Travel through Architecture by Taka Kawachi
蘇った戦後モダニズム建築の傑作 河内タカ
鎌倉の鶴岡八幡宮境内にある「旧神奈川県立近代美術館 鎌倉」は、現在は名称が変わってしまったが以前は「カマキン」の愛称で親しまれ、国の重要文化財に指定されている由緒ある建物だ。戦後の復興時代の物資が乏しかった真っ只中、日本初の公立近代美術館として創設されたわけだが、その設計を手掛けたのが坂倉準三であり、すでにこの連載の常連であるル・コルビュジエに師事した著名な建築家である。
2016年3月で借地権が切れ取り壊しも決まっていたが、存続を求める声が多く寄せられ、一転して約1年半かけて大規模な耐震・改修工事が行われ存続することになったという紆余曲折の経緯があった。この時の工事に課せられた大きな課題が、新館が完成した1966年当時の姿に現代の建築技術を使って限りなく戻すことにあり、やがて2019年6月に鶴岡八幡宮が管轄する形で新たな文化交流施設「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」となって再びオープンしたのだった。
耐震補強と外観整備に加え、展示室への階段の入り口が反対側の地上階に移され、エレベーターが新たに設置された。また、中庭にあったイサム・ノグチの可愛らしい彫刻作品『こけし』は、葉山の神奈川県立近代美術館に移設され、その空いた場所には開館当時のように石畳が敷かれた。プレキャスト・コンクリートの手摺りと階段の石研ぎの手摺りは従来のまま、そして大谷石積みの壁は耐震補強をして当時の状態に近づけるなどきめ細やかな改修工事は特筆すべきものがある。老朽化したら壊し建て替えてしまう“スクラップ・アンド・ビルド”が常習化している日本において、絶滅危惧種のような戦後のモダニズム建築の傑作を未来へ残すべく、この事例のように美しく甦らせることができることを実証したことは実に意義深いことではないだろうか。
さて、この建物を見ると思い浮かぶのが、坂倉が影響を受けたル・コルビュジエの二つの世界遺産建築だ。一つは上野公園の「国立西洋美術館」、もう一つは近代建築の五原則*を忠実に取り入れた「サヴォア邸」だ。これらの三つの建物に共通するのが、建物の主要部分をニ階に集約し、ピロティと呼ばれる列柱群が躯体を支える形式がなされているところだ。「サヴォア邸」は四角い箱型の邸宅であるが、二つの美術館はよりスケールが大きくなり、しかも鎌倉のは池側が六本の柱で水上で支えられている。しかもその鉄柱は土台石に乗せてあるように見えるが、石を2つに割って柱を通すためのくぼみを作り、鉄骨柱を立てて両側から挟み込んで固定するという細工がなされている。中庭を取り巻くような空間構成になっているのも似ている点で、当初の坂倉のプランには展示室の東西にさらに展示室やホールを増築するという計画が盛り込まれていたが、これはル・コルビュジエの“無限発展の美術館”という考えを踏襲したものであり、国立西洋美術館には実際同じ構想が取り入れられていた。
ル・コルビュジエとの違いもある。坂倉のこの建築は庭園と建物が一体となり、水面からの反射光が白壁の天井に光の文様を描いて、その姿はどこか京都の桂離宮書院を思わせる優美さが息づいているのだ。確かに坂倉のは日本の伝統的な建築における建物と庭園との関係が感じられるばかりか、1951年に完成したことを考慮に入れると、まさしく日本のモダニズム建築の本格的な始まりを表明した建築と言える。ル・コルビュジエ直伝の手法を取り入れながら、日本の建築伝統を取り入れた最初期の作品なのだ。ともかく、取り壊しという危機に直面しながらも、どうにかギリギリのところで世界遺産となりえる貴重な建築が救済されたことに多くの人たちが胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
*近代建築の五原則:「ピロティ」「自由な平面」「自由な立面」「水平連続窓」「屋上庭園」の5つを指す。
河内タカ
長年にわたりニューヨークを拠点にして、ウォーホルやバスキアを含む展覧会のキュレーション、アートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し主にアートや写真、建築関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口アメリカ編&ヨーロッパ編』、『芸術家たち1&2』などがある。
Text Taka Kawachi | Photo Tsurugaoka Museum, Kamakura | Edit Yutaro Okamoto |