MUSIC CHEMICAL BROTHERS For That Beautiful Feeling

壮大な物語を連想させる ケミカル・ブラザーズの新アルバム

Chemical Brothers For That Beautiful Feeling Released 8th September 2023 Length 47:03 EMI
美しい記憶を呼び覚ます
壮大なケミカル・サウンドの解放

「車と音楽」と言えば、私が真っ先に思い浮かぶのは60年代初頭に広まったホットロッドの音楽だ。改造車でのレースでの疾走感やスリルを音楽に表現したというのがホットロッドの始まりだそうだが、そのような音楽が存在するくらいなのだから古くから車と音楽の相性は悪いはずがない。ふと日頃ドライブで聴きたいプレイリストやアルバムを振り返ってみると、ゆったりした音楽よりも、少しアップテンポなものを選びがちだと感じたのだが、睡魔に襲われないようにという理由もなきにしもあらず、走るスピードを感じながら車というプライベートな空間で思うままに音楽を楽しむというのは実は特別なシチュエーションなのかもしれない。今年9月8日にケミカル・ブラザーズの通算10作目となる『For That Beautiful Thing』も車に合う1枚かもしれない。本誌でも以前取り上げた、2019年発売の『No Geigraphy』が車(もしくは戦車)が道路を進んでいるようなジャケットデザインだったのを思い出して、本号でケミカル・ブラザーズを紹介するのは何だか必然的な気がしてしまうのだが、およそ5年振りとなるこの新作のリリースは世界中のファンが待ち望んでいたはずだ。改めて彼らの足跡を振り返ろう。ケミカル・ブラザーズはトム・ローランズとエド・シモンズによって1989年に結成されたイギリスの電子音楽~ダンスミュージックを代表する音楽ユニット。主にブレイクビーツを基盤にロックなど様々な音を融合させた独自のサウンドがクラブシーンそして音楽の世界に大きな影響を与えてきた。かつて90年代のロンドンでは「ヘブンリー・サンデー・ソーシャル」という同名のレコードレーベルが日曜日に開催していた伝説のクラブイベントがあったのだが、そこでレジデントDJを務めていたケミカル・ブラザース。当時はダスト・ブラザーズというユニット名で活動していた。そのイベントはオアシス、プライマル・スクリーム、ライド、マニック・ストリート・プリーチャーズ、セイント・エティエンヌ、ノーマン・クックなどの錚々たるアーティストたちが出入りしていたという。彼らはその後レーベルと契約、95年にファーストアルバム『Exit Planet Dust』でのデビュー以来、その唯一無二のトラックセンスで揺るぐことなく音楽シーンの最先端を走り続けている。本作ではフランスを拠点に活動する女性シンガーソングライターのヘイロー・モードがフィーチャーされたタイトル曲「For That Beautiful Feeling」や先行配信曲「Live Again」、ベックを迎えた「Skipping Like A Stone」、ニューミックスの「The Darkness That You Fear」、ケミカルらしい太いビートが効いている「No Reason」、「Fountains」、「Magic Wand」、「The Weight」など全11曲が収録。「Intro」からアルバムを締めくくる「For That Beautiful Feeling」まで、1枚聴き終える頃には壮大な物語を読み終えた爽快感と安堵のような不思議な気持ちにさせられる。あるインタビューの中では、彼ら自身がこれまで音楽の原体験で感じてきた興奮を思い出したり、その時感じた感情や風景が自分たちが作る音楽と密接に関わり合っているのだと語っていた。本作の「The Weight」についても、“もし今「ヘブンリー・サンデー・ソーシャル」があるとしたら、この曲はレコードボックスに入っていたら嬉しい曲だ”との発言があったりと、パンデミック以降初のリリースとなる本作は、前に進みながらもこれまでの体験の中にあるエモーショナルな風景を映し出し、温存していたエネルギーが一気に放出されたような解放感溢れるものとなっている。『No Geigraphy』のリリース後、コロナ禍によりツアーが中止されるなど彼らに限らない多くのアーティストたちが制限の多い時代を経験した。そんな混乱の時代を乗り越え、2024年2月には単独公演としては実に8年振りとなる来日公演が予定されている。ライブを愛する彼らにとっても久しぶりの日本公演が特別なものになるよう、それまでアルバムを聴き返したりしながら歓迎の準備をしておきたいものである。

ケミカル・ブラザーズ
トム・ローランズとエド・シモンズによって結成されたイギリスの電子音楽~ダンスミュージックを代表する音楽ユニット。ブレイクビーツを基盤にロックなど様々な音を融合させた独自のサウンドでダンスミュージックシーンにおいて大きな影響を与えた。

Select & Text Mayu Kakihata Photo Taijun Hiramoto

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