ART A Mirror of the World KEIICHI TANAAMI

ピカソという素材を使って 自分の絵画の実験をやっている

アトリエ内にある田名網の部屋。絵画や絵の具、書籍、これまでに制作してきたグッズやポスターなどが所狭しと配置している空間は田名網の作風とも通じる。

強い色彩によってキャンバスいっぱいに描かれる戦争のモチーフや漫画のキャラクターといったインパクトのある作風で知られる日本を代表する現代美術家、田名網敬一。そんな田名網が、ピカソ作品の模写をした展示を行うという話を聞きアトリエに伺った。これまで絵画からコラージュ、映像などジャンルを越えて斬新な表現で第一線を走り続けてきた人物が今なぜピカソなのか。

国内外での展示やファッションブランドを始めとするコラボワークも盛んな田名網だが、新型コロナウイルスによるパンデミックを境にした世界的な生活の変化に彼も例外ではなく長年のライフワークが一変することとなった。「仕事や展覧会、出版物など予定していたものが全部ストップしてしまい、忙しかった毎日から急に暇になりました。つまらない毎日を送る中で、何をやろうかと考えていた時に目にしたのがこれなんですよ」。そう言って指を差したのが田名網のアトリエに置かれたピカソによる一枚の絵。だが、その絵を観ると確実にピカソが描いたものではないと確信ができる。なぜなら、そこに描かれているモチーフがあの“鉄腕アトム”を模しているから。「昔、鉄腕アトムに関する展示があって。その時に『田名網さん、何か描いてほしい』と頼まれて描いたのがこれなんですよ。ピカソの“母子像”という有名な絵で、母親が子どもを抱いているんですが、その子どもをアトムにして描きました。今でも気に入っていて、ずっとアトリエに飾っていたんですが、コロナ禍で時間ができて何をしようか考えていた時にこの絵を見て、もう一回ピカソの模写でも描いてみようかと思ったわけです」。

たまたまの思いつきによって、アフターコロナの約3年前から始まったというピカソの模写。今回の展覧会では、300点以上もの数を展示しているのだが、どれを観てもどこか田名網らしさのあるピカソの絵が揃う。だが、最初はできるだけ忠実に写して描いていったと話す「。今の若い人からしたら、ピカソといっても特別関心がなかったりするんじゃないかな?。実は僕もそうだったんです。それで、模写をし始めた時も10枚くらい描いたらやめるんだろうと思っていたんですが、描いていくうちに、『やっぱりすごいな』と思う部分を随所に感じることができてやめられなくなった。いまだに描いていて、気づけば500枚くらいになったんです」。田名網がこれまでに描いた500枚の模写というその膨大な数に驚愕する。ピカソの偉大さに関しては、誰もが異論など無いくらい最も有名な芸術家ではあるが、500枚も模写させるほどの魅力は同じ芸術家にしかわからないものがあるのだろう。観る側ではなく描く側からのピカソの“すごさ”とは一体何か。

「ピカソは生涯で10万点くらい描いているらしいんです。一般的な絵描きっていうのは、大体2000点くらい。だから10万点っていうのはもう破格の数字。ウォーホルみたいにプリントしている人はもっと多いけど、オイルペインティングのアーティストっていうのは大体それくらいが限界だと思います。だから、まずピカソがなんでそんなに多くの絵を描けたのかって疑問を持つじゃない。なぜかと言うと、普通の絵描きはパレットで絵の具を溶いて、それで調色して描きますよね。ところがピカソは、画面の中に使いたい色を全部キャンバスに出して、その上で描いている。全ての作品ではないですが、そういう描き方を随所にしているからものすごく速いわけなんです。そういうことが模写してないとよくわからないんだけど、模写しているうちに見えてくるんです。それからデフォルメの仕方もそうです。例えば、ピカソが描く手は奇形的な形をしているんですが、そうなる理由がわかってきたりする。そういう1つ1つの発見がすごく面白いんです」。模写を続けるうちに見えてきたという多くのピカソの技法。その技を習得するように描き続けるうち、やがて手本を観なくてもピカソの絵を描けるようになっていく。まるでピカソの作画の方程式を身につけたように。そうして、キャンバスに表れたのは、田名網流のピカソだ。「どうしてこんなに描き続けたのかを考えると、ピカソという素材を使って自分の絵画の実験をやっていることに気がついたんです。ピカソを描いているんだけど、その瞬間にも僕自身のイメージは湧いてくるじゃないですか。例えば食べ物のことも考えるし、ほかのことも考えるわけです。そうすると、ピカソを観ながらも頭の中で色々なイメージが複合されていきます」。ピカソの絵を捉えながらも頭の中によぎった様々な考えがキャンバスに投影されていくことで、田名網のピカソシリーズが生み出されていったようだ。インプットしたものはピカソの絵でも、アウトプットすると違ったものになる。そうした変化を“鏡”と捉え、今回の展覧会のタイトルを“世界を映す鏡”とした。「鏡に映ったものは決して真実ではないんです。例えば鏡に映った自分の姿はリアルな実像ではない。誰かが僕を見た時の姿とは違うためです。風景もそうで、観る時の身体のコンディションや天候、光によっても変わります。どの瞬間が自分にとっての真実なのかというのは、刻々と変わっていくからわからない。テープで録音した自分の声を聴くと全然違って聞こえるように、真実の姿というのは、人間がいくら追求しても一生見れないものなんだと思います。“世界を映す鏡”というのは、真実を追求してはいるんだけど、本当の姿というものは絶対に見れないという考えをテーマにしているんです」。今回、原宿にあるギャラリーNANZUKA UNDERGROUNDで行われた展示では300点程のピカソシリーズの作品が展示されていたが、その中でも一際インパクトを与えていたのがキオスクを模したインスタレーションだった。日本では駅などで日々目にするキオスクだが、理由について田名網はこう答える。「キオスクって、小さな店の中に食べ物から新聞、雑誌、薬と何でも揃う。まるで弁当やお節料理のように一部の隙もなく、綺麗に配分されて詰まっているわけです。僕の絵を観てもわかると思いますが、ちょっと空間恐怖症的なところがあって、色々な要素を入れ込むのが特徴だと思う。それはキオスク的な発想で、狭い空間の中にありったけの情報を詰め込んでいくんです。そう言うこともあって、僕はキオスクを配置して。ピカソのシリーズが並んでいる設定にしたかった」。そうした表現方法もまさに田名網らしいと言える、過去には、グラフィックデザインや雑誌のアートディレクターも務めた田名網だけに、作風に編集的な表現の多い同氏。自らのことも「雑誌的な人間」だと言う。「昔から雑誌が好きでした。表紙があって、口絵があって、写真のページや小説、漫画のページなど雑誌ならではの雑多な方向性が好きなんです。色々な素材を集めて、それを編集して印刷してという雑誌の編集を僕は絵でやっているんです」と話すように、絵として描くのではなく、編集的な工程を経て絵を仕上げていく田名網。今回のピカソの展示でも、面白みを出すためにあえて変えた部分があると言う。それが使用する筆である。ピカソは太い筆で大胆に描いたのに対し、田名網はあえて細い面相筆を使用した。これによって絵の成り立ちがピカソのそれとは変わり、田名網ならではのオリジナリティとなっている。

これまでの歴史の中でも芸術家は、過去の名作から影響を受け、技法や作風を取り入れることは一般的であった。大切なことは過去の作品から何を学び、自分の作品としてどう表現をするか。田名網はそうした表現を実験と編集によって行い続けている。

ピカソの模写を始めるきっかけとなった、過去に鉄腕アトム展のために描いたという母子像の絵。アンディ・ウォーホルの作品(右)と親交のある八代亜紀が描いたという田名網の肖像画(左)とともにアトリエ内でも目立つ場所に置いていた。

アトリエには自身の作品集や親交のある作家の作品集、雑誌など数多くの書籍が至る所に置かれており、その中にもピカソの画集を確認することができる。

東京・神宮前にあるNANZUKA UNDERGROUNDで12月25日 (日)まで開催されているピカソシリーズを中心とした田名網敬一の展示“世界を映す鏡”では、壁に掛けられた作品の展示のほか、キオスク型のインスタレーションでも作品を展示している。

田名網敬一
1960年代よりグラフィックデザイナーとして、映像作家として、そしてアーティストとして、メディアやジャンルに捕われず、むしろその境界を積極的に横断して創作を続ける。その半世紀を優に超える活動の歴史と軌跡は、21世紀における新たなアーティスト像の模範として、世界中の若い世代のアーティストから絶大な支持を集めている。近年では、adidas Originalsとのコラボレーション「Adicolor × Tanaami」コレクションを発表。その精力的な創作活動の様子は、情熱大陸にも取り上げられ、大きな反響を呼んだ。また、リニューアルオープンしたNY近代美術館(MoMA)にも作品が常設展示されるなど、戦後日本を代表するアーティストとして唯一無二の評価を受けている。

Photo Yuto KudoInterview & Text Takayasu Yamada

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