Legacy of the Gentleman’s Spirit Vol.1

語り継がれる男の美学

ファッション、仕事との向き合い方、車の選び方。人生のさまざまな場面において、人の生き様は現れる。むしろその生き様の美学=ジェントルマンズマナーこそが、その人生を形作ると言っても良いだろう。その作法は十人十色だが、己を貫き、自分らしく生きる男たちは格好いい。外交官、映画監督、音楽家からスポーツ選手、落語家、俳優まで。時を超え、現代の我々にも刺激を与えてくれる男たちの信念ある生き方を紹介しよう。

Jiro Shirasu
白洲次郎

「プリンシプルに忠実に生きる」

GHQと堂々と交渉し、「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれた白洲次郎。17歳でケンブリッジ大学へ留学し、紳士の国、イギリスで9年間のジェントルマンズマナーを身につけた彼の生き様をひと言で言い表すなら「プリンシプル(=原則)」。自身の信念、想いを率直に発言し、おかしいと思うことであればマッカーサーをも一喝。英語で書かれた講和条約の草案を日本語に書き直させるなど、嫌われることも衝突も恐れない信念に基づいたその姿勢で、日本の誇りを諸外国に示した。サヴィルロウで仕立てたスーツを颯爽と着こなし、デニムを穿いた初の日本人とも呼ばれた洒落たスタイルも魅力。車を趣味とし、学生時代よりレースに参戦し、改造や修理に熱中。その姿はオイリーボーイと呼ばれ、同タイトルのムックが発行されるまでに、男の生き方に影響を与えた。また、軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長も務め、現代も受け継がれる「プレイファスト」を提唱。周囲へ気遣いながらスマートに遊ぶ新たなマナーを生み出した。すべてのことに自分の考えを貫く一本気なその生き様とスマートな姿は、まさにジェントルマンに他ならない。

Yasujiro Ozu
小津安二郎

「どうでも良いことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」

トレードマークは白いピケ帽とシャツ。名作『東京物語』をはじめ、54本の作品を残した日本を代表する映画監督、小津安二郎。普遍的な家庭の親子関係を独自のローアングルから切り取り、禅の思想や日本人の美徳を感じさせる「小津調」と呼ばれる作品群は、「OZU」の名で海外でも高く評価されている。そんな世界に誇る彼の生き様が詰まった言葉が上述のもの。自分にとっての優先順位を常に考え、その基準とともに生きる、という彼の生き様が簡潔にわかりやすく表現されたこの言葉。ファッションなどでは流行を楽しみ、自然体で生きながらも、小津にとっての最重要事項である芸術=映画に真摯に向き合う生き方を貫き続けたことこそが、名画と呼ばれる数多くの作品を生み出した所以である。撮影現場では実際に小津が納得いくまで100以上のテイクが重ねられることもあったという。人生は選択の連続。自分だけの価値判断、すなわち美学を持ったこの生き方も、ジェントルマンズマナーに則ったものだと言えよう。限りある人生をバランスよく楽しむための人生訓として覚えておきたい。

Ryuichi Sakamoto
坂本龍一

「芸術は長く、人生は短し」

センターパートのグレイヘアに、ボストンタイプのセルフレーム。静謐で知的な佇まいでジェントルマンの雰囲気を漂わせた坂本龍一の人生もまた、芸術へ捧げたものだった。バッハやドビュッシーといったクラシックに影響を受け、音楽を始めた坂本。古代ギリシャの医師、ヒポクラテスが発したこの言葉を礎に様々な表現を行なってきた。テクノポップの先駆者としてYMOで80年代に一世を風靡し、ソロの作曲家・ピアニストとして日本人初のアカデミー作曲賞を受賞。さらには舞台作品やインスタレーション展示、さらには森林保全団体の設立や、神宮外苑の再開発への見直しの提言をはじめとした環境保護まで、音楽というジャンルを超越し、世界中の人々の心を動かしてきたその活動は、それ自体が芸術=アートであったと言っても過言ではない。本物のアートとは、目や耳で感じた瞬間のみではなく、その受け手の心に残り、その人生に影響を与えるもの。坂本龍一の音楽はそんなことを思い起こさせる。2023年、71歳で逝去した彼だが、そのアートはこれからも我々の心を掴み、歴史として残り続けることだろう。彼の肉体はなくなっても。

Illustration  Yoshimi HatoriEdit & Text  Satoru Komura

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