Travel through Architecture by Taka Kawachi

丹下健三の傑作 十字架を見上げるシルバーの大聖堂

歴史と文化を巡る建築旅行のすすめ

St. Mary’s Cathedral
東京カテドラル聖マリア大聖堂
1964年に完成した丹下健三の代表作の一つ。当時の最先端の構造技術を注ぎ込んだメタリックな外壁を持つ近代建築であるが、内部の神々しい雰囲気は訪問者たちを荘厳な雰囲気で包み込む。教会の西側には高さ約60mに及ぶ『鐘の塔』がそびえたち、教会としては日本最大級のパイプオルガンやミケランジェロのピエタ像の精巧なレプリカがあることでも知られている。
東京都文京区関口3-16-15

時代を超えて語り継ぎたい、そして実際に訪れてその魅力を体感してほしい建築を紹介していくこの連載。第三回目(第二回目はSilver WEBにて限定公開中)に選んだのは、何年か前にデザイナーのポール・スミスと話をしたときに、日本で最も好きな建築として挙げてくれて嬉しくなった思い出のある『東京カテドラル聖マリア大聖堂』だ。この聖堂を設計したのは日本を代表する建築家 丹下健三である。同年の1964年に完成した『国立代々木競技場』と並ぶ60年代の丹下の傑作であり、文京区関口のホテル『椿山荘東京』から目白通りを挟んだところに見えてくるシルバーに輝く建物がそれだ。何か特別な場所であることは誰もが察するはずだが、これがキリスト教の教会だと言い当てられる人がいったいどれほどいるのだろうか。まあそれほどインパクトのある外観なのである。実は歴史は古く、今から124年も前の1899年にまず木造ゴシック様式で建立されたというこの教会。しかし1945年の東京大空襲で焼失してしまい、それからは米軍によって持ち込まれた簡易的なかまぼこ型の建物で集会が行われていたという。その後、ドイツのケルン大司教区の支援を受け再建されることとなり、設計者を決めるため以下の三人による指名コンペが行われたのだが、その三人とは帝国劇場などを設計した谷口吉郎、丹下の師匠であった前川國男、そして最年少の丹下であり、最終的に選ばれたのがHPシェル(双曲放物線面シェル)の現代的な構造技術を用いた丹下の案だった。

8枚のコンクリート打放しのHPシェル壁の表面にはステンレス板が張られ、それぞれが壁と屋根の両方の役割を担っているという特殊な構造を持つのだが、上部に向かって延びる壁の間にあえて隙間が開けられているのには特別な理由があった。地上からではわかりにくいのだが、この隙間は頂部で交差しており、神の視点で空中から見下ろすとそこに「十字架」がくっきりと現れるという仕掛けが施されているのである。さらにこの建物の凄さは外観と十字部分だけに止まらない。エントランスから建物内部の左方向にゆっくりと進むと、意図的に打ち跡が残された量感たっぷりのコンクリート壁に囲まれた巨大空間が広がっていて、鋭く傾斜する壁に囲まれ圧倒される。その空間を見回すと、最頂部がおおよそ40メートルもあるというのに、シェル構造によって天井を支える柱がただの一本もない。その広がりのある荘厳な景観はどこか古代遺跡か地下要塞を思わせるほどだ。

放射状に広がる打ち放しの壁、聖堂正面にはキリストの最後の晩餐の食卓をイメージした祭壇、その背後にはアラバストル大理石を薄く切り出し設置した黄金色に輝く窓、そして高さが17mもある細長の十字架がその窓の前に設置されている。天窓から降り注ぐトップライトと四方からの明かりに加えて、祭壇の背後から差し込む神々しい光が礼拝堂全体を柔らかく照らし出し、椅子に座って静かに光のうつろいを眺めていると、信仰心はない自分でさえも清められた気持ちになるほどだ。これまで世界中の名建築や大聖堂などを見てきたポール・スミスがあれほど感激していたのも納得がいくし、僕もこんな凄みのある建築にはこれまであまり遭遇したことがない。そしてもう一つ、この建物を訪れる際に覚えておいてほしいことがある。それはここをいたく気に入っていた丹下自身が洗礼を受け、亡くなった際の葬儀が執り行われ、丹下の遺骨が今も地下の納骨堂に納められ眠っているということだ。そのことを心に留めてこの静謐な大空間に身を委ねると、丹下健三という建築家の偉業をより深く感じいるのではないかと思うのである。

河内タカ
長年にわたりニューヨークを拠点にして、ウォーホルやバスキアを含む展覧会のキュレーション、アートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し主にアートや写真や建築関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口 アメリカ編&ヨーロッパ編』、『芸術家たち 1&2』などがある。

Text Taka KawachiEdit Yutaro Okamoto

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