Travel through Architecture by Taka Kawachi
沖縄の地で育まれたモダニズム建築 名護市庁舎/今帰仁村中央公民館 河内タカ
沖縄に行くたびに思うことがある。コンクリート・ブロック造りのビルがやけに多いなぁということだ。商業施設だけでなく、一般住宅や沖縄特有の大きな墓もコンクリート造りであることが気になっていた。調べてみると、沖縄では戦後、駐留米軍が持ち込んだ鉄筋コンクリート技術が台風にも強く、シロアリにも負けない素材として重宝された。さらに材料となる砂も容易に入手できたため、コンクリート・ブロックによる建築が軒並みに増えていき、今やすっかり沖縄らしい景観となったというわけだ。ヤンバル山原と呼ばれる沖縄本島北部の中心である名護市にある「名護市庁舎」もコンクリート・ブロックを取り入れた建物だ。設計を手がけたのが象設計集団とアトリエ・モビルの共同体Team ZOO。彼らはこの連載でも以前取り上げた「大学セミナーハウス」を設計した吉阪隆正の事務所から独立したメンバーを中心とした集団なのだが、コンペが行われた8年前から沖縄を何度も訪れ、地元の人々と関わりながら集落の調査を続けていたという。
ピンクとコンクリート地のストライプに覆われた市庁舎は、海の近くの立地に段状に建てられ、3階までのファサードが垂直に立ち上がっている。眩いほど生い茂ったカラフルなブーゲンビリアが日陰を作り、屋上には遮熱のための土が盛られ、西棟と東棟の間には1階から2階へと続く片道約28mの長いスロープが設けられている。テラスの手すりが穴開きブロックだったり、南側ファサードにはいくつもの穴が開けられているが、それは海風によって建物を冷やすヒート対策機能となっているからだ。今となっては驚くことなのだが、亜熱帯にあるにもかかわらずここには長い間エアコンがなく、風を取り込む通風システムのみで建物を冷やしていたのだ。
この市庁舎には「アサギテラス」と名付けられた格子状の庇が架かる涼しげなエリアがある。「アサギ」とは沖縄本島北部の集落に設けられる神が降りてくる場所の名称。そのような神聖な場を取り入れているのもこの建築の特徴だ。また、沖縄といえば魔除けの像シーサー。以前は外壁に56体のシーサーが据え付けられており、この建物の大きな魅力だったのだが、台風や海風で劣化が進み、現在はすべて撤去されてしまったのはなんとも寂しい限りだ。シーサーは無くなってしまったが、沖縄らしさを随所に取り入れるとともに、モダニズム建築の特徴となる立体格子やグリッドが採用されていて、そんなところに吉阪直系の弟子たちが手がけたという気概が感じられる。
そのTeam ZOOの最初期作品である「今帰仁村中央公民館」は、名護市庁舎建設よりも6年前の1975年に竣工した。広い芝生を囲むように立つ平屋建築で、林立する276本もの朱色の柱はここが公民館と思えないほどエキゾチックだ。その色合いは京都の伏見稲荷を思い起こすが、実は東南アジアをイメージし自然の中で映えるような色として塗装されたのだという。オープンエアの回廊によって、ここもまた建物全体におのずと緑風が吹き抜ける工夫がなされ、半屋外空間を備えた造りは、地元住民たちが日常的に利用できる開放的な場としての柔軟さを兼ね備えている。
今帰仁村中央公民館は建築から約50年が経過し、老朽化が進む中、その時々の状況に応じた修繕や整備が行われ、保存と活用に努められている。当初のコンセプトや構成からは変わった部分もあるが、そんな状況であってもこの建築が沖縄の風土から発想され、伝統的な集落との関係性を反映し建造された背景は変わることはない。今訪れると年季は入ってはいるが、沖縄の近代建築といえばまず頭に浮かぶという人が多いのも頷けるのだ。
河内タカ
長年にわたりニューヨークを拠点にして、ウォーホルやバスキアを含む展覧会のキュレーション、アートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し主にアートや写真、建築関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口 アメリカ編&ヨーロッパ編』、『芸術家たち1&2』などがある。
Text Taka Kawachi | Photo Yoshiyuki Onga | Edit Yutaro Okamoto |