Style through LENS
松浦弥太郎が惹かれ続ける カメラとメガネの魅力

ブラックペイントが所々剥げて、中の真鍮が美しいM2。ブラックペイントで揃えた初代ノクチルックスは、シャープネスやグレーゾーンの描写が特に気に入っていると松浦はいう。

1950s-1960s Round FRAME FRANCE
1930s-1940s Parisian FRAME FRANCE
1930〜40年代製FRAME FRANCE “パリジャン”は、フランス・オヨナ周辺の小規模工房における手作業生産期を象徴する個体。芯なしセルロイド、3ドット鋲、6mm厚キーホールフロントという黄金期の要素をすべて備え、現存数の少ない希少なモデル。1950〜60年代製“オールド アーティスト スタイル”は、ホックニー、フィリップ・ジョンソンら文化人の着用で知られる。極太ストレートテンプルとダイヤヒンジは当時の象徴的ディテールで、アイウエア史を語る上で欠かせないリファレンスとなる2本である。
松浦弥太郎
Silverの連載でも毎号、生活を豊かにしてくれるものを紹介してくれている松浦弥太郎。その連載内でも過去にライカを紹介してくれたように、松浦にとってカメラは生活においてかけがえのない存在だ。それはメガネも同じであり、松浦の顔の一部でもあり、執筆業を支える道具でもある。いくつか所有している中で、今回は特に外出するときに使用することの多いというフレンチフレームのメガネを2本、そしてライカM2と初代ノクティルックスを紹介してくれた。
「ボディよりも大事なのはやっぱりレンズなんです」。そう言って松浦が手に取るのは、ライカ ノクティルックス50mmF1.2の初代。1960年代半ばに登場した、いわゆる“癖玉”だ。
「初代ノクティは、当時はすべて手磨きで、手で組んでいる。だから個体差がすごく大きいんです。同じモデルでも一本一本、描写が全然違う。そこが一期一会の魅力なんですよね」。
30年前、ヴィンテージライカの価格が今ほど高騰していなかった頃から松浦は60年代の手磨きレンズを追い続けてきた。同じモデルを“買っては撮り、合わなければ売ってまた次を買う”を繰り返し、自分の感覚にぴったりくる一本を探す。そして選び残されてきたのが、今M2に装着されている通称ノクティだ。浅草の早田カメラ店で出会ったもので、そこには使いたくなるもう一つのストーリーがある。
「渋谷の雑踏を何十年もノクティ1本で撮り続けてきた不動産屋さんの社長がいたらしいんです。当時、早田カメラ店で新品150万円で買って、ずっとストリートスナップを撮ってきた。その人が80歳を超えて、もう撮れなくなったからって、購入した早田カメラ店に戻したんです。それを僕が引き継いだのがこのノクティなんです」。
ワンオーナーで大切に使われてきたおかげで、初代ノクティには珍しく、後ろ玉の白濁も少なくコンディションは極上。「いくら?」と聞いて返ってきた答えに驚いたが、逃したくないと思い、その場でカメラ貯金を切り崩して現金で支払ったという。
「レンズとしてその金額を聞くと、誰もが一歩引くような値段ですが、ものの値段ってストーリー込みじゃないですか。前のオーナーが大切に使ってきた時間とか、僕と早田さんとの信頼関係も含めて、“高いけど、高くない”ってところに落ち着いた感じです」。

Photo Yataro Matsuura
早田カメラとの信頼関係と
“使うための道具”としてのライカ
松浦とライカの関係は、20歳でニューヨークに渡った頃にさかのぼる。最初の1本はCLだった。
「20歳でニューヨークに行って、そこで出会った先輩の影響もあって最初に買ったのが、コンパクトライカを略したボディのCL。それでかなり街を撮りました。一番最初に手に入れたライカだから、ずっと手放さなかったんですけど、つい最近、ついに壊れたんですよね。現像したら何にも写っていない(笑)。もう一度、フィルムを替えてもやっぱり写っていない」。
早田カメラに持ち込むと、名物店主である早田さんに「これはもうシャッター幕が死んだ」と言われたものの、最後に「でも俺が治す」と一言。そのままCLはいまも“入院中”だ。
「早田さんは、かつてライツ社に認定を受けた数少ない修理職人なんですよ。早田さんのお店で購入・修理をしたカメラは永久保証。だから僕は早田さんにしか診てもらわないんです」。
松浦のM2も、海外のディーラーから買ったボディを早田カメラに持ち込み、完全オーバーホールを施した“早田仕様”。
「シャッター幕もすべて早田カメラ特有の仕様に変えてあって、“壊れにくい状態”になっているんです。吊り金具も真鍮の摩耗によっていつか切れてしまうからって、勝手に鉄のリングを入れられていたり(笑)。見た目はオリジナルの状態が良いけれど、絶対に落ちない安心感がある。M2のペイントが剥げて中の真鍮が露出しているところも好きなんですが、塗り直されていたこともあります。まあ、彼の哲学は“カメラは飾るものではなく使うもの”なんですよね」。
以前のインタビューでも、自身のことを「コレクターではないが、ライカ病ではある」と語っていた松浦。
「僕らみたいなライカ病にかかった人間からすると、ノクティって“上がり”なんですよ。レンズとしての到達点。夜用レンズだから、元々は“ロウソク一本の明かりで撮れる”なんて触れ込みだったらしいんです。開放で撮ると、被写体深度が浅くて、なかなかうまくピントが合わないことも多い。でも人間の目って、そもそもそんなにカリカリにピントが合っていないじゃないですか。今のデジタルの超高性能レンズのようには見えていない。ピントが甘くても線が滲んでいても、それが自然で気持ちいい。人間の目に一番近い感じがあるのが、ライカの60年代レンズなんですよね」。
フィルムで撮り続ける理由もそこに通じる。
「36枚撮って、自分がいいなと思えるのなんて2〜3枚。それでいいんです。全部うまくいく世界じゃない。一枚一枚大事に撮って、そのうち何枚かだけがちゃんと残る。スマホで簡単に写真が撮れる時代ですが、撮りたいものをじっくり観察してシャッターを押す時間、現像が上がってくるのを待つ時間。そういったプロセスを含めて、今の時代だからこそアナログカメラで写真を撮る価値があると思っています」。
「見るための道具」としてのメガネ
ガラスレンズへのこだわり
そんな「見るための道具」としてのカメラの話は、そのままメガネへとつながる。
「カメラとメガネって、どっちもガラスレンズですよね。今はなんでもプラスチックですが、僕はできるだけガラスにこだわりたいタイプなんです」。
松浦が愛用するのは、ヴィンテージのフランス製フレーム“FRAME FRANCE”。工房名ではなく、“当時フランスで作られた”という証の刻印だ。ともに本誌でも紹介しているヴィンテージアイウエア専門店“GIG LAMPS”で出会ったという。ブラウンの方は1930〜40年代のもので、通称“パリジャン”と呼ばれる。
「当時の職人が手で作ったフレームで、いわば今のアイウエアデザインの原種みたいな存在。セルの厚み、芯なし、キーホールブリッジ、3つのカシメなど、今市場にあふれているデザインの元ネタは、だいたいこの時代のフランスか、そこから渡ったアメリカに行き着くと思います」。
丸メガネの方も1950〜60年代のFRAME FRANCE。建築家フィリップ・ジョンソンや若かりし頃のデヴィッド・ホックニーが愛用したモデルとして知られ、極太のストレートテンプルが特徴的だ。
「若い頃は、こういうメガネに憧れはあっても、かけてみると自分が負けちゃう。鏡を見て“何者なんだ?”という感じになる(笑)。でも、歳を重ねて、ようやく似合うようになってきた気がします」。
このほかにも合わせて6本ほどをシーン別に使い分けるという松浦。ガンガン使う用と大切に使う用、そして全てに共通しているのが「ガラスレンズであること」だ。
「ガラスレンズを入れてくれる“レンズ屋”というお店があって。視力の測定からフレームのフィッティングまで、すごく丁寧なんです。レンズ代はプラスチックに比べると高いけれど、やっぱり見え方は全然違う。毎日かけるものだから、そこは妥協したくないですね」。
カメラもメガネも、こだわれば手間もお金もかかる。ヴィンテージは高く、フィルムは面倒で、ガラスレンズは重い。それでもあえてそれを選び続ける理由を尋ねると、松浦はこう答えた。
「最新のカメラやスマホで撮れば、なんでも綺麗に写るし、プラスチックのレンズでも十分見える。でもノクティで撮った甘いピントとか、古いフレームやガラス越しに見える景色って、どこか“人間の目そのもの”という感じがするんですよね。完璧じゃないから気持ちいい。ちょっと不便で、ちょっと面倒くさいけれど、その面倒くささごと含めて、自分の体験として残ってくれる。だから、今の時代でもフィルムのライカを使うし、ガラスレンズのメガネをかけるんだと思います」。

松浦弥太郎
1965年、東京都生まれ。エッセイスト、クリエイティブディレクター。現在はPapasのクリエイティブオフィサー。2006年から 2015年まで「暮しの手帖」編集長を務める。多くの企業のアドバイザーも行う。
| Photo Masato Kawamura | Interview & Text Takayasu Yamada |











