The Japanese Gentleman
日本的な紳士道を求めて
現代にあって、「品格ある男」とは一体どんな存在なのだろうか。肩書きや装いに頼るのではなく、内に静かな強さを宿し、余裕をもって人と関わる姿勢こそが真の魅力を放つのではないか。伝統と革新のはざまで生きる京都の老舗帯屋、誉田屋源兵衛の十代目当主、山口源兵衛の言葉から、日本ならではの紳士道の輪郭が見えてくる。
山口源兵衛
現代における紳士の条件
「社会に生きるということは、つまり“檻”に入っているようなもんや」。現代における紳士。品格のある人間とは。どういう人なのかを質問すると、開口一番に山口源兵衛はそう語った。信号があれば止まらなければならない。決まりごとに囲まれながら、人はすでに「まとめ上げられた檻の中」にいる。
「それやのに“個性を大事に”ってよく言うやろ。でもな、本当に個性があったら、誰も共感せえへんのや。人気が出る人間いうのは、実は“個性がない”ってこと。共感できるからみんなが認めるんや」。
そんな“檻”の中でどう生きるか。そこに「紳士」「品格ある男」の在り方が問われる。「“食べるのは汚いけれど、生き様には品格がある”という男もおるけれど、やっぱり一番大事なことは“余裕”や。その余裕は金があるということやない。精神的な余裕。あらゆることを受け止められる余裕。それを持っている男はかっこいい。もう一つは“一貫性”やな。外見だけ飾っても意味がない。中身と外見が一体化してこそ、ほんまの品格や。今の時代は、外にばかり意識が向かっている。昔のイギリスの哲学者が『自分の興味と目的が被っていること、そこだけをやる。それ以外のことをやっている暇は人生にない』と言っていたけど、興味があって、目的があるならまっしぐらにその道だけを歩けという。それをやっている者こそが品格のある人なんや」。
山口はさらに「充満と空虚」という言葉を持ち出す。
「今の人間は空っぽでいるのが怖いから、情報で充満させてしまう。ネットを見て、頭を埋め尽くしてな。でも、充満すると直感を失うんや。知識に頼りすぎると、逆に直感がなくなる。ものづくりの人は空洞を開けてるから、そこに何かが入ってくるんや。空洞を作れない人間は、いつまでも埋め合わせに追われて、結局品格を失う」。
余裕、一貫性、そして空洞を持つこと。品格について山口が考える大切なことの中にさらに彼は「折り合い」という言葉を挙げる。「折り合いっていうやろ。あれは着物の言葉、“折り目正しく”や。ほんまに品格ある人間は、折り合いをつけられる人やと思う。生と死に折り合いをつけられる人間、それが賢さや」
その例として挙げたのが、ユナイテッドアローズの創業者であり名誉会長の重松理氏だ。
「あの人は別格やな。経営者の中でも群を抜いとる。何か問題があっても根源から考えて、必ず筋を通す。構造でものをとらえて、ちゃんと折り合いをつける。そういう人間はほんまに品格がある」
山口の言葉から浮かび上がる紳士像は、西洋的なマナーをなぞった“ジェントルマン”ではない。檻の中でどう余裕を保ち、どう一貫性を貫き、どう折り合いをつけて生きるか。その生き方そのものが、日本の紳士道だと感じられる。
話題は自然と「着物」へと移った。
「京都は特に近年は変化を嫌う土地柄やけどな、ほんまは着物そのものもずっと変化してきたんや。昭和以降や、固定化してしまったんは」。
帯ひとつとっても、江戸時代には細くなったり太くなったり、時代ごとに変化している。女性の帯結びにいたっては五百種類以上もあったという。
「今はワンパターンやろ。ネットで調べても一番簡単な結び方しか出てこん。着物は日常着やったから、今のファッションと一緒。みんな自由に結んでた。変化が止まるいうのは滅びの道や」。
着物こそ新しい
ジェントルマンズコード
昭和の呉服屋が「悪しきルール」を作り、着物を特別で堅苦しいものにしてしまったと山口はいう。
「そやけどな、今はもう逆や。洋服が古くて、着物が新しい時代に入ってる。パリコレでも日本を求める流れがある。実際に海外からも話が来てる。パリコレを見てもファッションに元気がない。そういう時だからこそ、新しいものを求めて、ヨーロッパは今日本に注目をしている。今はハイブランドか着物どっちを選ぶかという勝負をせなあかん。日本だけの土俵やなくて、世界のリングで異種格闘技戦をやる時代や」。
誉田屋源兵衛の仕事場には、そんな挑戦の証がいくつも並ぶ。例えば、今回山口がまとっている蝶の文様を背に描いた桃山インスパイアの着物。これは和紙で織られ、肩の橙色の部分は鹿皮を組み合わせた一点もの。そして、もう1点は竹の紋様が入った着物。これは、裏に竹林を描いた江戸の意匠を現代に蘇らせた二重仕立て。
「貴族の趣味で、公家から生まれた発想やと思う。薄着の重ね着が公家の発想。分厚いのは百姓の発想。十二単がまさにそうで、分厚かったら重くて着られんやん。それに、これがなんで公家発想や言うたら、公家は御簾の中におったんや。やから、裏の方がしっかり描かれた白竹なんや。表からはぼんやりとしか見えへん。表を隠すような公家発想。竹藪には、ピッと1本ほかの竹よりも長く伸びるものがある。つまりほかよりも突き出ていくことが、天下を取るということで、武士に好かれた。そして、桃山の着物は俺の勝負服や。これ着て悪い結果になったことはない。人の手で作ったもんには何かが宿る。着物には精神が宿る。ほんまに命がこもっとるんやと思う」。
彼にとって着物は民族衣装ではなく、現代の“コード”そのものだ。もともと「庶民の着物にルールなんか本来ない。帯もベルトと一緒。ただ止めるだけでもええ。江戸時代の庶民なんか紐や縄を巻いていた。武士だけが帯や。漁師が命綱の柄を着たり、飛脚が裾をまくって走ったり。そうやって生活と繋がっとったんや。ヨーロッパでは模様は上流から降りてくるけど、日本は庶民から生まれてくる。そこがかっこええやろ」。
つまり、着物は日常着であり、生き方を映す服だ。
「日本人がうっかりしてたら、世界の方が先に着物ブームを起こすで。日本に押しつけるルールなんていらん。着物は自由に選んで、自由に着るもんや」。
その言葉には、伝統に縛られない未来のジェントルマン像が鮮やかに重なる。余裕をまとい、折り合いを知り、そして自分の生き方を着物で表現する男。着物こそが、これからの時代のジェントルマンズコードのひとつなのだ。
山口源兵衛
1738年から続く、京都の老舗帯匠、誉田屋源兵衛の10代目当主。歴史について深く考えた豊富な知識や経験に基づくものづくりを大切にし、日本古来の生地の復活や、型を破る斬新な提案をし続ける。
Photo Yuto Kudo | Interview & Text Takayasu Yamada |