Ceramic & Furniture
日本のうつわと西洋の家具 時を超えて共鳴するクラフトマンシップ

昨今、多くのファッションブランドでも工芸や家具といった暮らしのものを表現の一部として取り入れる動きが強まっている。ファッションで培われた審美眼の対象が、服から暮らし全体へと移っているのが現代といえるだろう。急成長を見せるデジタル化、AI化によって“手の痕跡”に惹かれるという反作用もあり、今、クリエイティブシンカーたちがこの工芸と家具のジャンルへと熱視線を向けている。
そんな折に開催される企画展「Rurbanism展 都市と田園、時を分かち合う、家具とうつわ」。9月末の開催前に今回特別に撮影をおこなった。主催者であるRurbanism代表の遠藤辰彦と、うつわ祥見 KAMAKURA代表の祥見知生のインタビューとともに掲載する。

異なる時代、異なる土地で生まれたものを、同じ空間に置いてみる。そこにあるのは単なる新旧、東西のコントラストではない。本展の起点となったのは、現代陶芸家の作品とヴィンテージファニチャー、現代アートを独自の視点でキュレーションするRurbanismと、鎌倉を拠点に現代のうつわ作家を紹介してきた「うつわ祥見 KAMAKURA」による合同展示だ。前回の展示を通して、陶芸を単体で見せるのではなく、家具やアートと同じ空間に置くことで、作品の見え方そのものが変化する面白さを感じたことが、今回の企画へとつながったという。
「1940〜70年代に世界各国で生まれたヴィンテージファニチャーには、優れたデザイナーによる完成されたデザインと機能性があり、長い時間を経た今も使い続けられる普遍的な魅力があります。一方、日本の現代陶芸にも、人の手から生まれる揺らぎや土の表情がありながら、造形としての強さと、日常で使うものとしての機能性がある。時代も国もジャンルも違いますが、両者には共通するものがあると感じています」と彼らは話す。

今回、さらに貴重なデザイナーズヴィンテージ家具を扱う「kaikki gallery」と「Gallery Attic」も企画に加わり、4つのギャラリーが結集する形となった本展。それぞれが共有するキーワードは「時間の堆積」「普遍性」「機能美」。異なる場所や時代で生まれながら、時間を経ることで失われるのではなく、むしろ深まっていく美しさ。そして流行に左右されずに残る普遍性と、使うための機能から立ち上がる美しさである。
会場にはシャルロット・ペリアンやハンス・J・ウェグナーら20世紀のデザイナーによる家具と、日本の現代陶芸作家の作品が並ぶ。生まれた時代も国も文化も異なる。しかし遠藤と祥見は、そこに機能美や普遍性だけでなく、「ものづくりに対する哲学」の共通性を見る。人の手によってつくられ、人が使うために生み出されたもの。異なる背景を持つものを並べることで、年代やカテゴリーによって分断されていたものの根底に、同じ思想が流れていることが見えてくる。それは、工芸を美術として見るのか、生活道具として使うのかという古くからある問いにもつながっている。もともと「使われるもの」としてつくられたものが、時間を経て価値を認められ、美術として扱われるようになることがある。しかし、その境界をあらかじめ決める必要はないと彼らはいう。家具や工芸を人が暮らす空間に近い状態で共存させることで、鑑賞するのか、実際に使うのか、そのものとどう関わるのかを決めるのは、見る人、そして所有する人自身になる。



興味深いのは、ペリアンやピエール・シャポーといった名の知られたデザイナーの家具に交じり、「設計者不明」のものも、今回撮影はしていないものの展示ラインナップに含まれていることだ。誰が設計したのかもわからない。それでも彼らはそこに「純粋な美しさ」を感じているという。
「名前や市場価値を一度取り払ったとき、それでも自分自身の感覚として美しいと感じられるのか。それはRurbanismとして常に大切にしている視点です」。
著名なデザイナーの名前、希少性、価格はものを見るための情報ではある。しかし、情報を知るより前に、もの自体を見て自分は何を感じるのか。既存の評価を否定するのではなく、自分自身の美の基準を取り戻すこと。それは膨大な情報と世間的な正解が瞬時に共有される現代において、以前にも増して重要な姿勢なのかもしれない。
だからこそ、本展における器と家具の関係も、いわゆる“正しい組み合わせ”を提示するためのものではない。遠藤と祥見にとって、日本の現代陶芸と異なる時代や国の家具が同じ場所にあることは、そもそも意外なことですらないという。カテゴリーは違っても、そこに宿る哲学や美意識、機能美や普遍性に共通するものがあるからだ。
そして、この感覚を別の角度から語るのが、「うつわ祥見 KAMAKURA」の祥見知生だ。祥見は今回参加する作家たちに作品を依頼する際、「今」という時間を意識したという。どんな古いものにも、それが生まれた瞬間には必ず「今」があった。現在ヴィンテージとして扱われる家具も、かつてデザイナーが生き、時代背景のなかでクリエイティビティを注いだ「今」の産物だった。それと同じように、現代の陶芸作家たちがつくる器にも、現在という時間が刻まれている。だからこそ、目指すのは「時間を超えて残っていくもの」なのだと話す。ヴィンテージ家具と現代陶芸を合わせることについても、祥見は既存のセオリーに従うことより、それぞれの感性で組み合わせることに面白さを見出している。家具にも器にも「この時代ならこれ」「この作家ならこれ」という定石は存在する。しかし、それを一度外してみる。異なる文化や時代のものが生活の中で溶け合ったとき、「そこに暮らす人自身のクリエイティビティが刺激されればいい」と考える。遠藤もまた、ヴィンテージの魅力を「時間の堆積」という言葉で表現する。何十年もの間、異なる場所で異なる人に使われ、手渡され、それでもなお存在している家具。その傷や経年変化には、それまで過ごしてきた時間が蓄積されている。そして現在の所有者もその時間の続きを引き受け、やがて次の誰かへ渡していく。ただし、古いこと自体に価値があるのではない。重要なのは、そこにどのような哲学や美意識があり、「これから時間を重ねていくことのできるものなのか」ということだ。完成した瞬間が、そのものの完成ではない。人に使われ、傷つき、時間を重ねながら、ものに表情が宿っていく。会場で見てほしいのも、一点一点の価値だけではなく、それらが同じ空間に存在することで立ち上がる「風景」だという。陶芸と家具、ものとものの間に残された余白。異なる時代と土地を生きてきたものがひとつの場所で共存し、それを使う人自身の時間が加わっていく。


何を美しいと思い、何を選び、何と暮らしていくのか。ファッションと同じように、暮らしにも唯一の正解はない。時代やカテゴリー、作家の知名度という境界を越えて、自分自身の感覚で選び、組み合わせる。その行為そのものに、その人のスタイルは現れるのだろう。今回の展示は、そんな審美眼のヒントになるのかもしれない。


Rurbanism展 都市と田園、時を分かち合う、家具とうつわ
9/30-10/27
場所:新宿伊勢丹 本館5F IHE デザインスタジオ
うつわ祥見 KAMAKURA
神奈川県鎌倉市佐助1丁目18-20
utsuwa-shoken.com
Rurbanism Tokyo Store (9/19 Open)
東京都江東区森下1-5 堀ビル1F
www.rurbanism.net
| Photo Norihiko Okimura | Interview & Text Takayasu Yamada |












