Travel through Architecture by Taka Kawachi
3人の建築家が設計したモダニズム建築 河内タカ
六本木・鳥居坂の閑静な住宅地に佇む「国際文化会館」は、米国のロックフェラー財団などからの多額の寄付などを元にして建てられた文化交流施設で、開館したのが1955年6月なのですでに70年近い歴史を持つことになる。今回この建物を取り上げた大きな理由は、設計を手掛けたのが前川國男、坂倉準三、吉村順三という戦後の日本建築界を牽引した3人が共同で設計した建築だからだ。ル・コルビュジエの弟子だった前川と坂倉の協働はまあ理解できるが、そこにアントニン・レーモンドの弟子でアメリカ帰りの吉村が参画したことでその価値がより高まったといえるだろう。
3人の中では最年長者だった坂倉は、「パリ万博日本館」 (1937年) や「神奈川県立近代美術館」(1951年) を設計し、前川も「神奈川県立図書館・音楽堂」 (1954年) の設計を手掛けたばかりだった。一方、一番若かった吉村はまだ大きな建築を手がけておらず、尊敬する先輩たちから学ぶことが多かったはずだ。彼らが共同で設計することになった経緯は明らかにはなっていないのだが、3人の設計プランを一本化することは困難だったようだ。そこで前川が自身の案を棚上げし調整役となったことで、坂倉と吉村のプランを軸にしてミーティングを繰り返し設計を練り直し、どうにか着工に漕ぎつけたという経緯があった。
当時の日本における最先端技術が投入されたこの建物は、プレキャストコンクリートの柱と梁、大谷石や木枠のハイサッシが使われたモダニズム建築でありながらも、実は日本的な雰囲気を併せもつ建物でもある。そう感じさせるのは、もともとの敷地にあった美しい日本庭園を生かした建築であるからだ。3,000坪もの広大な土地には、もともと三菱財閥創業者である岩崎彌太郎の甥、岩崎小彌太の邸宅が建てられていたが、戦後に国有地となっていた。ここの作庭をしたのが7代目小川治兵衛*であり、桃山時代あるいは江戸初期の名残りを留めている近代庭園の傑作として知られていたのだ。
この建物はその庭園を望むように傾斜地に建てられているため、メインエントランスは建物の二階部分になっていて、ロビーからガラス越しに正面を見渡すと屋上庭園の芝生が奥の庭園へと繋がっていくという粋な工夫がされている。さらに注目したいのは館内に置かれている家具で、坂倉がジャン・プルーヴェの椅子に触発されて作った木製の椅子をルーツにもつ長大作がデザインした「パーシモンチェア」や、前川事務所の家具デザイナーだった水之江忠臣による天童木工のスツールが置かれていたりと、それぞれのスタイルを披露するようなインテリアとなっている。
前川の設計による赤い煉瓦タイルの西館が1976年に増築竣工され、庭園の緑に囲まれた場所に図書館や貸会議室が配置されたりしたものの、名勝庭園とル・コルビュジエの遺志を継ぐこの歴史的建築は、施設の老朽化と財政難を理由に2002年に存続の危機に直面するのである。しかし会員たちによる熱心な声や国内の建築関係者の保存運動の甲斐もあり存続が決定。その後の耐震構造を加えた大規模改修を実施された際にも、建物の外観や庭のたたずまいを完成当時からさほど変えることなく現在に至る。
完成して半世紀以上の歳月が流れた「国際文化会館」であるが、この建物を背景にして撮られた写真に二人の著名な建築家が写されていて個人的に感慨深く思ったことがある。それが国立西洋美術館の設計が決まり来日したル・コルビュジエと、会館が招聘したバウハウス初代校長を務め当時ハーバード大の建築学部長だったヴァルター・グロピウスなのだが、コンクリート造りでありながら和を感じさせ、もともとあった日本庭園を見事に調和させた和製モダニズム建築を前にして、二人の巨匠たちも日本の建築が進むべき未来像を思い描いたのではないかと想像を膨らませる。
International House of Japan
国際文化会館
国際文化会館は1952年に設立され多様な世界との知的対話、政策研究、文化交流を促進し、自由で、開かれた、持続可能な未来をつくることに貢献することを目的とする公益財団法人。1955年に完成した建築は、前川國男、坂倉準三、吉村順三ら日本モダニズム建築の三大巨頭が共同で設計し、日本と海外の知識人、文化人との知的対話・文化交流施設として機能している。
東京都港区六本木5-11-16
TEL:03-3470-4611
https://ihj.global/
河内タカ
長年にわたりニューヨークを拠点にして、ウォーホルやバスキアを含む展覧会のキュレーション、アートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し主にアートや写真や建築関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口 アメリカ編&ヨーロッパ編』、『芸術家たち 1&2』などがある。
Text Taka Kawachi | Photo International House of Japan | Edit Yutaro Okamoto |