Travel through Architecture by Taka Kawachi
ライトの愛弟子による プレーリースタイル建築 葉山加地邸 遠藤新
三井物産の初代ロンドン支店長を務めた加地利夫の別邸として1928年に竣工。フランク・ロイド・ライトの弟子であった遠藤新の設計による木造一部鉄筋コンクリート造りで、大谷石を多用し、水平に大きく伸びる軒などにライトのスタイルを取り入れている。建築面積297平方メートル、サンルームとテラスを有する居間を含む11の部屋があり、家具や照明器具のほぼすべてが遠藤によるデザインである。2017年に有形文化財として登録され、改修後の2020年から宿泊が可能となった。定期的に予約制の見学ツアーもされている。
神奈川県三浦郡葉山町一色 1706
フランク・ロイド・ライトの右腕的な日本人建築家がいた。それが遠藤新だ。ライトは設計した帝国ホテルの工事途中で不本意ながらも米国に帰国せざるを得なくなると、遠藤はその業務を引き継ぐとともに、同じくライトが設計した自由学園明日館、そして芦屋の旧山邑邸住宅(現ヨドコウ迎賓館)も実質的には完成させた。愛弟子としてライトの影響を強く受けていたため、オリジナルな個性が薄いと揶揄されることもあったようだが、遠藤は誰よりもライトのことを理解していた建築家であり、ライト様式を当時の日本の文化や風土と調和するように取り組んだことが、結果的に遠藤のスタイルになっていったと言えるだろう。
その遠藤が39歳の時に設計したのが神奈川県の葉山にある「加地邸」。完成したのが1928年のことだった。戦後はGHQに接収されたこともあったが、近年大規模なリノベーションが行われ、約一世紀前の状態のまま今も残されていることは奇跡としか言いようがない。現在は一棟貸しの宿泊施設として活用されており、テレビドラマ「岸辺露伴は動かない」では、高橋一生演じる主人公が住む謎めいた屋敷として登場したことでも知られるようになった。
加地邸は車では入ることのできない高台に建てられており、細い沿道と階段を歩いて登っていくのだが、経年変化でエメラルドグリーンとなった銅板屋根に覆われた屋敷とクリーム色の壁が少しずつ見えてくると胸が高鳴ってくる。なぜならこの建物はライトが得意とした「プレイリースタイル*」そのもので、低く抑えた屋根が水平に伸びることで森に溶け込んだような姿には、ライトの落水荘を思い起こさせられるからだ。門を抜けて先に進むと、帝国ホテルで使用された大谷石が玄関のアプローチや階段や柱にふんだんに使われており、ここが「小さな帝国ホテル」とも呼ばれていることに納得する。贅を尽くした重厚感のある造りでありながら控えめで優美な佇まいは、日本人の感性を持った遠藤だからこそ演出できる品の良さが漂っている。
玄関から入ってすぐ右側が邸宅の中心となるサロンルームだ。吹き抜けの高い天井が広がり、両サイドの中2階にはサロンルームを見渡せるギャラリーが併設されている。鮮やかな山吹色のクロスが張られたラウンジチェアと二脚の鏡台用の椅子が奥に置かれ、天井からは珍しいデザインの照明が吊るされている。部屋の中央には暖炉、美しい木枠の窓からは丁寧に手入れされた庭を眺望できる。同じ階にはサンルームとビリヤード室、ダイニングルームがあり、2階の東側に主寝室と書斎、その反対側にはかつて子供部屋として使われていた3室がそれぞれ細い階段で繋がり、サロンルームへと流れるような構成となっている。
この邸宅で使われていた家具と照明器具はすべて遠藤のデザインによるもので、建物とインテリアの一体感が非常に強い。これには全一(ぜんいつ)という遠藤の強いこだわりが反映されているからである。例えば、庭に面したサンルームにある六角形のテーブルには、その形にマッチするようにデザインされた椅子が置かれている。また、ビリヤード室の暖炉にはビリヤードの球を意識して丸く削られた石の装飾が施されていたりと、部屋のテーマに合わせて空間全体を演出する意匠が細部まで施されている。木製の枠組みや床板、窓ガラスもほぼ建造時のままで残されており、どの部屋にいても時が止まったかのような錯覚を覚えてしまうほどだ。
この家の建主だった加地利夫だが、三井物産の初代ロンドン支店長を務め、その後も重役や監査役を歴任した人物。この邸宅は加地家の子孫たちが管理していたという。しかし雨漏りや破損など老朽化は避けられず、実業家夫妻が所有権を引き継ぎ、地元住民のサポートも受けて全面的な改修作業が行われることとなる。この時のリノベーションを担当したのが隈研吾に師事したこともある建築家の神谷修平だ。神谷は保存や改修だけでなく、邸宅の雰囲気に合った家具を新たにデザインし、間接照明も加えたというが、どこが新たに手を加えられた部分なのがわからないほどの自然な仕上がりとなっている。さらにキッチンは現代仕様に造り替えられ、倉庫だった地下にはオーバーサイズの浴場が備え付けられた。建造時の雰囲気を残しつつ遊び心のある改修をした神谷と、それを可能にした現オーナーに敬意を表したい。
加地邸は、まさしくライトの精神性を取り入れた戦前の住宅建築の傑作であり、未来に残していかなければならない重要文化財である。遠藤が設計した建築の中でも最重要の作品で、おそらく自身もこの建物への思いはひとしおだったはずだ。この邸宅の入り口に多肉質の葉を放射上に広げるリュウゼツランが大きく育っているのだが、数十年に1度しか花を咲かせない種類と聞くと、威厳が感じられるこの植物には遠藤の魂が宿っていて、今も邸宅を見守り続けているのではないかと思えて仕方がないほどである。
河内タカ
長年にわたりニューヨークを拠点にして、ウォーホルやバスキアを含む展覧会のキュレーション、アートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し主にアートや写真や建築関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口 アメリカ編&ヨーロッパ編』、『芸術家たち 1 & 2』などがある。
Text Taka Kawachi | Photo Tomoaki Shimoyama | Edit Yutaro Okamoto |