MUSIC SMALL CHANGE by TOM WAITS

トム・ウェイツが奏でる 静かに響く乾いた靴音

Tom Waits
Small Change
Released 21 September 1976
Length 49:28
Asylum

トム・ウェイツは靴が好きだ。ある自伝の中では、ニール・ヤングの音楽にさんざん注文をつけながら、「でも、あいつはいい靴を履いている」と語るエピソードが紹介されている。「若い頃は尖った靴ばかり履いて、今では足が尖った靴の形になっている」と冗談を言うほどである。あるインタビューでも、ロンドンに来た理由を聞かれて「靴のため」と答え、「靴がいい時代は、音楽もいい時代だ」とまで語っている。彼にとって靴は、単なる足元ではない。それを踏まえて観てみると面白い映画がある。ジム・ジャームッシュの『Down by Law』だ。恋人に部屋の中のものを次々と投げ捨てられる、トム・ウェイツ演じるザック。レコードが飛び、私物が飛び、何もかも窓の外へ放り出されていく。無抵抗にそれを見ていた彼が本気で止めようとするのが靴だ。「靴はやめてくれ」。しかし靴も結局、窓の外へ飛んでいき、そして彼は、それを拾いに行く。散らばったレコードや荷物には構わず、靴だけは拾いにいく。路上でその靴を履き直し、磨く。映画の中ではユーモアを感じさせるシーンだが、彼の靴への想いを知ると、妙に納得である。靴には、その人間が一日を歩いてきた時間が染み込んでいる。皺、傷、擦れ、履き込まれた靴には持ち主の癖が刻まれる。彼が愛用していたStacy Adamsのようなドレスシューズにも、そういう男の匂いがある。Stacy Adamsは1875年創業のアメリカの靴メーカー。20世紀に入ると、ジャズやブルース、ソウルの世界でも知られるようになり、ミュージシャンやダンサーたちの足元を飾ってきた。特にスウィングの時代には、ツートーンのスペクテイター・シューズなどが、ドレスアップした男たちのスタイルの一部になっていった。ジャズマンのスーツには、Stacy Adams。そんなイメージが長い時間をかけて作られていった。ピカピカの高級靴というより、夜の街で履かれるための靴。音楽を演奏し、酒を飲み、踊り、女と会い、夜をともに歩く。そんな生活のすぐそばにあった靴だったのではないだろうか。実用性だけを考えれば、もっと歩きやすい靴はいくらでもあるはずなのだが、それを選んで履き、あえて手をかける。雨に濡れたり、少し踵の減った靴を修理して、また履く。誰にも見られていなくても、出掛ける前に靴を磨く。シワの寄ったシャツ、くたびれたジャケット、それでも靴だけは手入れが行き届いている。それは「おしゃれ」という言葉とは少し違う、どうしようもない伊達男たちの粋なスタイルだ。『Small Change』に収録された「Tom Traubert’s Blues」の中でも、〈my Stacy’s are soaking wet〉と歌われているのだが、ここでいうStacyは、Stacy Adamsの靴を指しているとされる。トム・ウェイツの歌詞には、こうして度々靴が登場する。1976年に発表された『Small Change』には、酔っぱらい、タクシー運転手、娼婦や踊り子、場末のホテルなど、夜の街が描かれる。そして、そういう街を歩く人間も当然、靴を履く。ピカピカの新品ではなく、酒場の床を踏み、夜更けの舗道を歩き、少しずつ革が柔らかくなっていく靴である。ジャケットも物語るように、『Small Change』には煙たい夜の街の空気が漂っている。酒と煙草と雨と埃を吸い込んで、少しずつその人の足の形に、そして生き方に馴染んでいく靴。煙草と酒でしゃがれた声。酔っぱらったピアノ。擦り切れたサックス。夜更けの裏通りに小さなスポットライトを当てたような世界に映し出されるのは、閉店間際のバー、夜の仕事を終えた女たち、乗客待ちのタクシードライバー、孤独な都会の夜を生きる人々である。トム・ウェイツはそんな同じ夜を過ごす名も知らぬ人々たちのことをユーモアと人情で描いていく。どうしようもなく孤独なのに、どこか温かい。彼の歌の中では、ひとり寂しく酒を飲んでいても、街のどこかには同じように夜を越している人間がいる。トム・ウェイツという男は、そういう男なのである。

トム・ウェイツ
1949年アメリカ・カリフォルニア州生まれのソングライター・俳優。ジャズやブルースをルーツにしゃがれた歌声とピアノで詩的な世界観を描く。

Select & Text  Mayu KakihataPhoto  Taijun Hiramoto

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