Interview with Takahiro Miyashita

宮下貴裕が人生をかけて考える ショーのこと、洋服のこと

Interview with Takahiro Miyashita

独自の美学と感性で、他の追随を許さない洋服づくりを続ける「孤高の表現者」宮下貴裕。TAKAHIROMIYASHITATheSoloist. の23FWコレクションのショーは、自身の地元である東京・上野の表慶館で行われた。圧巻のショーを終えて少し時間が経った今、自身が改めて俯瞰的に見たショーにまつわるエピソードや、洋服作りの姿勢について話を伺う機会をいただくことができた。Silver編集長の千葉琢也とのインタビュー形式でお送りする。

千葉 先日は素敵なショーにお招きいただいてありがとうございました。改めてショーの事などお話をさせていただければと思います。まずは、ショーが終わって少し時間が経ちましたが、今どんな事を思っていますか?

宮下 もう、『次』って感じですかね。終わったので次に頭がいっています。

千葉 ショーが終わるといつもそうですか?

宮下 直近3年間はそんな事なかったんですけど、今回はなんか次だなって感じがしましたね。

千葉 そういう意味では、特別なショーになったのではないでしょうか。

宮下 今回のショーを終えて、僕の中で考えていた一連の流れをやり切れたのかなという感じがしましたね。

千葉 今回のショーは2人の人物というのが大きなテーマになっていたと思いますが、その2人の人物と宮下さんとの関係を教えていただきたいと思っています。1人目はRAY-GUNのデイビッド・カーソンについて。

宮下 RAY-GUNという雑誌は、僕の青春の要素のひとつだったんです。あのカウンターカルチャーにどれほど影響を受けたでしょうか。RAY-GUNを見ている中でタイポグラフィを色々知るきっかけになって、デイヴィット・カーソンの存在を知ったんです。僕の中でのタイポグラフィの原点なんですね。1992年から創刊されて以来ずっと、彼は僕の中でアイドルとして君臨していた。なので、他のタイポグラフィをなぜ使わなかったのかと言われたら、もう一度RAY-GUNという雑誌のデザインがどれほど良かったのかということをさまざまな人に伝えたかったからだと思います。若い人の中にはRAY-GUNという雑誌を知らない人もいるかもしれないので、それを教える事ができるいい機会かなという考えもあったんです。あとは洋服の内容が比較的落ち着いた印象だったので、そこに何か強い要素が欲しかったんですよね。それで、いよいよデイヴィッド・カーソンに頼むタイミングかなという感じがしたんです。

千葉 コレクションの中でもRAY-GUNは凄く象徴的でしたよね。当時のRAY-GUNは本当に扱われていたコンテンツも、凄く尖っていて。今日RAY-GUNに対する想いを宮下さんから初めて聞いたので、いろいろな要素が繋がりました。

宮下 そしてもう1人の人っていうのは、僕に影響を与えた女性ですね。名前は挙げられないのですが、彼女との関係性は僕の姉のような存在でもありますし、とても尊敬している方です。友達の様な関係でもありますし、言ってみたら先生みたいな側面もありますし、たくさん彼女から学んだ事があるのかなと思いますね。直接手を下されて学んだことは無いのですが、一緒にいる時間の中で彼女から教わった事が多かったかなと思うので、それを全面的に今回のショーで出したかったんですよね。

千葉 このタイミングでその方を出そうと思ったのは、どんなきっかけからなのでしょうか?

宮下 今回のショーの話をもらう前に、何となくこういう事をやろうという漠然としたアイディアは持っていたのですが、具体的に洋服に落とし込む段階まではその時降りてきてなくて。で、実際にショーの話を貰った瞬間に降りてきたんですよね。すべての洋服が。そしたらそれがまさに彼女に向けたラブレターの様な内容だったんです。それでこういう内容になったんですよね。ちょうど去年彼女と連絡を取る事が数回あったので、どこか頭の片隅に彼女が居たんだと思うんです。だから必然でした。

千葉 ショーを見せて頂いた時に、スカートだったり、ワンピースなどのルックが凄く印象的だなと思っていました。それもやはり彼女との関係性という要素が関わっているのでしょうか?

宮下 そうですね。極端に言ってしまえば彼女のために作ったようなところもありますし。きっとこれを作ったら彼女は喜んでくれるだろうという僕からの返答というか。そういうのもあったのかなと思いますね。ただ、これはあくまでもソロイストですし、ソロイストでなければならなかったんですけど、何処か頭の片隅にずっと彼女が居たんだろうなと思いますね。

千葉 スカートやワンピースの表現もそうなのですが、女性的でもあり男性的でもあるというまさに、彼女の為でもあるけれど宮下さんの世界でもある。すごくそういういい意味で曖昧なジェンダーを表現されているなという感じがしました。

宮下 ものすごく曖昧であることも、やはり彼女が頭の片隅にいたからだと思うんです。彼女がそもそもとても曖昧な人なんですよね。だから僕の中に降ってきた洋服たちもやっぱり曖昧なものだった。それをもうそのままというか、徹底的に『曖昧』に固執して作って出そうかなと思ったんです。もはやここまでやったらジェンダーとかそういうことを指摘する人はいないだろうとか、もうそんなのどうでもいいと言ってくれる人がいるかなという感覚がありました。

千葉 以前では、洋服にそういった社会的なメッセージを含ませることが多かったのでしょうか?

宮下 先シーズンまではそういう強いメッセージがあったとは思います。やっぱりそういうのはきちんと発信していかなければいけないという強い思いがあったんです。でも今回は、もうそういうのって当たり前で普通だよねという意思表示だったのかなと思いますね。だから強くジェンダーに対して何かっていうのは今回は意外と無いんですよね。

千葉 もっと自然に、ピュアにその感覚が落とし込まれているということですよね。

宮下 そうですね、とても自然だったと思います。

千葉 ショーを見せて頂いてる時に感じたのは、音楽がとても印象的だったことです。音楽は小瀬村晶さんが手掛けられたとお聞きしていますが、お2人の中でどういうやり取りがあってあの音楽が生まれたのでしょうか。喪失感からの解放がキーワードになっているとというお話もありましたが。

宮下 そうですね、最初のキーワードはまさにその通りで、『喪失感からの解放』なんですよね。その喪失感っていうのは先ほどお話に出てきた彼女に関わってくる話なのですが。ショーの少し前に、一瞬僕が崩れそうになったんですよね。自分自身が喪失感を味わっていて、でもこの仕事をしなければいけないという、そんな状況の中で音楽製作を進めていかなければならなかった。当初より今回の音楽の頼み方は難しいだろうなと感じていました。なぜならすごい熱量で僕の感情をぶつけなければ曲が完成しないんだろうなと思っていたらからです。案の定完成するのにすごく時間がかかって、結果的に僕がボーカルをギリギリまで要求してしまって、すべての作業が終わったのはショーの前日でした。ボーカルの録音ですら6日前に行ったので、その時点でメロディーが出来上がってない状態だったんです。全体のボーカルや音が乗った完全な状態は、マスタリングが上がってきた前日に聞いたのが初めてだったので、それまで不安な状態で日々を過ごしていました。『喪失感からの解放』というのはまさにその通りで、ちょうど音楽製作を行なっていた時期は、僕が特に塞ぎ込んでしまっていた時でもありました。そんな日々に少しでも小さな光を灯したいなという想いがあったので、音への要求も多くなってしまった、それをあそこまで理解して形にしてくれた小瀬村さんが凄いなと感じています。

千葉 音楽が本当に綺麗で聴き惚れてしまいました。

宮下 ボーカルは最終的にクララ・マンというアーティストの方に歌っていただきました。彼女はこれからのシンガーで、他の自分の曲も凄く、素晴らしい歌声を持った方です。

千葉 ショーではそうした音楽や会場も含めさまざまな要素が繋がって宮下さんの世界を表現しているのだなと感じていましたが、あの場所、表慶館を選ばれた理由はなんだったのでしょうか?

宮下 最初はいくつか候補の会場があったのですが、どこも何かちょっと気に入らなくて。予算の事や時間の問題などで早く決めなければいけなかったんですけど、どこも絵が浮かんでこなかったんです。そんな中で今年の1月に表慶館も見てみようとなった時に、『あ、表慶館か』とピンときたんです。僕は生まれがあの辺りなので、昔から馴染みのある建物でした。見に行く前から今回のショーはおそらく表慶館になるだろうなと思ったんですよね。案の定一歩建物に足を踏み入れた瞬間に『ここになるな』と思ったんですよね。いろいろなカルチャーや人種、さまざまな性別などが一瞬にして見えたんです。その情景が浮かんだと同時に、ここでやらないとダメだなと思ったんですよね。表慶館には洋館の雰囲気もありますし、かといって日本的でもありますし、日本だけじゃない色々な要素がぐちゃぐちゃになってるのが非常に魅力でした。建物から出る頃には、ここじゃないとやりたくないって言ってダダをこねていました(笑)。そこからチームの皆さんに尽力いただいてこの場所でのショーが実現したという感じです。

千葉 表慶館はすごく特別な場所ですよね。パリではなく、東京のあの場所でショーを行った意味はどんなことにあるのでしょうか?今回の東京でのショーを拝見した時に、パリで何度も宮下さんのショーを見せて頂いますが、不思議と同じ感覚を抱いたんです。

宮下 『東京は元気です』っていう一言を言いたかったのかなというのがありました。やっぱり東京が世界的に置いていかれてる感を感じていたのかもしれないです。そのイメージを東京からどうにかしてやりたいなという気持ちがありましたね。それがショーに現れたのかもしれないです。今までだったら、アマゾンファッションウィークで東京でやった時もそうですし、前回もそうなんですけど、パリでやる事を東京でやろうという意識だったんです。ただ今回はパリの再現をしようっていう意識をせずに東京で出来る事をやろうと思いました。でもそれは、東京っぽくするという意識などは全然無くて、あくまでも自分らしさを表現するための方法だったのですが。東京でやる意味のあるショーにしないといけないなという気持ちになったのは今回が初めてのことでした。今まではいくら東京でショーをしていても、『たまたま東京でやってるだけで、本当ならパリやっていたんだ』などというそういう投げやりな言い方をしていたと思うんですよね。その意識が今回はなかったのかなと思います。東京から、東京は元気ですというメッセージを伝えたかったのかな。

千葉 東京で見せて頂いたショーももちろんありますけど、今回はパリで見る宮下さんのショーを東京で見ている感覚になったというか。場所はもちろん違うけど、空気と気持ちは同じ。東京のショー、東京コレクションとかではなくて、まさしく世界のショーを見にきたっていう気持ちになりました。

宮下 そう思っていただけることが一番嬉しいです。

ショーや洋服作りは
人生、そのもの

千葉 ショーのことからは少し離れた質問になりますが、宮下さんは普段、日常をどんな風に過ごされてますか?ショーの前と後では違うかもしれないですが。

宮下 僕の生活って普通なんで、音楽を聴いて、映画を観て、観たいものみて、食べたい物を食べて、飲みたいもの飲んでという、至って普通な人間なんです。いっぱい人と集まって馬鹿騒ぎをするのは嫌いという、それを除いては普通の人間だと思います。でもやっぱり僕は単純に洋服に取り憑かれてる人間だと思うんですよね。例えば誰かと食事している時も、自分の20〜25%ぐらいは、常に洋服の事を考えています。それは、生まれてきてから今までずっと変わりません。特別な事だとも思っていないし、変わった事だとも思っていないんです。毎日洋服の事を考えていて、おそらく24時間ずっと考えいてるんだと思うんです。ただその考え方が違うだけで、濃密な日もあれば、適当な日もあるので、洋服の事を考えて、考えて、考えてっていう日常だけです。いつでもショーを迎えることができる体制を自分の中で作っているんです。

千葉 やはり宮下さんの中では、日常と洋服、そしてショーの表現はシームレスに繋がっているんですね。宮下さんにとって、ショーやお洋服の表現を発信し続ける行為は、もはや意味などという概念を超越している気がします。

宮下 人生そのものです。きっとライフワークなんですよね。もう、永遠にやれる所までやる作業というか。That’s Lifeという言葉に集約されます。

千葉 最後に今現在、宮下さんが憧れていることとか、人がいましたら教えて下さい。

宮下 いっぱいいますけど、やはり洋服を上手に作っている人を見たら、僕も上手に洋服作れるようになりたいなといつも思い悔しい気持ちになるんです。常にいろいろな人を目標に置いているんですよ。それこそ今回のショーのキーになった女性の方は一歩でも近づきたいなとまだ思ってますし、常に僕は自分の設定を一番低い所に置いてるのが、一番心地良い。底辺のポジションから、どこまで出来るかなという勝負の仕方なんです。だから知り合った人の事全員を尊敬してる感じがしますね。なので憧れの人だったり、参考にしている人は沢山います。会う人会う人みんながそうなんじゃないかなという気がします。僕が一番低俗な人間だと思っていますから。

千葉 本当に素敵な考え方だと思います。

宮下 ずっとファーストアルバムしか作りたくないんですよ。2枚目のアルバムは作りたくないんですよね。毎回新人の様な事をやりたい続けていきたい。だから、一生完結しないんですよ、この旅は。いつも全力な1枚目のアルバムを作る事しか考えてないです。気持ち的には今までもこれからも常にそうであり続けたいと思っているのです。

Photo Yusuke AbeInterview Takuya ChibaText Shohei Kawamura

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