Products for Feelin’ Good by Yataro Matsuura
日本のクラフトの 原点のような存在 松浦弥太郎

温泉地の土産物屋や祖父母の家のガラス棚。多くの人にとって、こけしとはどこか懐かしく、少し古めかしい存在かもしれない。だが、その背景を辿ると、そこには日本の民芸や旅の文化、さらには土地ごとの歴史が深く刻まれている。約200年前から、全国の湯治場の近くで作られてきたこけしは、もともとは子どもの玩具であり、また温泉に訪れた人々が持ち帰る土産物でもあった。産地ごとに形や顔、着物の模様は異なり、その土地の風土や作り手の個性が静かに受け継がれてきた。

松浦弥太郎も、こけしに魅了され続けているひとり。松浦が所有するのは、秋田の木地山系と呼ばれるこけしだ。木地山系の特徴は、頭と胴が一体になった独特の作り、そして前掛けのように描かれた“団子梅”の模様にある。なかでも松浦が惹かれているのが、小椋久太郎によるもの。父である小椋久四郎とともに木地山系を代表する工人として知られ、今では久四郎の作品は“幻”とも言われるほど手に入りにくいという。
「僕が木地山へ行ったのは20代前半の頃です。こけし好きの友人に連れられて、秋田の山奥まで買いに行きました。米沢から車で6、7時間ほどかかった記憶があります。近くには泥湯という温泉があって、本当に山深い場所でした。その場所で、こんなにプリミティブなやり方でものを作っている人たちがいるのかと驚きましたね。その時に、こけしに対する自分の認識が変わったんです」。

当時は『工人手帳』というものがあり、全国のこけし工人の写真、住所、電話番号、師匠の系譜まで掲載されていた。それを見て作り手のもとを訪ね、直接購入する文化があったという。松浦もその手帳を頼りに工房を訪れた。広い和室には何百体ものこけしが並び、作り手は一日中、座って顔や模様を描いている。特別な接客があるわけではなく、「どれがいいの」と聞かれるだけで、自分で選んで買う。そんな素朴なやりとりだった。
「僕は新しいピカピカしたものではなく、古いものが欲しかったんです。『古いのはありませんか』と何度も聞いて、奥から出してもらった覚えがあります。作り手も本当に出来のいいものは隠していて、好きな人や知っている人にだけ見せるようなところがありました。そんなやりとりの中で手に入れたのがこの3体なんです。この3体は、顔がとてもいい。お母さんと娘と赤ちゃんという、自分にとっての完成されたセットなんです」。
写真に収められた3体は、大中小の親子のようにも見える。小さなものは“えじこ”と呼ばれ、おくるみに包まれた赤ん坊のような姿をしている。首を回すと木が擦れてキュッキュッと音が鳴り、子どもが遊ぶ玩具としての名残も感じられる。作家ごとに特色が変わり、1つ1つ表情の違うこけしは集めたくなるのだが、松浦は、こけしをたくさん持ちすぎると部屋の中に独特の世界観が強く出すぎてしまうため、10体以内に抑えているという。こけし好きの間では“ちょっと置き”と呼ぶそうだが、「ちょっと置きくらいが、僕の生活には馴染むと思うんです」と松浦はいう。では、松浦にとって今の時代にこけしはどのような存在として映るのか。
「こけしは、旅で持ち帰るものなんですよね。遠くの温泉地へ行き、その土地の工人を訪ねて買って帰る。それは旅をした証でもあるし、日本のクラフトの原点のようなものでもあると思います。なくなりつつある伝統的な工芸品のひとつだからこそ、今あらためて見直される気がしています」。
素朴でありながら、どこか謎めいた表情を持つ木地山系のこけし。飴色に変化した木肌や、手描きならではのわずかな揺らぎには、土地と時間、そして作り手の気配が宿っている。松浦にとってこの3体は、単なる民芸品ではなく、若き日に山奥まで出向いた旅の記憶そのものなのだ。
松浦弥太郎
1965年、東京都生まれ。エッセイスト、クリエイティブディレクター。2006年から2015年まで「暮しの手帖」編集長を務める。現在は多くの企業のアドバイザーも行う。
| Photo Kengo Shimizu | Interview & Text Takayasu Yamada |












