Expressions of Style through the Lens

写真集から読み解く カメラとスタイル

「カメラ=万年筆」という考え方がある。仏映画監督であり映画評論家でもあるアレクサンドル・アストリュックが1948年に提唱したもので、後のヌーヴェルヴァーグの映画作家たちに大きな影響を与えた映画理論だ。アストリュックはこう記している。「映画は目に見えるもの、映像のための映像、物語の直接的で具体的な要求から次第に解放され、ちょうど書き言葉と同じくらい柔軟で繊細な書くための手段となるだろう」。
この発言には技術的背景があり、1923年にイーストマン・コダックがそれまで映像制作の主流だった35ミリ・フィルムカメラよりもはるかに小型な16ミリ・フィルムカメラを発売したことだ。つまり、小型カメラを万年筆のように使うことで、映像は「書くための手段」になると謳うものだ。さらにいうと、小説家のように映像を「書く」ことを促したものでもある。

では、映像ではなく写真に関して、古今東西の写真家たちはどのように「カメラ=万年筆」を使って、自分が表現したい世界観を「書くための手段」にしているのだろうか。
現在、デジタル・カメラがプロアマ問わず主流になっているが、それでも作家性の高い写真家たちは意識的な「カメラ=万年筆」の選択を行って、自らのイメージに署名性を持たせている。書道の世界では「弘法筆を選ばず」という言葉があるが、写真の世界では「弘法筆を選ぶ」のだ。
写真の二大要素は「サブジェクト」と「ルック」だと言われる。何を題材/被写体にしているかという「サブジェクト」と、どういう見た目の仕上がりにしているかという「ルック」だ。著名写真家はこの両方またはどちらかに署名性がある。例えば杉本博司は水平線という署名的なサブジェクトと8×10カメラによるモノクロ写真という署名的なルックがある。ヨーガン・テラーは意図的にコンパクトカメラを用いたスナップの手法でセレブやファッションを撮影し、ホンマタカシは主に東京的なサブジェクトを4×5カメラで撮影した署名的ルックがあり、ジェイミー・ホークスワースは極力自然光を取り入れて三脚に据えた中判カメラでしか撮影しない。
カメラは万年筆であり筆であるなら、写真をその筆跡の結果として楽しめるはず。「神は細部に宿る」という言葉をもじるなら、写真の神は筆跡の細部に宿るのだ。

カメラと一口に言っても、メーカーやボディ、レンズ、手持ちなのか三脚で固定するのかなど、さまざまな要素の掛け算によって表現がガラッと変わる。だからこそ自分だけの組み合わせを見つけることもカメラの醍醐味の一つだ。この企画では、オリジナリティ溢れる写真表現を確立した写真家とその作品集を取り上げ、それぞれどのようなスタイルのもとでカメラ選びをしているのかを読み解いていく。その考察を快く引き受けてくれたのは、国内外の気鋭写真家たちと撮影や写真集作りでセッションを行ってきた編集者の菅付雅信。カメラのレンズを通して自分だけの世界を写し撮るには、「サブジェクト」と「ルック」を持つことが重要だという。

サブジェクトとルックの模範例
杉本博司『HIROSHI SUGIMOTO』(ADP 2005)
写真家の署名的なサブジェクトと署名的なルックの傑出した結実を示す代表例が杉本博司であることに異論はないだろう。杉本が世界各地の水平線を捉えた『海景』シリーズが示す「瞬間ではなく永遠」を撮るというコンセプトの高さとディアドルフ8×10カメラによる芳醇なグラデーションが、彼曰く「それまで二流の芸術と見なされていた写真」を次のレベルに引き上げた。

大型カメラの使いこなし
ホンマタカシ『Portrait of J』(Dashwood Books 2025)
NYのダッシュウッド・ブックスから出版されたホンマタカシの新刊は、妹島和世から日本の様々な写真家を含むポートレート集。有名人もストリートの若者もホンマの4×5カメラによるドラマ性のない非決定的写真の中でまったく等価に扱われる。大型カメラらしからぬスナップ感覚と、大型カメラでしか出せない「題材よりも写真そのものを見る」思考の融合。

中判ならではの対応力とディテール力
Bruce Weber『My Education』(Taschen 2025)
ブルース・ウェーバーの初の回顧的写真集は564ページで3.4キロものヴォリュームを誇る写真集の金字塔。ファッション、セレブからドキュメンタリーまで、彼の被写体への尊厳と類稀なる演出力を示す。ウェーバーのトレードマークである中判カメラ、ペンタックス6×7を中心とした写真は、手持ち撮影の臨機応変さと中判ならではのディテール力が相まって、写真のダイナミズムを存分に味わえる。

8×10をスナップさながらに操る
篠山紀信『TOKYO ADDICT』(小学館 2002)
2024年に亡くなった篠山紀信は、題材や発表媒体に応じて、ありとあらゆるカメラを駆使した写真の巨人だ。なかでもディアドルフの8×10カメラをまるでスナップでも撮るかのようなスピード感で操ることでも知られる。これは私が編集したもので手前味噌で恐縮だが、東京の新しい出来事と場所をすべて8×10カメラで撮影したもので、東京の高解像度な複写を意図した。

ポラロイド・カメラのプライベート性
Helmut Newton『Polaroids』(Taschen 2011)
ヘルムート・ニュートンはそのスキャンダラスな作風で賛否が分かれる写真家だが、ファッション写真に良質なエロティシズムを導入したという点でもっと評価されるべきだろう。ニュートンのシグネチャーな道具がポラロイド・カメラ。この秘め事に向いたカメラを彼は積極的に用いて、ファッション写真にプライべートな感覚を持ち込むことに成功した。

ライカのドキュメンタリー最高峰
Robert Frank『The Americans』(Steidl 2008)
アメリカの見え方を変えた、スイス人ロバート・フランクによるアメリカのドキュメンタリーの名著は主にライカのIIIaで撮影されている。荒々しさとシャープさを伴った質感は、まさに単なるドキュメンタリーを超えて写真そのものを味わう快楽を与えてくれる。この本は1958年の初版以来、さまざまな版があるが、ドイツのシュタイデル社の版はフランク本人の監修の元で再編集されたいわゆるディレクターズ・カット版

デジタルにはないノイズや傷
Mark Borthwick『‘Out of Date’: Pola Pan 1984-1996』(Rizzoli 2025)
ポラロイド写真が撮れるネガフィルム、それがポラパン。マーク・ボスウィックの新作であり大著である本書は今や絶版となった35ミリのポラパン・フィルムだけで撮影された一冊。ファッション、セレブからプライベートな記録まで、グレーににじんだポラパンから立ち上がるイメージの、デジタルにはないノイズや傷が、写真が愛おしいモノであることを感じさせる。

新時代の静物画
System of Culture『Pieces of Narratives』(United Vagabonds 2025)
また私の編集物という手前味噌で恐縮だが、今の日本の写真シーンの飛び抜けて新しい才能を象徴するものと確信するのであえて。小松利光のひとり写真ユニット〈System of Culture〉のメジャー・デビュー作品集は、すべてが映画のワンシーンであるかのように作られたコンセプチュアルな静物画としての写真。キャノンEOS 5Ds+カール・ツァイス・レンズによるクールな質感がさまざまな物語を想起させる。

カメラへのリスペクトに溢れる一冊
Annie Leibovitz『AT WORK』(Phaidon Press 2018)
セレブからファッション、ドキュメンタリーまでアメリカのありとあらゆる題材を取りまくる「アメリカの篠山紀信」アニー・リーボヴィッツの自伝的一冊は、彼女の回顧録テキストと代表的イメージが収められた「リーボヴィッツの作り方」。表紙写真の重い中判カメラ、マミヤRZ67を軽々と手で持っている姿も印象的。「私は写真のファンであり、いまだに研究生だ」という学究的姿勢に打たれる。

菅付雅信
編集者 / グーテンベルクオーケストラ代表取締役。アートブック出版社ユナイテッドヴァガボンズ代表も務める。最新刊にSystem of Cultureの『Pieces of Narratives』がある。東北芸術工科大学教授でもある。

Select & Text  Masanobu SugatsukePhoto  Toru OshimaEdit  Yutaro Okamoto

Related Articles