Style File 04 PHAETON Yoshihito Sakaya
時空を超えた“新しい”が好きな スーパー彗星ミーハー
Yoshihito Sakaya
田んぼと海に囲まれた石川県加賀市にぽつんと佇みながら、わざわざ時間をかけてでも行きたくなる磁力を放つセレクトショップ、フェートン。扱う商品はコアな洋服はもちろん、ジュエリーやヴィンテージアイウェア、香水、そして紅茶まで幅広く深く取り揃えられている。そんなフェートンの代表を務める男が坂矢悠詞人だ。「大勉強」の名の下に膨大な知識と物量を併せ持つ坂矢のスタイルの源を見せてもらった。
好きなものは何個でも欲しい
生粋のオタクで偏食家
「僕は生粋のオタクで、沼にハマったら同じものを何個でも買う偏食なんです。例えばスニーカーは中学時代から集めはじめ、とんでもない種類と量を持っています。プロケッズの70-90年代のラストコロンビアと呼ばれるモデルは200足ぐらい持っていて、これはもう麻薬的存在です。今でこそプレ値が付いていますが、当時は30ドルぐらいのスポーツシューズで、左右のサイズが1cmずれていたり、白地に赤い染色が色移りさえしているような不良品とも言える出来栄えです。だからこそ本来あるべき姿というか、原風景のようにこうやって段ボールに詰め込まれている光景には震えませんか?(笑)。90年代にアメリカのサンディエゴなどへ買い付けにいった記憶が蘇りますし、見ていると元気になるんです。しかもサイズは王道の27センチや28.5センチのみ。ちなみにこの黒のスウェード地に赤のスリーラインのアディダスの一足(P86写真右端)は、コレクター以上のスニーカーマニアにとっても四天王に入るレア中のレアな一足です。スーパースターのラストを使い、スーパースターと名乗るべきシェルトゥのディテールもあるのに、“キャンパス ハイ”と名付けられているんです。配色はスポーツ用のシューズなのに黒地で赤のラインという組み合わせであることや、ベストサイズの11であることも涙ものです。眼鏡も大量に持っています。以前までは20-40年代のヴィンテージにハマっていましたが、最近面白いのは50年代のものです。手作業から機械生産に移行し始めた時代で、現代の眼鏡の形のオリジナルとなったものが多いんです。そんな50年代のアメリカンオプティカル社とタートオプティカル社が作った業者用のカタログを持っているのですが、そこに掲載されている数百本の眼鏡を全て集めようとしています。そしていつか展覧会を開こうと思っているんです」。坂矢のコレクションは圧倒的な物量は当然ながら、一点一点をこだわった上で集めている精度の高さにも驚かされる。「好きなものはいくつでも持っていたいし、例えばスニーカーだと新たに古いチャックテイラーやスーパースターが見つかれば絶対に買う」と坂矢は断言する。
好きなものは使いたいですよね?
「血液が流れ続けるように収集し続けている」と坂矢自身も話すこのコレクター気質はどうやって育まれたのだろうか。「ビックリマンシールにハマった幼稚園の頃から僕は何も変わっていないんです。のめり込んで熱中しているだけなんです。皆さんは熱中しないですか?でも使わないと思ったらどんどん手放していきますよ。とにかく数を多く試して、自分が心地良いと感じるものだけが残っていくんです。車はベンツやキャデラック、ベントレー、ロールスロイスからマッスルカーまで、新旧問わず様々な車種を乗ってきました。ベンツ500SLのR107は好きすぎて4台乗り継ぎましたし、年式違いや色違いで複数台を同時期に所有していることもありました。今は車を数台残してありますが、そのうち4台はポルシェ911です。チョロQのようなおもちゃ感がたまらなくて。車の性能の辿り着くべきところは、安全性はもちろん、速くないといけないんです。ランナーが足の速さを競うのと同じですよ。僕にとっては下駄のようなものですから。最近は当時の特注色のアークティックシルバーの97年製のタイプ993 ターボがたまらないですね。でもどれか一台だけで僕の好きを表現するのは不可能なんです。
車は居住空間に近くて、インテリアのように窓やメーターの景色が重要なんです。だから車を乗らずに眺めて楽しむタイプではないですし、全て実際に使い込むんです。だって好きなものは使いたいですよね?ロールスロイスのSUVが出たら、当然買って体感するわけです。
カメラはライカを使っていますが、どれだけ貴重であっても実際に使っているものばかりです。とにかく数を試して一番いいなと思ったものだけが手元には残っています。ライカは1930年代から今も構造やボディを変えずに新たなモデルが造られているんです。痺れませんか?だから今でも未来的なものですし、妥協と出し惜しみが一切ない底なしですよ。具体的には1931年製のヘクトールを手に入れてからハマったんです。このレンズを通せば1931年の描写ができると思ったんですね。でも個体によってはメンテナンスで磨かれたことで描写が変わってしまったものもあるので、数本買って試してオリジナルの描写力を備えた個体だけを今は3本残してあります。それからは50年代や60年代の明るく映るレンズも掘りましたね。ノクティルックスももちろん揃えてあります。でも古い個体だけでなく、最新機種も試しているんです。古いものと新しいものを高速で行き来することが僕は好きなんです」。
時空を超えた
永久に新しいもの
古いも新しいも全て膨大な量を体験し、一番自分にとって心地のよいものを探す旅を坂矢はしているのだ。それが坂矢のキーワードであり、自身が手がける雑誌のタイトルでもある「大勉強」ということなのだろう。「僕は新しいものが好きな超ド級のスーパー彗星ミーハーなんです。僕にとっての“新しいもの”とは、自分の中で噛み砕いて説明することがまだできない状態のことを意味しています。説明ができるということは、理解できているから新しくないわけですよ。理解して知ってしまうと僕の中で燃え尽きてしまうんです。だから僕は単なるミーハーではなくて、スーパー彗星ミーハーなんです。解明されていないものを身につけることに“粋”を感じるわけです。例えばデニムだと、僕が10代の頃は66やビッグEって何?という時代の解明度だったわけです。情報源は雑誌でしたから、穴が開くほど読みましたし、雑誌によって書いてある情報が違ったりもした。だから自分で実際に買って確かめるようになったんです。知るために買って使い始め、気づいたらどんどん沼にハマっていくんです。でもデニムの66やビッグEは今では解明された情報なわけですよね。解明度というのは時代によって変わってきますから、その時々で僕がどハマりする年代も変化していくんです。今は1950年代以降や1990年代の少し古いものの方が解明度が浅くて掘りがいがありますね。でも古いものを否定しているわけではない。浮世離れした意味不明なことを言っているわけでもないと思っています。あくまでも今の僕の直感に従っていて、それが時代よりちょっと早いというだけのことなんです。
こうやって自分が集め続けてきたものを一堂に集めて見てみると、どれも色褪せていないものばかりですよね。80年代に生まれたビックリマンのスーパーゼウスなんて、いまだにモダンですよ。古い新しいなんて関係なくて、時空を超えたものにこそ惹かれているんです。ビックリマンは“ビックリマン”という全く新しいカテゴリーを生み出したことに意味があるんです。アディダスのスーパースターもポルシェも同じで、何かのカテゴリーになぞったものではないオリジナルだから永久に新しいんです」。ただのミーハーではなく、スーパー彗星ミーハー。初めて耳にする言葉だが、“新しい”に対する坂矢の考え方や解明度の話を聞くと、不思議とその意味が納得できる。だからこそ、坂矢の全てが詰まっているとも言えるフェートンが人を魅了してやまないのだろう。次はどのような時空を超えた永久に新しいものを坂矢が掘り起こしてくれるのか、楽しみで仕方がない。
Photo Keiichi Sakakura | Edit Yutaro Okamoto |