田生命保険相互会社の本社ビル」として1966年に竣工したが、同社の経営破綻を経て、2003年に目黒区が庁舎として改修し新たな歴史を歩み始め現在に至る。企業のためのオフィスビルから公共施設へとその役割を変えた「コンバージョン(用途変換)」の成功例だが、建築史的に価値の高い建造物であり、完成から半世紀以上が経過した現在においても、その独特の意匠と優美な風格を誇り、建築好きたちを魅了し続けている名建築だ。

この設計を手がけたのが村野藤吾だ。日本の近代建築を代表する建築家である村野は、93歳で亡くなる直前まで現役だった建築一筋の情熱的な人物だった。そんな村野の建築の最大の特徴は様式の多様性とヒューマニズムにあり、合理性なモダニズム建築から、装飾的で優雅な表現、日本の伝統的な数寄屋造りとその作風は驚くほど多彩だ。その背景には建築が建つ場所の歴史や風土や、そこで過ごす人々を深く考察し、それぞれのプロジェクトに最もふさわしい表現を村野が追求していたからにほかならない。

特定の様式に固執せず、ゴシック様式、数寄屋造り、モダニズム建築など、あらゆる建築様式をその都度自在に取り入れ、独自の解釈で昇華させたことで知られる村野だが、一見すると統一感がないようにも見えるものの、その根底には一貫した美学と人間への眼差しが感じられ、「村野調」とも呼ばれる独自の表現を模索し続けたことでも知られている。またその人柄も温厚で思慮深く、経済学や文学や美術など、建築以外の分野にも深い関心を寄せる知的好奇心旺盛な人物だったそうだが、その幅広い教養や知識が自身の建築に人間味あふれる深みを与えたのだろう。また現場に足しげく通いつめたことでも知られ、職人たちと対話を重ねながら細部にまでこだわり抜く真摯な姿勢は多くの人たちから敬愛されていたという。

駒沢通りからの緩やかなアプローチの先に広がる目黒区総合庁舎の外観だが、光と影のコントラストが織りなす端正な造形美は、建物に重厚感と独特の表情を与えている。また全体を覆う彫りの深いアルミ鋳物のルーバーは、強い日差しを和らげ、また柔らかな光を室内に取り込む役割を果たしている。

建物に近づいて行くと、翼を広げたような玄関のシャープなデザインの庇、ガラスモザイクで装飾されたエントランスホールの天井、そして特注の家具や照明器具に至るまで、豊かな造形感覚に満ち独創的な美学が貫かれていている。また中庭には「心」という字をかたどった石組みが置かれた池があり、近代的な建物でありながらも本格的な茶室と和室が設けられなど、自然との調和を意識した設計となっている。このように日本的な美意識が取り入れられているのは、単なる形態の美しさだけでなく、人間的な温かみや豊かな空間体験を村野が重視していたからだろう。

ここを訪れて見逃してはならないのが、“階段の魔術師”とも称された村野の真骨頂である南口のエントランスホールにある螺旋階段だ。まるで宙に浮いているかのような軽やかなデザインであり、訪れる人々を別の世界へと誘う流れるような曲線を描き、訪れる人々を魅了する庁舎のシンボル的存在だ。この建物は昭和の高度経済成長期の勢いを背景に、コストを惜しまず最高の建材と技術を用いて建てられたことが功を奏し、機能性にも優れ建築全体として調和がとれているため、映画やテレビドラマのロケ地として利用されることも少なくないと聞く。単なるオフィスビルの枠を超えた、芸術性と機能性を融合させた稀に見るデザイン設計は、建築を見るためだけに訪れる価値があり孤高の名建築家の魂が感じられる建築なのだ。

Meguro City Office Building Complex
1966年に千代田生命保険相互会社の本社ビルとして竣工。その後2003年より目黒区総合庁舎として使用されることとなった。建物全面を覆うアルミ鋳物のルーバーは、竣工時は周囲が住宅街であったため光を跳ね返さずに吸い込むことを意識したといわれている。建物全体を通してゆるやかな曲線美がデザインされているが、角を好まなかった村野が柱や桟に至るまで面取りを指示したというこだわりによるもの。
東京都目黒区上目黒2-19-15

河内タカ
長年にわたりニューヨークを拠点にして、ウォーホルやバスキアを含む展覧会のキュレーション、アートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し主にアートや写真や建築関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口』(太田出版)や『芸術家たち』(アカツキプレス)があり、来春に本連載をまとめた新刊が出版が予定されている。

Text  Taka KawachiPhoto  Tomoaki ShimoyamaEdit  Yutaro Okamoto

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