Interview with Shoji Morinaga (Woodturner)

木工作家 盛永省治に聞く ウッドターニンの根源的魅力

一本の丸太に見出す
想像力というPrimitive


心に響く形を削り出す
盛永省治

「本日は悪天候のため、着陸が困難な場合は羽田空港へ引き返す可能性がございます」というアナウンスに不安を覚えながら、鹿児島空港行きの飛行機に乗り込んだ。目的は、木工作家盛永省治に会いに行くこと。盛永はウッドターニング(木工旋盤という機械を使い、木材を回転させながら様々な形を生み出す技法)を独学で習得し、温かみのあるフォルムや艶のある質感が特徴的なウッドボウルやスツールなどを生み出す木工作家だ。

鹿児島空港から車で一時間ほどの場所にある彼の工房に向かう道中、高速道路から見える左右の景色は見る見るうちに緑だけで埋め尽くされていった。天気のせいか霧も立ち込み始め、どこか神聖な森へと誘われるような感覚にすらなっていく。そうして工房へ到着すると、「初めまして。はるばるようこそいらっしゃいました」と少し気恥ずかしそうに、しかし人柄が伝わる笑顔とともに盛永が迎えてくれた。国土の7割を森林が占める日本にとって切っても切り離せない木という存在。生命力と時間の結晶である一本の丸太を削り出し、新たな命を吹き込む素朴なものづくりに盛永は何を思うのか。

店に並ぶ木材より
朽ちた丸太に惹かれる

雄大な緑と田畑に囲まれ、ガタンゴトンという電車の音が聞こえてくるのどかな場所に盛永の工房はある。軒先には雨に濡れる数本の丸太が横たわっており、新たな形へと生まれ変わるときを静かに待っていた。まずはその丸太探しに盛永は連れて行ってくれるという。

「山を切り開くために伐採された木材の集積所が近所にあるんです。ほとんどが広葉樹なのですが、硬くて使い道がないから砕いて木材チップや燃料となるのですが、勿体無いという気持ちも強くて、それらの丸太を買い取らせてもらっています。鹿児島には僕以外にも木工作家は多くいらっしゃいますが、使う材料や削り方は人それぞれ。市場で綺麗な木材を買う人が多いですが、僕は市場に行ったことすらなくて(笑)。当然のように並べられている市場の木材よりも、砕かれてチップになる寸前の丸太や切れっ端のような木材の方が素材として興味があるんです。中には内側が腐っているような丸太もあるのですが、作品にするとその朽ちた部分が個性として活きてくる。菌や微生物が入り込んだ丸太だと、木目の模様が面白く出てきたりもします。木工を始めて15年になりますが、今では丸太の断面を見るだけで内側の状態がわかるようになりました。この集積所は僕にとって宝の山のような場所ですし、作品として輝ける素質のある丸太を木材チップにされる前に救ってあげる気持ちです」。

そう話す盛永は大量に積み上げられた丸太を前にして目を輝かせ、「この木目すごくいいな。印をつけておいて今度持って帰ろう」と子供のように嬉しそうな表情を浮かべていた。ものを作るためにお店へ材料を買いに行くのはごく普通のこと。しかしその当然にただただ従うのではなく、「自分が使いたい材料はお店にあるものなのか?」と考え、処分前の木材をアイディア一つで作品に生まれ変わらせる盛永。

木材を削ることで出る木屑は近所の人が引き取って燃料にしたり、腐らせて畑に撒く堆肥になるという。そうやって素材の全てに無駄のない循環システムが見事に出来上がっている。このDIY精神は、ものが溢れる消費社会だからこそ誰もが意識すべきではないだろうか。ラベルの貼られた新しいものをわざわざ買うのではなく、十分に役目を代用できるものは自分の周りに転がっているのだ。そういうアイディアのひらめきこそ、忘れてはいけない人間の大切な能力ではないだろうか。

木と対話し
直感的に形を考える

丸太は工房に持ち帰られ、適度な大きさにチェーンソーで切り出す。それを木工旋盤という回転する機械で削り出して形にしていくのだ。作品としての形は、木材を削っていく過程で頭に浮かんでくると盛永は話す。

「削ることで内側の木目や割れが見えてきたら、それをいかしつつ形としても成立するように考えていきます。例えば楠木一つにしても、一本ごとの木目や色合いなどの個体差はバラバラです。その個体差をプラスに捉えれば、自ずと僕の作品の個性としていきてきます。削り出す作業には集中力が求められますが、木と対話して性格を掴むような時間がとても楽しいです。実はウッドターニングを始める以前には、大工として働いたり、机や棚などの家具を作ったりしていました。どちらも寸法や工程がきっちりと決まっているので、長年続けているうちにそういう細かいことに従う作業に疲れてしまったのかもしれません。その仕事から独立する形で、木工作家としての活動を始めたんです。ウッドターニングにもある程度の制約はもちろんありますが、木材に対する向かい方や頭の使い方は全然違う。自分の内面から出てくる表現をできる感覚があります。誰かに弟子入りしたわけではないので、動画を見たりして道具の使い方から我流で研究しました。だから僕の作風が正しいと胸を張って言い切れるわけではないですが、自分の直感や心から作品が生み出されていることだけは間違いありません。僕にはこれしかないという気持ちで作っているからこそ、木材を使った新しい表現をずっと探してます。形のインスピレーションとしては、縄文土器や紀元前のギリシャのキクラデス文明、陶芸家のハンス・コパーやオットー・ナツラーの作品の影響はあります。なぜそれらに惹かれるのかはわからないですが、とにかく心に響いてくる。だから僕も、誰かの心に響く形を生み出したいんです。ウッドボウルやプレートはもちろん実用的に使えますが、道具として作っているつもりはなくて。だから作品としてそのまま置くだけでもいいですし、お客さん自身が作品に向き合って使い方を自由に考えてもらえると嬉しいです」。

一本の丸太という無垢な素材に想像力を働かせる盛永。道具としてではなく、木の個性を活かす新たな形を目指して削り出すからこそ、彼の作品も人間のような表情を見せ、個性が溢れているのだった。合理化が進み、画一化されたものが増える現代。それはおそらく、そういうものを生み出している人間自身や生活が画一化されつつあるからではないだろうか。だからこそ盛永のように目の前にある事物に想像力を働かせ、心に響くものを追い求めたい。想像力やアイディアこそが、忘れてはいけない人間のプリミティブな能力であるはずだから。

「自分だけで作り、完結する仕事が性に合っている」と盛永が話す通り、丸太選びから削り出し、作品の梱包から発送まで全てを一人で行っている。自然からのインスピレーションを石や木を素材として表現するアメリカの彫刻家アルマ・アレンのもとで働いた経験もあり、原木から削り出す方法はアルマから学んだという。「あとは、とにかく情熱を持って作るという姿勢も彼から学びました。アルマは毎日朝早くからしっかり働いていて、だからこそしっかりと良いものを生み出しているんです。僕も日曜日以外はずっと作業に没頭しています(盛永)」。

盛永省治鹿児島県出身。大学ではプロダクトデザインを学び、大工やランドスケーププロダクツでの家具作りの経験を経て木工作家に転身。独学でウッドターニングの技を磨き、ウッドボウルやスツール、オブジェなど幅広く制作を行う。

Photo Hiroki IsohataInterview & Text Yutaro Okamoto

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