Product for Feelin Good by Yataro Matsuura
アリゾナの砂漠で体感した 不思議な世界の音 松浦弥太郎
独特な形状に加え、錆びた青銅による質感がまるで仏教美術のような威厳さえ漂わせるこのベル。これは、イタリア生まれの建築家であり哲学者でもある“パオロ・ソレリ”が企画したプロジェクトの一端を担うもの。住居や仕事場から商業施設、学校など生活に必要な機能をすべて1つの建築にまとめることで、エネルギーや資源を効率的に使え、環境に優しい社会を目指すというアイディア“Arcology(アーコロジー)”を提唱したパオロ・ソレリ。そのアイディアの実施を求め、アリゾナ州中央部にあるソノラ砂漠で1970年から建設を開始したプロジェクトに“アーコサンティ”がある。砂漠の上に佇む、まるでSF映画の舞台のような建造物のアーコサンティ。太陽の位置に基づき巧妙に設計されたアーコサンティは、冬は空間を温め、夏には冷やすといった仕組みが実現されている。だが、この建築はいまだ未完成。そこでは今でも、建築家やアーティストなどが集まり、ソレリが提唱した“より少なく、より充実した生活を送り、地球の生態系への悪影響を少なくする”ことを目指し、ゆっくりとしたペースで建設は進んでいる。そして、このプロジェクトを支える主な収入源こそが、この場所でのツアー料金とアーコサンティの住人によって作り続けられているこのベルだ。松浦がこのアーコサンティに訪れたのは、なんと10代の頃だという。
「僕がアーコサンティへ行ったのは1988年のこと。80年代は、このプロジェクトが1つのカルチャーとして一部の人たちに関心を持たれていました。その頃、仲が良かったアメリカ人の友達に誘われ、面白そうだなと思ってついて行ったんです。そうしたら、そこには驚きの世界がありました。砂漠の中にドーム式の大きな家があって、その環境の中で人々が自給自足のような生活をしているんです。その光景はまさに異世界そのものでした」と松浦は当時の思いを語る。この場所の特異性を表すエピソードとして、スター・ウォーズシリーズで知られる映画監督のジョージ・ルーカスも70年代にアーコサンティを訪れ、そこで得たインスピレーションが惑星“エンドア”や“タトゥイーン”を生み出すきっかけにもなったという逸話がある。今でこそスマートシティといった構想について日本でも頻繁に耳にするようになったが、50年以上も前からこうしたコンセプトを持った建築構造物を目指していたのには驚きだ。
そして、アーコサンティで松浦はベルに出会う。「中に入ると、良い音が聴こえるんです。音の発信源は、そこら中にぶら下がっていたこのブロンズ製のベルでした。ものすごく巨大なものから、小さなものまで様々なサイズ、形のベルが吊るされていて、風に揺られ良い音を奏でていました。これは持って帰りたいなと思い、色々なベルを見比べ、音を聴き比べ、その中でも一番良い音を奏でていたこれを選んだ覚えがありますね」と松浦。日本ではあまり知名度がないかもしれないが、松浦がアメリカを旅するように暮らしていた80年代は、「センスの良い人の家に行くと必ずと言って良いほど、このベルがありました。アートに関心があって、ライフスタイルを大切にしている人にとってのアイコンのような存在でした」という。松浦も普段はこのベルを部屋の中にぶら下げて造形を楽しんでいるようだ。夏にはベランダに出して音を響かせ、風鈴のように涼をとっている。「でも日本の風鈴とはちょっと違って、ブロンズ製の乾いた音。この音を聴くと、現地の風景が思い浮かびます。若かりし頃にアーコサンティを訪れて面白いことをやっている人たちがいるんだな、と感じた当時の思い出が蘇ってきます。そういった原体験の積み重ねで今の自分が作られているわけなので、僕にとってとても重要なアイテムの1つなんです。この音を聴くと、不思議とリラックスができて、今となってはメディテーショングッズのような存在でもあります」。
このベルのように旅先で訪れた場所でものを買うことが多いという松浦。何か1つでもものを持って帰ることで、時間が経っても記憶を思い出すきっかけになる魅力があるという。「これを見ていると、アーコサンティにまた行きたくなりますね。あんなにも未来と古代がナチュラルに混ざっているような場所はそうそうありませんから」。
松浦弥太郎
1965年、東京都生まれ。エッセイスト、クリエイティブディレクター。2006年から2015年まで「暮しの手帖」編集長を務める。現在は多くの企業のアドバイザーも行う。
Photo Kengo Shimizu | Interview & Text Takayasu Yamada |