Travel through Architecture by Taka Kawachi

1930年代に建てられた モダニズム住宅の傑作 土浦亀城邸 河内タカ

アメリカとヨーロッパのモダニズムが奇跡的に混じり合った建物が戦前の東京に生み落とされた。それが1935年(昭和10年)に完成した「土浦亀城邸」であり、設計をしたのが建築家 土浦亀城(1897-1996)と共同設計者の妻・信子(1900-1998)だった。土浦亀城は帝国ホテル建設のために日本にやってきたフランク・ロイド・ライトの右腕的な役割を果たした遠藤新を介して、東京帝国大在学中に図面を作成する製図工として建設に参加。妻の信子は政治学者の吉野作造の長女として仙台市に生まれ、画家や写真を撮る芸術家であるとともに、この家の設計によって日本人初の女性建築家となった。

ライトが帝国ホテルの仕事を解任され帰国する際、米国に来たらどうかと誘われた土浦夫妻は、1923年にライトのアトリエであるタリアセンで約3年間の修行時代を過ごすこととなる。その時の同僚にはロサンゼルス周辺でミッドセンチュリー建築を数多く手がけたルドルフ・シンドラーとリチャード・ノイトラ(共にオーストリア出身)のほか、スイスのチューリッヒ出身の建築家ヴェルナー・マックス・モーザーも在籍していた。日々ライトの下で学びながら、その傍らで欧州のモダニズム建築にも知見を得るというかなり恵まれた環境にいたのである。そして帰国後、夫婦二人して取り組んだのが上大崎に建てた白い箱型の自邸だったわけだが、意外にもそれはライト的なものではなくバウハウスの流れを汲むモダニズムスタイルを色濃く感じさせる建物だったのである。

この邸宅が戦前に建てられたモダンな住宅建築の中でも当時の姿を留めた希少なものであることはわりと知られていたが、無人のまま老朽化が進んでいたため遅かれ早かれ解体の運命は避けられそうもなかった。ところがである。解体ギリギリの瀬戸際で救済されることとなり、ポーラ青山ビルディング敷地内に移築。建造当時の姿を再現する復原作業が施され、現在は予約制で一般公開されている。2つの建物が少しずれながら組み合わされた地上2階+地下1階の造りで、大きく張り出したバルコニーとシャープな薄い庇(ひさし)がいかにもスタイリッシュで、戦前に建てられた日本の建築だとは信じがたいほどだ。復元時に変更された点としては、もともと南向きだったのが南西向きになり、石綿スレートの外壁から竪羽目板張り(板材を縦に連続して張った板張り工法)になったくらいで、そのほかはオリジナルの状態を留めている。

邸宅には正面左側にある入り口から入る。玄関で靴を脱ぎ少し階段を昇るとパーッと視界が開け、天井高が5メートルもある明るい空間が現れる。その吹き抜けのリビングからさらに階段を8段上がると細長のギャラリーがあり、そこからさらに上がると寝室と書斎へ流れるように繋がる。いわゆる「スキップフロア」を取り入れた立体的な構成が採用されているわけだが、水平ラインを意識した段差を巧みに用いたやり方はライトがまさに得意とするもの。土浦自身も「ライトのスタイルから離れたモダニズムをやっていたが、スペースを互いに組み込むやり方はライト譲りだった」と語っていたほどなので、この邸宅がライトと欧州モダニズムが外観と内観で混じりあったハイブリッド建築だということが理解できる。

リビング裏の食堂に足を踏み入れると、吹き抜けの居間とは対照的に天井高を抑えた空間となっている。驚くのは一般的な家庭の台所が土間にかまどだった当時に、システムキッチンや冷蔵庫を装備し、台所と食堂の双方から電話が取れるように回転式の電話機を設置するなど、いち早く米国のライフスタイルが実践されていたことだ。さらに今回の復原をきっかけに、夫妻が実際に使用していた食器類などの生活用品も展示され、当時の暮らしぶりを垣間見ることもできる。家政婦部屋の壁にすっぽり収納できる機能的なアイロン台も当時のままであるし、壁の塗装履歴を遡って当初塗られていた色に再塗装されたばかりか、現在では再現が難しい職人技の浴室のタイルを3Dプリンターを用いて新たに作り直したというこだわりぶりに唸ってしまう。

木造建築であるこの建物全体の状態はそれほど良くなかったようで、移築に伴う復原作業は難航したと思われるが、入念に進められた修復作業のおかげで存続していくことになったのは実に喜ばしいことだ。土浦邸は理想の住まいを求めた夫妻の探究心の結晶であり、彼らの長年の暮らしによって培われたモダンで楽しげな気の流れを感じられる。土浦夫妻がこの家の設計によって目指したのは、未来の日本が目指すべき新しい生活空間であったわけだから、その後の日本の都市住宅のあり方に大きな影響を与えたと言っても過言ではないはずだ。

The Tsuchiura Kameki House
建築家の土浦亀城・信子夫妻の自邸として建てられた昭和初期のインターナショナルスタイルの都市型住宅の筆頭格。白い箱型の外観、吹き抜けのリビング、スキップフロアによる立体的な空間構成のほかにも天井パネルヒーティングを用いた暖房設備、システムキッチンや水洗トイレなどもいち早く取り入れられていた。1995年に東京都指定有形文化財に登録され、1999年には近代建築の保存活動を行うDOCOMOMO JAPANによる最初の20選に選出された。一般公開が月に2日、水曜と土曜に開催され(要予約)、1日に2~3回ガイドツアーが実施されている。

河内タカ
長年にわたりニューヨークを拠点にして、ウォーホルやバスキアを含む展覧会のキュレーション、アートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し主にアートや写真、建築関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口 アメリカ編&ヨーロッパ編』、『芸術家たち 1&2』などがある。

Text  Taka KawachiPhoto  Tomoaki ShimoyamaEdit  Yutaro Okamoto

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