A Conversation with AHLEM: Her Distilled Design Ethos
AHLEMのファウンダーに聞く 研ぎ澄まされたデザインの本質

近所のお気に入りのコーヒー屋さんへ行くときでも、洗練されたギャラリーへ出かけるときでも、どんなシーンにも自然に溶け込みながら、確かな存在感を放つ眼鏡がある。そんな理想の眼鏡を現実の形にしたのが、アーレムだ。ファウンダーのアーレム・マナイ=プラットのデザインを静かに支えているのは、フランスの職人たちによる丁寧な手仕事。彼女と職人らの間には、単なる仕事を超えたひとつのコミュニティとも呼べる関係性があり、互いへの堅い信頼が、アーレムが描く理想を現実へと導いている。今ではレブロン・ジェームスなどの世界的アスリートとも協働する彼女。そこに至るまでの背景や彼女なりの哲学、そして今後の展開について聞いた。
アーレムのデザイン思考は、70年代パリの自由で多様な美意識に強く影響を受けている。当時は性別やジャンルを越えてスタイルが豊かに揺れ動き、過去から未来へ移ろう“中間の時代”ならではの空気があったという。「ただ懐古的に“昔の方がよかった”と言いたいわけではありません。70年代という時代そのものが、とても興味深いんですよ。男性も女性もスタイルに自由と深みがあって、女性はある日はアンドロジナスに、次の日にはとてもフェミニンにもなれる。男性も音楽から自然にインスピレーションを受けて生きていた。当時は、男性がキャットアイ風のサングラスをかけるのも普通でしたし、女性もクラシックなスタイルを自分なりに解釈してアレンジを楽しんでいた。本当に“自由な時代”だったんです。60年代や80・90年代のように強いアイデンティティがはっきりした時代と違って、70年代はその狭間にあって、過去から未来へ移り変わる“中間地点”のようでした。映画や車、ブランドのあり方にもその空気があって、当時の車を見ても“いいデザインだな”と今でも思うほど、独自の美学が息づいていたんです。“70年代のパリ”というテーマは、映画や音楽にも雰囲気が色濃く残っています。フランスの音楽やライフスタイルは、今でも私の大きなインスピレーション源なんです」。
人々の生き方やその時代の音楽まで、70年代のパリにはあらゆる面で独自性があったと語るアーレム。スタイルの自由度も高かったとあるが、一体どのようなオリジナリティだったのだろうか。「70年代までは、国ごとにまったく違うファッションの個性がありました。パリからロンドン、ロンドンからニューヨークへ行くだけで、全然違う世界に出会えた。それぞれに固有のスタイルがあったんです。コミュニケーション手段も限られていて、旅をしなければその土地のものには触れられなかった。デザイナーも“個人”として活動し、自分の名前を背負ってデザインをしていた時代でした。だからこそ、インスピレーションがとても純度の高いところにあったと思います。今のように多層的なクリエイティブ体制ではなく、もっとシンプルで、フランスのデザインには確かな軸があった。それが、私があの時代に強く惹かれる理由ですね」。

彼女のアトリエでは、フランス最高峰の職人たちが一つひとつの品質を守り続けている。そのクラフツマンシップの美意識こそが、日本、そして世界中の人々に深く共鳴している理由なのかもしれない。「私たちはフランスの最高峰の職人たちと一緒にものづくりをしています。フランスには『Meilleur Ouvrier de France / MOF』という称号があって、料理人やデザイナー、職人などがその技術を極めたときに国家から表彰を受けるんです。私たちのアトリエには、ブランド創業当初からずっと一緒にやってきたMOFの職人たちがいます。私はデザインを描くことはできますが、それをどう形にするかは彼らの知識と技術に委ねています。たとえば“自転車のホイールのような構造にしたい”と私が話すと、彼らが実現する方法を一緒に考えてくれる。私が指示を出すというより、完全にコラボレーションなんです。フランスの最高の職人技術による素材を活かしたクラフトと控えめなデザイン。私たちのフレームが受け入れられている理由も、まさにここにあると思います」。
世界トップレベルの職人たちと手を携えながら、控えめなフォルムの中にアーレムらしい品格をどう刻み込むのか。その問いが、彼女のクリエイションを支える中心軸となっている。「私はどんな場所でも自信を持ってかけられる眼鏡をつくりたい。1つのフレームであらゆる場に溶け込めるような、それが本当の上質さだと思うんです。だから我々のデザインには、とても静かな力が宿っている。クワイエット・ラグジュアリーという言葉はあまり好きではありませんが、本当のラグジュアリーが“静か”であることは確かです。声高ではないけれど、細部を見ればすぐにその違いがわかると思います。分かる人の目で見れば、そこに込められた技術や思慮の深さが伝わるんです。それはまるで日本庭園のようなもの。ぱっと見は自然で野生的に見えるけれど、実はすべての石や木が意味を持って配置されている。私たちのデザインもまさにそうで、静けさの中に深い美しさが存在する。真のラグジュアリーとは、自分を飾るものではなく、自分と一体になるものだと思っています。たとえばケリーバッグのように持つ人の印象を底上げしてくれるようなバッグもありますよね。でも、我々のフレームは身につける人の一部になる。まるで顔の一部として自然に馴染むんです。私たちはデザインするときに常に“これは本当に自分たちらしいか?”と問い続けています。それを感じられなければ、他人にも伝わらないと思うんですよね」。
揺るぎないデザイン哲学を持つアーレムだが、まだその奥に触れきれていない部分があるように思えた。その余白を埋めるべく、彼女が見据えるこれからについても語ってもらった。「私はいつも、自分や身近な人のニーズからデザインのインスピレーションをもらっています。たとえば、チームにいるラテン系のメンバーのために作ったフレームは、骨格に合うメガネを探すのに苦労していた彼女のためにデザインしたものです。そんなふうに、身の回りの“必要”に応える形で新しいプロダクトが生まれていく。そこで最近、ランニングをするようになって気づいたんです。“走る時にかける眼鏡”がない、と。日常でかける眼鏡では走れない。そこでスポーツ用アイウエアをいろいろ試すと、どれも自分の求めるデザインではなかった。そのため、スポーツ用アイウエアの開発も視野に入れています」。

スポーティなフレームとは一見距離のあるアーレムのこれまでの眼鏡。しかし、その発想の源を探ることで、彼女がどのようにして新たなイメージを広げていったのかが見えてくる。「実は、そのきっかけとなったのが、プロバスケットボール選手のレブロン・ジェームズとのプロジェクトなんです。彼から『自分の顔に合う眼鏡を作ってほしい』と依頼を受けたのが始まりで、3年間にわたって一緒に取り組んできました。彼はすでに我々の眼鏡を愛用してくれていたのですが、サイズが合う型が少なかったので彼専用のデザインを作ったんです。このプロジェクトから誕生したのが、“ワン・オブ・ワン”という新しい部門です。特定の顧客のためだけに、完全オーダーメイドで設計する。じっくり話をしながら、好きな音楽や食べ物、日々の生活までヒアリングして、その場でデザインを描く。その人のためだけの特別な1本です。最近は、レブロンがゴルフを始めたので、ゴルフ用のフレームも開発しています。私自身はランニングやテニス用を開発中です。そしてもう一つの夢は、日本で店舗をオープンすること。ただ店を出すのではなく、私にとっての日本を体現する場所をつくりたいんです。この国に対する感謝と敬意を、空間という形で表現したい。以前日本に来たとき、北海道を訪れたのですが、その旅で経験したことをインスピレーションに、東京に滞在した数日間で、気付いたら40本もの新しいフレームをデザインしました。それほど日本は私にとって特別な場所で、刺激的なんです」。
彼女の語るすべての言葉には、ものづくりという行為への誠実さが垣間見える。それは決して大げさな理想や流行の波に流されるものではなく、あくまで自分と身近な人の“必要性”から静かに生まれる。だからこそ、彼女の手によって命を吹き込まれる眼鏡には、確かな温度と人のぬくもりが宿っているのだ。フランスの職人たちが守り抜くクラフトの美意識。アーレムの故郷であるパリの光や日本の繊細な感性。そのすべてが1本のフレームの中で見事に調和している。単なるアイウエアではなく、文化や世代を超えて、人々の生き方そのものを映し出してくれるようなアーレムの眼鏡は、これからもかける人の日々に寄り添ってくれるに違いない。

アーレム・マナイ=プラット
フランス・パリ出身のデザイナー。2014年に立ち上げたアイウエアブランドのアーレムは、70年代パリの自由で多様な美意識を背景に、フランス国家最優秀職人らと共に緻密なクラフトを追求している。控えめでありながら存在感を宿すミニマルなデザインと、素材本来の美しさを引き出す仕上げが特徴で、世界中で高い評価を集めている。
| Photo Jasmijn van Buytene | Interview & Text Samuel Pattison |












