Eyewear with Heritage Story
グローブスペックス 岡田哲哉が思う アイウエアのヘリテージ
一部の文字を読める人が
特権的に使っていた道具
世界一の眼鏡店、グローブスペックス。ミラノで毎年開催される世界最大級の国際眼鏡展示会MIDO展でBestore Awardを2年連続受賞するという快挙を果たした日本が誇る名店だ。華々しいその実績を獲得したのは、唯一無二の店舗デザインやサービスが評価されたことと、同店の創設者である岡田哲哉の眼鏡に対する深い造詣とヴィンテージメガネの収集力、そして名門から新進気鋭まで幅広い実力派眼鏡ブランドからの信頼を得る情熱があるからこそだ。ヘリテージというテーマを考えるにあたり、道具からファッションアイテムまで幅広く求められてきた眼鏡の役目の歴史を振り返ることは必然だと思った。アンティークからヴィンテージ、最新型までを網羅する岡田の話から、眼鏡に受け継がれてきたヘリテージを読み解いていく。「眼鏡の起源としては、聖職者や上流階級層のような教育をきちんと受け文字を読める人たちのための道具だったんです。当時の眼鏡はシザーといって、木製のフレームにレンズを入れて、蝶番を鼻に挟んでかけるハサミのような形をしていたんです。文字を読むための老眼鏡のような道具として使われていたようです。その名残は1930年代頃まであって、フィンチと呼ばれる鼻眼鏡がそれにあたります。当時は金属のチェーンを付けて、3ピースのジャケットのボタンホールに引っ掛けて胸ポケットにしまっていたんです。現代からすると洒落者の道具みたいですよね。20世紀初頭に出始めた、顔の堀が深い欧米人が目に埋め込むように使うモノクルという単眼鏡と言う型式もありました。テンプルらしきパーツが出てきたのは18世紀頃ですが、当初は耳にかけるのではなくコメカミを抑えて挟むような形でした。実はテンプルは英語でコメカミという意味です。テンプルのツルを耳にかける形はもっと後の時代になって出てきます」。
金張りや彫金は
ただの飾りではない
ごく一部の特権階級だけが使っていた眼鏡だが、19世紀の産業革命をきっかけに大衆にも広く使われ始めることになる。「産業革命を機に教育が浸透していったことで眼鏡の需要が高まったんですね。でも聖職者やお金持ちが使っていた眼鏡は金や銀で作られていて高価なので、とても庶民には買えないわけです。そこで生み出された技術が、普通の金属でベースの形を作りつつも、腐食性を補うために錆びづらい金のシートを巻く“金張り”でした。1910年代からアメリカンオプティカル社とボシュロム社、シュロン社のアメリカ三大メーカーがこぞって金張りを大量生産するようになり、一気に眼鏡が普及したんです。当時は眼鏡屋でお客さんが好みのレンズやツルの形状を選び、鼻の高さや幅を計測してブリッジやテンプルを決めて組み上げるという完全ビスポークでもあったんです。
1910年代後半や20年代になってくると、金張りの眼鏡に彫金が施されるようになってきます。当時の第一次世界大戦で職を失った宝飾職人たちが、実用的なものづくりである眼鏡の世界に流れてきたことが背景にあります。20年代以降の眼鏡のほとんどに彫金がされていて、装飾やジュエリー的要素が加わり始めました」。眼鏡の普及や技術の発展には明確な理由があったという納得できるストーリーだ。1910年代から40年代にかけては、アメリカ三大眼鏡メーカーの勢いがそのまま強く、特にアメリカンオプティカル社の金張り眼鏡が世界中に流通していた。60年代頃までヨーロッパで一番大きな眼鏡会社はアメリカンオプティカル社でもあったようだ。そのため当時のヨーロッパの眼鏡職人は同社で経験を積んだ人が多く、70年代以降のヨーロッパを代表する眼鏡メーカーのローデンストック社やカールツァイス社、マルヴィッツ社へ移動して主力メンバーとして活躍していったのだ。
ラウンドとオクタゴンが
フレームの原形
そもそもだがフレームの形はどのようにして生まれてきたのだろうか。「形としてはラウンド(丸)が始まりです。その後にオクタゴン(八角形)なども出てきましたが、いづれも上下対象の形、製造しやすいメリットがあったんです。当初テンプルはフレーム横の真ん中に付いていていました。でも真ん中につけると視野の妨げになるということから、アメリカンオプティカル社がテンプルをフレームの上部に付けるようになったんです。でもラウンド型のフレーム上部にテンプルを付けるのは構造的に難しく、取り付けやすいように逆三角形のフレームが作られました。それが現在のボストン型の原形です。実はボストン型とは和製英語で、アメリカだと通称P3と呼ばれています。当時のカタログを見るとP5やP6というモデルも載っているのですが、おそらくパントゥ(フランス語でボストン形の意)のPだと思います。でもなぜか現代にはP3だけが残っているんです。先に述べたようにテンプルの位置を変えて視野を広げるために作られたので、フルビューという呼び方もされています。この形が生まれた30年代以降の眼鏡はフルビューがベースになっていきます。オクタゴンもフレームの初期の形なのですが、レンズが丸いと作業の際に回転してズレてしまうことがあるため、それを防ぐために固定しやすい形として作られたと考えられています」。
眼鏡にファッション要素が
加わったのは1950年代から
その後も様々な目的やストーリーとともに新たなたフレームの形が生まれてくる。映画『トップガン』でトム・クルーズがかけていたことが象徴的なパイロットグラスは、1940年代にジェット戦闘機が開発されたことが誕生背景にある。「ジェット戦闘機は高度の高い上空をものすごいスピードで飛ぶので酸素マスクが必要です。そのため酸素マスクが収まって干渉しないようなレンズの鼻際の間隔や形状と、コックピット全体を覆い込んで見渡せるレンズの大きさと形状になっているんです。またヘルメットを装着したまま眼鏡を着脱できるようにと、テンプルはストレートでフラットにして、耳に引っかけない作りになっています。ダブルブリッジは剛性を高めるためのアイディアですし、軍のミルスペックから生まれたパーツの名残が現代にも多く受け継がれています。
パイロットグラスのように大きなパーツの要素を取り込み、ファッション感覚的に眼鏡をかける流れが終戦した50年代以降に生まれてきます。ミュージシャンのレイ・チャールズやバディ・ホリーはいつも太いテンプルのものをかけていることが印象強いですよね。素材としてはプラスチックが主流になり始めます。プラスチックはボリュームがありますし、色の自由度が格段に高くなるので目元の印象を大きく変えやすいんです。メタルフレームのリムの上にプラスチックのパーツを取り付けたブロウ型がありますが、機能性というよりは目元の印象を変える目的で取り付けられた経緯もあります。そのように50年代から眼鏡の種類は一気に広がっていきました」。
深い知識と幅広いネットワークを駆使し、岡田はヴィンテージメガネを集めるだけでなくオリジナルの眼鏡も作っている。「ヴィンテージをそのまま再現しようとは思わないです。ヘリテージとして価値のある部分は受け継ぎつつも、現代だから使える素材や技術を用いたものづくりを考えています。時代ごとに眼鏡をかける目的が変わっているので、当然製造手法も変化と進化を遂げています。でもヘリテージとして愛される眼鏡のルーツやストーリーを活かしたアップデートをできれば、ものとしての深みが出てくると思っています。道具として、ファッションとして眼鏡を素直に楽しんでもらいたいのは前提ですが、受け継がれてきた価値の本質やストーリー、つまりヘリテージとしての魅力をさらに伝えていきたいと思っています」。
岡田哲哉
1998年、東京渋谷にグローブスペックスをオープンさせる。代官山や京都にも店舗を拡大しつつ、現在の渋谷店ではサロンのように岡田自身がお客様に向き合って眼鏡をお見立てするサービスも行なっている。
グローブスペックスが取り扱う眼鏡の中から岡田が厳選した、オリジナルな形やストーリーを持ったヘリテージな眼鏡と、ヘリテージの要素を受け継ぎつつ現代だからできる素材や技術を用いたニューヘリテージなものを紹介する。
Photo Jun Yasui Stylist Takayuki Tanaka | Hair Kazuhiro Naka Make-up Asami Taguchi | Model Youri Edit Yutaro Okamoto |