D. T. SUZUKI

禅の教えを世界に広めた導師 鈴木大拙

Water Mirror Garden and Contemplative Space Bottom Exterior Corridor and Water Mirror Garden ©D. T. Suzuki Museum

海外では「D.T.Suzuki」と呼ばれる鈴木大拙は、禅の教えを世界に広めた偉大な導師として知られている。ぼくがまだアメリカに暮らしていた頃、現代音楽に革命をもたらしたジョン・ケージや『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で知られるJ・D・サリンジャーが、大拙に心酔していたというのは聞いていたものの、禅とか東洋思想にほとんど興味を持てず、「D.T.Suzuki」という記号のような名前が記憶に残っていただけで、どのような人物で欧米でなにをしていたのか知る由もなかった。

それから年月が経ち、MoMA(ニューヨーク近代美術館)や豊田市美術館などの美術館建築で知られる谷口吉生が手がけた大拙にまつわる建物が金沢にあることを知ることとなる。谷口建築のファンであったぼくは、谷口が設計を手掛け2011年に完成した「鈴木大拙館」を体験するべく、金沢に出向いたことがきっかけとなり、この思想家に俄然興味を抱いてしまったのだった。

金沢21世紀美術館に近い閑静な住宅地に佇む鈴木大拙館は、館内と水庭に面した回廊や周囲を廻るという動線となっているのだが、なにが驚きかというと、とにかく展示物が驚くほど少ないのだ。大拙の教えの理解を深めるための施設であるというのに、極端なくらいミニマルな展示で、逆にその「潔さ」がこの建物を際立った存在にしていて、いっさいの無駄を省いた極めて緊張感のある空間は、寺や神社とも異なる静的な瞑想の場のように感じ始めたのだ。

三つの棟と三つの庭からなるこの白い建物は、単にものを鑑賞する場とせず、それぞれの空間を回遊することで、大拙について知り、学び、そして考えることが意図されていて、そこから得た心の変化を自らの思索に繋げていくことを促すのだという。最初は戸惑いを覚えたものの、建物を出てくる頃にはどこか晴れ晴れとした気持ちになったのは決して盛った話ではない。

ここのもうひとつの主役が、塀で囲まれ水が張られた水庭であることは、現地に行くとすぐに理解できるだろう。ふいに静寂を乱す物音がし、一瞬前までは鏡のような水面に波紋が静かに広がるのだが、魚でもいるのかなと思ったら、水が湧き上がる装置が一ヶ所だけ設けられ、波紋を起こすという仕掛けが施されていたのである。そのなんでもない様子を水庭の中の「思索空間楝」からボーと眺めていると、思索するとまでいかなくとも、不思議とその水面をただじっと見続けられる心境に陥ってしまったのだ。

最小限の展示物を出発点とし、そこから刻々と変化する水の表情、建物が織りなす幾何学的な影、周囲の山の木々など、普段以上に見ることに意識を集中することで、ここの空間におのずと心が馴染んでしまうのかもしれない。「私が設計した美術館の中で、最も難しい課題が与えられた建物だった」というコメントを谷口は残しているが、なにもない空間、つまり‘無の心境’を形にしたのがこの建物なのだろう。

明治3年10月18日に金沢市に生まれた鈴木大拙は、石川県専門学校時代に後に京都学派の哲学者として知られるようになる西田幾多郎と出会い生涯の友となる。中途退学し、一時英語教師となり、その後上京し東京専門学校(後の早稲田大学)と東京帝国大学に学び、この頃から本格的に坐禅に取り組み始めるようになる。明治30年に渡米し、海外で12年間を過ごした大拙は、帰国後に学習院などの教授を歴任し、その後も日本と欧米を行き来しながら仏教研究とその普及に精力を注いでいく。

「移りゆく時間、そのほかに永遠はない。永遠は絶対の今である」(鈴木大拙『時間と永遠』より)と教えた大拙の思索は、自身の禅体験や仏教研究と、西田との相互の影響を通じて培われたものであったと言われている。それに加えて、米国生活で身につけた英語力で仏典の英訳や講演を行い、論文も精力的に発表(著書約100冊のうち、30冊以上が英文で書かれた)。さらに西洋の思想を深く学んでいったことで、それまでの自身の禅体験や仏教研究を基にした禅の教えを世界に広めていくこととなる。ケージやサリンジャー、そしてスティーヴ・ジョブズたちに仏教と禅への関心を喚起すると共に、西洋と東洋との対話の場を開く基礎を築いた人物として今もなお崇拝されているわけだが、鈴木大拙館に訪れると禅の真理というものが少しは体感できるのではないかと思うのである。

鈴木大拙石川県金沢市生まれ、本名は貞太郎。東京帝国大学在学中に鎌倉円覚寺に参禅し、居士号「大拙」を受ける。1897年に渡米し、1909年帰国後、学習院と東京帝国大学での講師、その翌年に学習院教授となる。1911年にビアトリス・レーンと結婚。1949年から58年までアメリカの大学やヨーロッパに赴き、英名D.T.Suzukiとして禅思想を講じ多大な影響を及ぼした。

河内タカ長年にわたりニューヨークを拠点にして、ウォーホルやバスキアを含む展覧会のキュレーションとアートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し主に写真関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口アメリカ編&ヨーロッパ編』『芸術家たち1&2』などがある。

◯ 鈴木大拙館
https://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/

Text Taka Kawachi

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