Singer Vehicle Design

LAから生み出される 究極のポルシェ911のリイマジン

今号のカリフォルニア、ロサンゼルス特集号において、どうしても話を聞いてみたい企業があった。それは、Singer Vehicle Design(シンガー ビークル デザイン、以下シンガー)だ。カリフォルニア、ロサンゼルスを拠点とするポルシェを専門に扱うビスポークのレストア専門ブランドとして、その名を世界に知らしめている。私たちが最初にシンガーの存在を知ったのは、Instagramの投稿からであった。実際に見ていただければお分かりになるだろうが、エンジンの造形や、巧みなインテリアのセンス、歴史に敬意を払ったボディカラーの数々、磨き抜かれたフレームワークなど、一切の隙を見せないまるで芸術品のようなポルシェの写真がいくつも投稿されている。そもそもこのポルシェは、今世界的にブームとなっている旧車をレストアしてモディファイするレストモッドが施された車体なのか、それともまた別の何かなのか、日本ではまだシンガーに関しての情報はほとんどない状況だったため、その実態は想像の域を出ないままであった。そして今回、LA特集号にてシンガーへ正式に取材のオファーを送ると、彼らは快く自らの施設へと私たちを招いてくれた。産業が盛んなトーランスから程近いエリアに、広大な施設を構えるシンガー。本施設への日本初、世界で2度目となる訪問、取材を通して、知られざるシンガーの実態や哲学に迫っていく。

シンガーで手がけられた車体のアイコニックな特徴として、給油口がボンネットの真ん中に位置しているディテールがある。これはラリーレースの際車のどちらの側からも素早く給油をするために考えられた位置で、シンガーのレストアには随所にそうしたレースやラリーのディテールが散りばめられている。エンジンは最後の仕上げで、シンガーの明確な基準で定められた12のステップがある。それをクリアして初めてクライアントの元へ届けられる。
よりパワフルに、よりサウンドフルに
そして、よりラグジュアリーであること



Porsche 911
reimagined by Singer

取材のため工場へ向かった私たちをまず出迎えたのは、シンガーが誇るエンジンの模型だった。写真でしか見ることのなかったエンジンを前に、改めてその造形の美しさに目を見張る。模型を前にして、取材時に帯同をしてくれた担当者のマイケル・ヘンダーソンは、シンガーについて語り出す。「シンガーにおいて最も大切な考え方は、私たちが作っている車両はあくまでポルシェであるということ。モットーは『Porsche 911 reimagined by Singer』。私たちによって再考された100%ポルシェの911であることが非常に重要です。レストモッドではなく、リイマジン。ポルシェに敬意を払って私たちはそのような言葉を使っているんです。その中でも私たちが製作をする第1期の911はすべてタイプ964をベースとして作られています。そして手がけるエンジンは、ごく一部のパーツを除いてほぼすべてをオリジナルで製作しているんです。基本的にタイプ964は空冷のエンジンしか作られていませんが、私たちのエンジンは空冷、空水冷式のどちらも手がけています。一般に馴染みのない空水冷式とは、空冷によって熱くなった空気がラジエーターを通り、水冷の機構によってさらに冷やされ、エンジンを冷やす効果を飛躍的に高めたエンジンです。そして何よりも私たちが誇りに思っているのは、DLSというモデルのために製作をしたエンジンで、2021年に『Top Gear Engine of the Year』を勝ち取った事。それは本当にとてつもないことなんです。フェラーリやランボルギーニなどの名だたるカーメーカーを押さえて、シンガーのエンジンが選ばれたという事なのですから」。2009年にカリフォルニア州ロサンゼルスで設立されたシンガーは、その後わずか10年余りで現在の世界的に評価されるブランドへと成長を遂げている。『Top Gear Engine of the Year』を取っていることからも、彼らの技術力こそがそのような偉業を後押ししていることがわかるだろう。そもそもタイプ993以降の1997年からは、ポルシェでも空冷エンジンを作れなくなってしまった。なぜなら年々厳しくなる排気の規制を意識しながら従来のパワーを維持することができなくなってしまったからだ。しかし、シンガーはいまだに空冷や空水冷式のエンジンを作り続けている。もちろん排気の規制は十分にクリアしながら。あのポルシェでも成し得ないことを彼らはやってのけているのだ。「製作するエンジンはもちろんオリジナルの911と同じ伝統のフラット6(水平対向6気筒)です。フラット6がスポーツカーに向いているのは、ほとんどの車がピストンが上下に運動するのに対して、フラット6はピストンが平行に移動するので、エンジンを通常よりもずっと低い位置に置くことができるんです。だから重心が低くなって車両が安定する。そして音はポルシェの音の伝統を引き継いでいます。創業者で最高経営責任者のロブ・ディキンソンは、いつも次のことを言っていました。ラジオで音量のつまみが1から10まであったとしたら、俺たちが目指すのは、常に11だ。よりパワフルに、よりラグジュアリーに。よりサウンドフルに。これはエンジンのみならず、シンガーのデザインやその他すべての哲学に共通していることなんです」。
シンガーにおいてエンジンと同じくらいアイコニックなのは、そのボディのフィニッシュでもあるだろう。ポルシェが1964年に発表をしたタイプ901(初代911)を彷彿とさせるクラシックな外観。ヴィンテージに忠実な色とりどりの卓越したペイントワーク。驚きなのは、それらを実現する全ての作業を職人による手仕事で行なっているということだ。
「タイプ964のベースフレーム以外のパーツは、フェンダーやフッドなど一度すべて取り除きます。それらをすべてカーボンファイバーで作り替えて車体に戻すんです。外観のフォルムはオリジナルの901をインスピレーションとして再現をしていて、シンガー創業者のロブが、カーボンファイバーで作り替える901のパーツのモールドを手作業でシェイプして作りました。安全上の理由で、ドアの部分とシャシーだけはベース車のオリジナルのメタルパーツを使っていますが、それ以外はすべてカーボンファイバーでパーツを作り直して使っている。そのおかげで600ポンド分、オリジナルの車体よりも軽くすることができているんです。またすべてのパーツの隙間、ボンネットを締めた時の隙間や、ドアを締めた時の隙間は4mmで統一されています。どこを測っても4mm。全部手作業でその正確さを出している。それは想像を絶することです。私たちのデザイン上の抜かりないこだわりでもあります」。ベースとなるフレーム以外は、エンジンを含むすべてのパーツが手作業で作られているということに、日本の伝統的な職人芸に通づる質の高いものづくりに近い価値観を感じさせられた。施設で働くすべての従業員は仲間同士の連携を取り合いながら、互いを信頼し、誰がどの作業をしているのか把握しあっているのだという。かつてポルシェが964を世に生み出した際にも手作業によって作り出されたと言われているが、それから30年ほどがたった今、タイプ964はシンガーによって、またしても手作業で新たな命が吹き込まれているのである。

タイヤはオリジナルよりも、少しワイドなものを採用している。ホイールはオリジナルの901に採用されていたデザインのFUCHS Wheels。クローバーの花をモチーフにしてポルシェのデザイナーが開発したものをオマージュしている。DLSにはレーシングカーの仕様としてよく見られるセンターロック固定方式を採用。

クラシックスタディはすべてセンターマフラー、DLSやターボではデュアルマフラーが選択されている。チタンのオプションもあるそうだ。








シートを含むインテリアも同じく施設内で制作。手作業による細やかな手仕事によって、非常に美しい内装を生み出す。素材や組み合わせのパターンは200種を超える用意があり、クライアントの希望を正確に実現する。


車を売るのではなく
体験を売るということ

手作業により緻密に調整をされたカーボンファイバーの外装、そして独自に開発した空冷・空水冷式のエンジンによって、シンガーの車両は最新のスポーツカー顔負けのスペックを誇っている。「私たちの開発しているDLSというモデルのためのエンジンはおおよそ510馬力ほどあります。さらに車両の重さも極限まで軽く調整しているので、他の車両とは全く異次元のドライヴフィーリングを感じ取ることができるはずです。例えばブガッティの車両は1000馬力で、重さが5000ポンドほどありますが、私たちの車両は半分の馬力でも、車重は半分以下。まったく新しい運転のフィーリングが約束できるんです。また停止状態から100キロに到達するまでの時間は、901の外観を再現したクラシックスタディと呼ばれる車両で4.5秒。さらに上のグレードのDLSと呼ばれる車両で4.1秒です。これは現行の最新スポーツカーにも引けを取りません。車にとって一番大切な要素は、エモーションだと考えています。ギアを変える時の高揚感であったり、アクセルを開けたときのガソリンの匂い。そんなノスタルジックでクラシックな運転の体験。それを感じることのできる車両を皆さんに届けることことが一番の喜びであると考えているんです」。

すべての工程を終えてクライアントへの納車を待つ車両は、ブランドカラーのオレンジのカバーがかけられ施設の一画に整然と並べられその時を待つ。ベース車両を預けてからのレストアのすべての工程はカメラマンによって撮影され、クライアントへと送られるのだそう。
手作業から生み出される
フルオーダーメイドの芸術品
ポルシェとシンガー
両者の究極のサステナブル

「ポルシェとシンガーはオフィシャルではありませんが、とても良いビジネスパートナーシップを結んでいます。お分かりになる通り、私たちの作り上げる車両は徹底された品質や極めて美しいデザインが強みです。ポルシェにもそれを知っていただいていています」。1963年に誕生して以来、今まで作られてきたポルシェ911の7割以上は現在も現役で公道を走行しているとも言われるほど、廃車率が非常に低いことでも知られている。それは昨今のサステナブルという観点から見ても、ある種究極の答えなのではないかと考える。本当に良いものを長く乗り続ける。そんな美学がポルシェというブランドには息づいている。シンガーで車両のレストアをオーダーする際には、発注者はベースとなるオリジナルのタイプ964の車両をドナー車両として用意することが必須の条件となっており、そこに新たな命を宿しこれから先の未来に遺す車両が生まれていく。根本の美学が共通しているからこそ。ポルシェとシンガーは良い関係性が結べているのではないだろうか。

車のオートクチュール

タイプ964のベースフレームにカーボンファイバーで新たに作り直した外部パーツを取り付ければ、次の作業工程はインテリアの取り付けへと移っていく。内部パーツの取り付けを実際に従業員が作業をするスペースへと案内をされたが、まず驚いたのはその広大さ。そして綺麗さであった。真っ白な床には色とりどりの作業中の車体が置かれ、まるでテーマパークに迷い込んだかのような錯覚に陥った。そんな工場内では、300人を超える従業員がそれぞれの作業に没頭している。「いかなるクライアントの要望に応えるために、シートの革材一つをとっても常時200種類以上の革の色を用意しています。それはボディの塗装の色も然り。内装に関しても、機械は一切入れずに、全て手作業で行なっています。柄、素材、どんなリクエストでも実現できないことはありません。しかし例えばバスケットボールプレイヤーが自分の背番号をどこかに入れたいと言っても、それは私たちの理念に反します。だからそれを実現することはできない。私たちは車を売っているのではなくて、極上の体験を届けている。シンガーの理念に反していなければ、どのようなオーダーも実現することができるんです。要望はもちろんクライアントによってそれぞれ違うので、2台と同じ車を作ることはありません」。シンガーでは一貫して作業工程のすべてが抜かりのないハンドメイド、手作業で行われている。それはまるで車のオートクチュールともいうべき存在であるだろう。オーダーをするためには基準などは特にないそう。タイプ964のベース車両を所有していれば誰でもオーダーが可能である。ただフルオーダーメイドのため一台の車両を仕上げるのに、平均して大体4000時間かかるそう。今オーダーをした場合、納車は2027年ごろになるそうだ。

シンガーのこれから

長い時間をかけて作り出されるシンガーの芸術品とも言える車両の数々。実は今回紹介をしたタイプ964をベースに901の外観を投影したクラシックスタディと呼ばれる車両は、450台目の生産を最後に受注をストップさせている。そしてこの先も受注をすることはないそうだ。DLSと呼ばれる車両も75台を最後に同じく受注を停止。世界中からオファーが殺到する中で、なぜ生産を辞めてしまったのか。「理由は明確です。リミテッド、限定性を持たせたいから。フェラーリは5000台で限定というけど、シンガーは10分の1以下の450台しか作らない。街やビーチでフェラーリの5000台限定の車両は運が良ければもしかしたら見ることができるかもしれない。でもシンガーの車両は決して見ることはできないと思う(笑)。それは冗談ですが、それくらい私たちの車両は特別でありたい。日本にも出荷が控えている車両があるので、運が良ければ見られるかもしれないですね。そして今私たちが取り掛かっているのはターボと呼ばれる車両で、今の段階で200台ほど受注を受けています。この先何台で受注を締め切るかはわからないですが、ターボの次も私たちは必ず別のモデルをリイマジンしていくんです。今年の夏以降に新しいバージョンを発表することを含め、今後10年を通して新しいバージョンを発表していく予定です」。

1モデルのレストア数が世界で500台以下、そして一度作った車両は2度と作らないという超限定性が彼らの車両の価値を高めていることは言うまでもない。この先シンガーがポルシェのオリジナルの964をベースとしてどのようなものづくりを行なっていくのか、そして何台手がけるのか。その動向からは目が離せない。この先もシンガーは、レストモッドではなく、価値の再創造として、最新のテクノロジーと情緒が共存した最高の運転体験を提供し続けてくれることは間違いないだろう。

創業者であり、経営最高責任者のロブ・ディキンソン。オリジナルのタイプ901からインスピレーションを受け、彼が手作業でシェイプしたモールドは、カーボンファイバーでのパーツの製造に欠かせない。

Singer Vehicle Design
https://singervehicledesign.com/

Photo Singer Vehicle Design
Interview Takuya Chiba
Translate Kyoko Fukuda
Coordinate Megumi Yamano
Text Shohei Kawamura

Related Articles