UNBEWITCHED: KRISTINA ROZHKOVA

クリスティーナ・ロシュコワが写す 彼女の生きる世界の手触り

写真を始めてわずか数年、クリスティーナ・ロシュコワの名前はすでに国際的な文脈で語られるようになった。哲学のバックグラウンドを持ち、本能のままにシャッターを切る彼女の作品は、美しさとグロテスクなモチーフが共存する、独特で強烈な世界観で注目を集め続けている。

しかし現在、彼女を取り巻く状況は過酷なものだ。母国ロシアでの刑事訴追を逃れ国外へ渡った彼女にとって、写真はもはや単なる表現ではなく、生き延びるための呼吸そのものとなっている。最新刊「アンビウィッチド / Unbewitched」の刊行と東京でのエキシビジョンを機に、彼女が歩んできた軌跡と、石鹸の泡のようにもろいというアイデンティティのゆくえを聞いた。

ー 初期作品「ザ・ブリス・オブ・ガールフッド / The Bliss of Girlhood」は静かでメランコリックなプロジェクトと呼ばれていましたね。新作の「アンビウィッチド / Unbewitched」は、厳しい現実によってその幼少期の魔法がついに解けてしまったことを示唆しているのでしょうか。

はい、その通りです。このプロジェクトは私の人生におけるターニングポイントだと実感しています。ロシアでの刑事事件によって、私の人生は大きく変わりました。もう自国では何もできなくなり、離れるしかなかったのです。この2年の間で私は新しい生き方を学ばなければならなかった。今、私は人生の赤道直下に立っているような感覚です。この本はロシアでの人生と今までの作品の総括でもあり、新しい何かがはじまる前の区切りでもあります。今回の作品のタイトルにもあるように、まさに「魔法にかかった状態」と「解けた状態」が一つの作品に共存しているのです。

ー 作品集のすべての見開きは、「太陽を直視したときのように、目に焼き付いて離れないビジョン」を目指したそうですね。読者が本を閉じた後もその残像が消えないように、アートディレクターのグラハム・ラウンスウェイト氏とはどのように作り上げていったのでしょうか?

実は、デザイナーとはそれほど密にコミュニケーションを取ったわけではないのです 。最初に「新しいものを生み出すために、要素を並置し、コントラストを強調したい」という私の希望を伝えました。編集者の菅付さんが私の性格をよく理解してくれていたので、言葉を交わさずとも素材とアイデアだけで通じ合えるデザイナーを選んでくれたのだと思います。すべてが計画通りに進み、私の想像を遥かに超えてきた仕上がりでした。私は自分でジンや本を作ってきた経験がありますが、今回はプロを信頼して任せることが重要だと思ったのです。あるページでショックを受け、次のページで安らぎを感じ、また不安に襲われる。読者にそうした感情の揺さぶりを経験してほしいと考えて構成しましたね。

矛盾を受け入れ
魔法が解けた後の世界を生きる

ー 今回の「アンビウィッチド / Unbewitched」では、カエルの卵とキス、鶏の足とマニキュアなど、通常は相容れないものが組み合わされています。こういったいわゆる醜いものや奇妙なものをひとつのビジョンへと混ぜ合わせる手法に、どのような魅力を感じているのでしょうか?

まず、今回の展示についてですが、私自身のパーソナリティを反映しています。私はいろいろなことに興味があり、多面的な人間だと思います。自然なものにも、社会や美意識の中にあるものにも関心があります。この本を作るとき、自分の中にあるものを最大限表現したいと思いました。私の作品は私自身の表現ですから、できるだけ完全で、矛盾も含めたものにしたかった。たとえ要素同士が衝突したとしても、矛盾に満ちた自分自身をありのままに込めることが、私にとっての真実だと感じたのです。

ー ご自身の作品を「犬のざらついた濡れた舌」のような感触にしたいとおっしゃっていましたね。なぜ、いわゆる伝統的な美よりも、そうした生々しく動物的なつながりの方があなたにとっては意味を持つのでしょうか?

私は昔から、いわゆる伝統的で慣習的な美というものが苦手でした。幼い頃から社会に対して違和感を抱いていて、それは美意識のレベルだけでなく、周囲との軋轢や誤解としても現れていました。ただ存在しているだけなのに、幼稚園の頃から社会という壁に直面し、自分の振る舞いを理解してもらえない経験を繰り返してきたのです。社会が見るような美を私は見ていないと気づき、アーティストとして、その違和感こそが戦うための武器なのだと次第に感じるようになりました。現在、私の戦いはさまざまなレイヤーで起きていますが、アートはその最も重要な武器の一つです。

友人と本当の自分を取り戻すための
セラピーとしての撮影

ー 撮影スタイルを「パフォーマンスとしての遊び」や「ファンタジーの世界への入り口」だと表現されています。そのプロセスはあなた自身にどのような影響を与え、また、その遊び心のあるアプローチは仕事の進め方をどう変えましたか?

それは自然に発展したものですね。私は最近になるまで、プロの撮影現場というものを知りませんでした。セットに大勢の人がいたり、企画書を用意したりすることさえ理解できなかったのです。私の作品はすべて、友人たちとのリアルな生活から生まれます。例えば、今回展示もされているいくつかの写真は、2週間村で友人たちと一緒に暮らした時に、自然な流れで撮ったものです。背景には絨毯を吊るし、2人の友人にはブーツだけを履かせ、裸で抱き合っているところをただ撮る。それだけなのです。私にとって制作はライフスタイルそのものであり、特別なメソッドではありません。むしろ大勢でテクニックの話ばかりするのは滑稽だと感じます。商業的なものに感じてしまうのです。私はフォトグラファーではなくフォトアーティストです。カメラの種類や技術の話には意味を感じませんし、むしろ人が多く関わるほど結果は悪くなると思っています。もちろん、良くなる場合もあるとは思っています。

ー 被写体の多くは抑圧を経験した友人たちだと伺いました。彼女たちを撮影する際、意識的にセーフスペースを作ろうとしているのでしょうか?それとも、その親密さは友人関係から自然に生まれるものなのですか?

意識的な思いもありますが、同時にそれが私たちの日常でもあります。抑圧に直面している友人は周囲にたくさんいますが、彼らと一緒にその場の空気に没入することで、自然に撮影が始まるんです。撮影は彼らにとって、現実から気を紛らわせるセラピーのような役割を果たしているのかもしれません。ですが、最初からそれを計画するわけではなく、ただ一緒に過ごすプロセスのなかで、結果としてそうなっていく。それが私たちにとって最もオーガニックな形なんです。例えばダーチャでの撮影も完全に即興でした。今回の展示で動画として投影しているうさぎも、ただそこにいたから撮っただけです。

ー 色の選択も非常に印象的ですが、モノクロとカラーはどう使い分けているのですか?

色の選択は、完全に直感によるものです。色にどこかへ連れ去ってほしいわけではなく、ある場所で叫んでほしいと感じることがあります。ある写真については色で叫んでほしいと感じ、別の写真ではあまり叫ばないでほしいと感じる。その内なる声に従っているだけなのです。

ー なるほど。故郷であるウラル山脈、また、ペルミという土地の美学は作品に影響していますか?

間違いなく影響していますね。故郷ペルミには、荒削りで地方特有のワイルドな空気感があります。アイデンティティは幼少期に見た風景で形成されるものですから、私のバックグラウンドは常に写真のなかに存在しています。エネルギーを補充したい時は、いつもペルミへ戻っていました。

ー 活動を開始した2019年当時を振り返り、ご自身のビジュアルスタイルはどう進化してきたと感じていますか?

写真を撮り始めた当初と比べると、今はより自覚的に制作に向き合えるようになったと感じています。フォトアーティストとして活動を始めたばかりの頃は、非常に本能的で、自分が何をしているのかさえ確信が持てないまま、ただただ直感に従っていました。ですが、次第に大学で学んだ哲学の知識やリサーチを制作にも取り入れるようになったのです。最新のプロジェクトである「ガット・フィーリング / Gut Feeling」は、まさに私が研究している哲学に深く根ざした、実験的な試みになっています。この知的な裏付けがあるかどうかが、活動しはじめた初期と現在を比べた大きな違いですね。

アーティストでいることは
生存のための戦い

ー 現在、ロシア人アーティストとして母国でも国外でも受け入れられないという苦悩を率直に語られています。ご自身のアイデンティティを石鹸の泡のもろさと比較されておりましたが、創作を続ける強さをどこに見出しているのですか?

ロシアでアーティストとして生きるのは本当に過酷です。正直、その強さがどこから生まれているのか自分でも分かりません。ただ、本物のアーティストであればそうせずにはいられないのだと思います。ロシアで写真撮影を理由に刑事訴追された時、危機の次に真っ先に考えたのは新しいプロジェクトに取り組むことでした。生き残るための唯一の方法は、創造し続けることだと直感的に思ったのです。私にとってそれは、抗いようのないほど自然な欲求だったのかもしれません。

ー 関連して、今まで特にインスピレーションを受けたロシアの写真家はいますか?また、ロシアの写真表現に特有の個性があると感じることはありますか?

正直に言うと、私はこれまで写真そのものからインスピレーションを受けたことがありません。ロシアでも国際的にもです。私のインスピレーションの源は常に写真の外側にありました。なぜ自分がこの媒体で活動しているのか、今でもよく分からないのです。なので、はっきり言ってしまうといないのです。ロシアにいた頃は、私の写真は「ロシア的だ」と言われることもありましたが、同時に「今のロシアでは受け入れられない」という意見もありました。むしろヨーロッパ的だと。ただ国外に出ると、逆にロシア的に見えることもあると思います。ロシアには奇妙で独特なものが多くて、その背景は私の作品にも反映されていますから。

ー 最後に、東京の観客にこの展示から何を感じ取ってほしいですか?

私の経験を共有することで、誰かの知識を広げたり、あるいは何かに没入したりするきっかけになればすごく嬉しいです。アートには常に何かを教える側面がありますが、私はそれよりも、私の経験に浸り、それを自由に解釈してほしいと願っています。もしこれが、誰かの意識を広げ、より深い場所へ行く手助けになるなら、それ以上のことはありませんね。

インタビュー中、彼女は何度も「生き残るために創造する」という言葉を口にした。それは単なる比喩ではなく、文字通りの意味のように強く感じた。自由を奪われかねない境遇に身を置きながら彼女が写し出すのは、美しさと醜さ、そして希望と絶望が分かちがたく結びついた、彼女の生きる世界の真実そのものだ。クリスティーナの魔法が解けたあとの世界には、冷たさすら帯びたリアリティと、それゆえに際立つ剥き出しの生が脈打っている。東京で公開される今回のエキシビジョンでは、私たちの意識を揺さぶり、世界の奥底にあるざらりとした手触りを思い出させてくれるに違いない。

クリスティーナ・ロシュコワ
ロシア・ペルミ出身。大学で哲学を学んだ後、2019年より本格的に写真家としての活動を開始。日常の断片に潜むグロテスクな美しさや、身体性をテーマにした作品で国際的に高い評価を得る。現在は活動拠点をヨーロッパへ移し、写真、映像、インスタレーションなど多様なメディアで表現を続けている。

Photo  Kyohei NaganoInterview & Text  Samuel PattisonEdit  Yutaro Okamoto  Samuel Pattison

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