Travel through Architecture by Taka Kawachi
螺旋階段が美しいレーモンド建築 旧赤星鉄馬邸 河内タカ
アントニン・レーモンドが設計し、2022年に登録有形文化財に指定された「旧赤星鉄馬邸」のことを、レーモンドのファンでありながら名前どころか存在さえも知らなかった。その理由は後で触れるが、1934年(昭和9年)に完成した鉄筋コンクリート2階建ての個人邸で、レーモンドの脂が乗っていた絶頂期の作品の一つだ。軽井沢にある「夏の家」や「聖パウロカトリック教会」、そして「東京女子大学礼拝堂」とほぼ同じ時期に設計したということもあり、いったいどのような建築を見ることができるのだろう、と興味津々に邸宅が建つ吉祥寺へ出かけていった。
最初に目に入る外観は、円柱と直線の組み合せがまぎれもないモダニズム建築であり、円柱から迫り出した庇にはジャン・プルーヴェを連想させる明かり取りの丸窓が配されている。玄関から中へと入ると、外から見えた円柱には優美な螺旋階段が収まっていることに気が付く。縦長の4本のスリットから光が入ることで壁面に陰影をもたらしているが、エレガントな手すりの曲線はどちらかといえばアール・ヌーヴォー様式にも見える。
南側の全面が庭に面した間取りとなっていて、ガラス窓を連続させることで水平ラインが強調され、目の前に広がる庭園との一体感を生んでいる。この開放感を可能にしたのが、レーモンドが得意とする芯外し(しんはずし)という工法である。これは柱同士を結ぶラインから敷居を外にずらすことで、庭に面したオープンな空間となり、室内全体を明るく照らす効果をもたらしている。
奥へと進むと、子供部屋を含む和洋室が入り混じった部屋が連結するように続いていく。レーモンドの妻でありデザイナーのノエミ・レーモンドがデザインしたアカセコイヤを素材にした螺旋キャビネットやクロゼットが目を引きつつも、壁や床、カーテン回りには使用感が一段とある。というのも、赤星邸は、戦前は陸軍に、戦後は米軍に接収され、その後は修道女会のシスター養成施設として長く使われていたという経緯があったのだ。
2階にはかつて書斎として使われ、最盛期の赤星邸の名残りを感じられる作りつけの2つの飾り棚が現れる。棚の奥に開けられた68個の円形ガラスを通して外光が入るという仕掛けで、このような仕様の棚はほかに見たこともない。加えてその部屋に展示してあった写真によって、その棚もノエミがデザインしたことが確認でき、「まさにこのような状態で見たかったのだ!」と心の中で叫んでしまった瞬間でもある。
その書斎から進むと入り口の螺旋階段へと一周して辿り着く。この階段を颯爽と降りてくる赤星の姿に、当時の来訪者たちは威厳を感じたのだろうなと想像できるほど、この建築の肝となるスポットになっている。庭へ出ると緑豊かな芝生と木々、花々が広がり、建物横には日陰を作るための藤棚も設けられている。個人邸としてはかなりの大きさだが、昔はさらに広かったらしく、ここで赤星たちがゴルフを楽しんでいたというから驚きだ。さらに庭の奥にはタイル細工を施した噴水があり、そこから建物を振り返ると全景を見渡すことができる。白く水平に伸びる外観を見て思い出したのが、渡辺仁が設計した今は無き原美術館だ。同時代に建てられ、ゆるいカーブを描いていた原邸に対して、赤星邸は中央が「く」の字に曲げられているという違いはあるが、水平に延びる連続窓はミース・ファン・デル・ローエやル・コルビジュエを代表とするドイツの実験住宅を連想させる。
今でこそ旧赤星邸がレーモンドの作品として広く認識されるようになったが、現在見ることができる3棟の建物はレーモンドがすべてを設計したわけでなく、北側の礼拝棟と南側の集室棟は別の建築家が手がけたものである。さらにはレーモンドが手がけた中央の赤星邸もさまざまな使用用途を経た歴史があるため、長らくこの邸宅が世間から知られることがなかったのはそのような事情があったからだろう。
しかしそうは言っても、この建築はモダニズム建築と日本建築の融合を試みたレーモンドが自らのスタイルを確立する上で重要な役割を担ったことに変わりはない。レーモンドが施した様々な意匠や取り組みを探りにいく価値は十分に残っており、今後建造時の姿に改修されることを心から願うばかりだ。
Former residences of Akaboshi Tetsuma
成蹊学園の南に広大な敷地を構える実業家 赤星鉄馬の邸宅。もともと六本木の鳥居坂に自邸があったが、関東大震災で倒壊したのを機に、アントニン・レーモンドに設計を依頼し、昭和9年に吉祥寺に竣工した。しかし戦争の影響で赤星がここに住んだのは約10年のみで、1944年に日本の陸軍に、戦後はGHQに接収された。1956年からカトリック・ナミュール・ノートルダム修道女会が所有し、長らく修道施設として使われていた。2021年に武蔵野市に寄贈され、翌年には登録有形文化財に指定、現在は市の所有となっている。
東京都武蔵野市吉祥寺本町4丁目26−21
河内タカ
長年にわたりニューヨークを拠点にして、ウォーホルやバスキアを含む展覧会のキュレーション、アートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し主にアートや写真や建築関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口 アメリカ編&ヨーロッパ編』、『芸術家たち 1&2』などがある。
Text Taka Kawachi | Edit Yutaro Okamoto |