MUSIC LENDAS FABIANO DO NASCIMENTO

心地よいメロウギターの音色。 実力派ブラジリアン・ミュージシャンの新作

Fabiano do Nascimento Lendas Released 20th January 2023 Length 30:00 Now Again
旅路の景色を映し出す音

旅先ではどんな音楽が聴きたいだろうか。見たことのない風景、聞こえてくる様々な音、その地の香り、取り込まれる情報全てが旅の一部であり、音楽はその景色を一層エモーショナルに映し出す。今年1月にリリースされた、ファビアーノ・ド・ナシメントの新作『Lendas』は、何処にいても海風を感じるような、哀愁漂うメロウギターが心地良いアルバムだ。ファビアーノ・ド・ナシメントはリオ・デ・ジャネイロ出身、LA在住のギタリスト。エルメート・パスコアールや、バーデン・パウエルなど、先人たちからのルーツを引き継ぐ、現代のブラジル音楽を担うミュージシャンのひとりとして、ブラジル音楽やジャズを取り入れ、独学で身につけたという実力派演奏スキルにも注目が集まっている。本作は彼の5作目のアルバムとなり、自身の手がけた楽曲を中心に、「Fonte」や「Retratos」、「Solo as Onze」をはじめ、一度レコードに針を落とせば、このジャケットの世界に吸い込まれるような異国情緒を纏ったグルーヴが身体に染み渡る。今回オーケストラのアレンジにはヴィトール・サントスが、そしてブラジル音楽のレジェンドのひとりアルトゥール・ベロカイが特別参加をしている。アルバムタイトルの『Lendas』は、ポルトガル語で“伝説”という意味合いがあり、この音楽を通して人々に実在しない場所を思い起こさせたり、私たちが見ることのできない世界をイメージさせるといった、精神的な思想のもとに名付けられているという。優しい海風に包まれるようなこの美しい作品は、空や大地、自然と一体化するような感覚を思い起こさせ、私たちをスピリチュアルな非日常世界へと誘う。旅のお供としてこの上ない、極上のグルーヴがこのアルバムには流れている。
去年の初夏、夫の仕事に同行して吉村順三の手がけた熱海の邸宅へ出向く機会があった。夫は日中仕事で忙しくしていたので私は邸宅の周りをしばらく散歩することにした。数分歩いたところに、小さな海岸を見つけて立ち寄ってみると、地元学生の水泳部が泳ぎの練習をする掛け声やホイッスルの音、犬の散歩にきた人たち、仲睦まじく海を眺める老夫婦、あちこちで人々の日常に溶け込んだその海岸は、時の流れがスローに感じるような、穏やかな空気を漂わせていた。東京からわずか数時間の場所にあるその小さなビーチは、きっと近所の人々からすればなんてことのない海岸なのだけれど、私にとってそれは、若者でごった返した真夏の海水浴場とは一味違う、初夏の贅沢なオアシスに違いなかった。近くのコンビニで缶ビールとタオルを1枚買って、砂浜に寝そべりながら本を読んだり空を眺めるだけの時間は、自分だけの世界にいるようでとても居心地が良かったし、このアルバムを聴いた時、真っ先に思い浮かんだのはその時の風景であった。波の音やカモメの鳴く声、自然の空気を取り込んだ音楽は神秘的とすら思えるほど、いつになく人の心を魅了するものである。だんだんと国内外への遠出もしやすくなってきた。旅にはいつも偶然の出会いが待っていて、偶然は旅を楽しませ、刺激的なものにする。自分への一番の旅土産とは、五感に刻まれた旅の記憶そのものなのかもしれないし、ふとその音や匂いに触れた時、その景色が蘇るような体験は歳を重ねるごとに尊いものに感じられる。ドライブの途中、散歩をする時、ビーチやホテルで一息つきたいとき、このアルバムがそんな良き旅の相棒になってくれることを願っている。

ファビアーノ・ド・ナシメント
1983年生まれ、リオ・デ・ジャネイロ出身のギタリスト/コンポーザー。現在はLAを拠点に活動し、現ブラジリアン・ミュージックシーンを担う実力派ミュージシャンのひとりとして注目されている。

Select & Text Mayu KakihataPhoto Taijun Hiramoto

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