Why carry a “Camera” ?

永瀬正敏(俳優/写真家)は なぜカメラを持ち続けるのか

永瀬が20代のころ、手元にある数少ないフィルムで1枚だけシャッターを切ったニューヨークでの写真。「おじさん2人が気持ちよさそうに寝ている光景が愛おしかったんです。お酒でも飲んで気持ちよく寝ているのかと思いつつ、もしかするとそうではなく、死んでいるのかもしれないと不安にもなりました。両方の感情を持ちながら撮影した1枚です。結果として2人は動いていたので安心しましたが、気持ちよさそうな表情や、路上で寝ているたくましさに“生”を感じました」。

俳優、永瀬正敏。高校生の時に映画デビューを飾り、現在まで国内外の映画やドラマで活躍し続けている。“カメラに撮られる側”としての永瀬だけでなく、“カメラで撮る側”としての一面を知る人も少なくないのではないだろうか。戦前から戦後の混乱期まで写真師を生業とした祖父をルーツに持ち、自身もさまざまなカメラを用いて写真家としても活動する永瀬。世界中を旅して撮り溜めてきた膨大な写真の中から「生きていると強く感じた瞬間」というテーマで6枚を厳選してもらい、それらの写真を通してカメラのある人生の豊かさを教えてもらった。

カメラがあると
残したいと思える瞬間に多く出会える

「カメラを持って街に出ると、シャッターを切って残したいと思う瞬間に“出会ってしまう”ことが多いと思います。写真を撮りたいという欲があることで、日常の何気ない瞬間にもストーリーを敏感に感じ取るようになるのかもしれません。それはとても幸せなことではないでしょうか。かっこいいなとか、美しいなと素直に思って撮ることももちろんありますが、呼吸や体温を感じて自然とシャッターを切ることの方が多いです。それはポートレートだけでなく、ランドスケープやスティルライフなども同様で、目に映ったもの全てに対してですね。それがカメラを持つことの醍醐味だと思っています。だからカメラを持ってくるのを忘れてしまった日の、心の中の地団駄はものすごいですよ。そういう日に限って特別な瞬間が目の前で起きたりもしますからね」。

誰しもがスマートフォンを持ち、いつでもどこでも簡単に写真を撮れる現代。だがスマートフォンの画面越しに撮ることと、カメラのファインダーを覗いて撮ることは、同じ写真を撮っているようで実は全く異なる行為ではないだろうか。日常をスナップ撮影するためのコンパクトカメラから、広告写真を狙うような一眼カメラまで用途によってさまざまなカメラを使い分ける永瀬は、機械としてのカメラにも魅了されているようだ。「カメラのファインダーを覗くと、目の前の景色の中で切り撮りたい世界以外の情報がシャットダウンされるので、自分だけの世界を眺めることができます。余計な情報に惑わされず、『自分はこの世界を中心に見たいのだ』と自分が考えていることに向き合い、改めて気づくことができるんです。だから重量感のあるカメラを手に持ち、ファイダーを覗いてシャッターを切るまでの間は、自分の体はカメラを支える三脚のような存在だと、とあるフォトグラファーさんに教えていただいたことがあります。だからかっこいい写真を撮る人は、カメラを構えている佇まいもかっこいいと思わせられますね。
あとはシャッター音もとても重要です。シャッター音を出さないサイレント機能なんてものもありますが、『カシャッ』という音は、シャッターを切る瞬間の自分の“心音”だと思って耳を澄ませています。逆に僕が被写体として撮影いただくときの話をすると、自分でも不思議なんですが、その空間で生まれた動きや表情、立ち振る舞いが自然と出た瞬間と、フォトグラファーさんがシャッターを切った瞬間がぴったり合って“カシャッ”と聞こえる時は、とても一体感を感じますし、いい写真が撮れている。だからシャッター音は、撮る側と撮られる側の心音を合わせる合図でもあります。どのタイミングで撮影されているかがわかるので、呼吸をする間を取ることもできます。だからシャッター音はコミュニケーションのような、会話のようですらあります」。

「映画の撮影で訪れたイランで撮影した、ナンのお店です。その日は早朝から長い移動があったので、出発前に食料となるナンを買うことになりました。朝の3時とかにこのお店に行きました。買ったナンを持って移動し、1日の撮影を終えてホテルに戻るころにはもう夜に。そしてまたこのナン屋の前を通りがかったのですが、まだ営業していたんです。ナンはイランにとって主食で、日本でいうお米のような存在らしいです。イランの人々の生活を支える存在として昼夜問わず営業している光景に、“生を支える使命感”を感じました」。

「カタールにある大きなマーケットを歩いていたときに撮影した一枚です。とても大勢の群衆でごった返していた状況だったのですが、お母さんに抱っこされて揺れながらも、必死に飲み物を飲んでいるこの子の姿が目に飛び込んできました。それこそ『生きるため』ですよね。思わずカメラを構えて撮ったのでピントも合っていない。でも何の打算もない、素直な写真になり気に入っています」。

「ドイツのベルリンに向かう道中で、飛行機のトランジットで降り立ったフランクフルトの空港内で目にした光景です。長いフライトで疲れながら移動していた時、この光景が飛び込んできたんです。彼らはごく自然に求め合ったのでしょう。慌ててカメラを取り出して撮ったのですが、僕は歩く歩道に乗っていたため、彼ら以外の背景などはブレている。壁にディスプレーされている世界各地の写真もあえてブレているものが使われていて、それも相まってその空間全体が動いているように感じる。でも2人の世界だけが時が止まっているような写真になり、素敵な瞬間を切り撮ることができました」。
自分だけの世界を眺められる

永瀬がカメラのある人生を歩み始めたのは、20代のころに手に入れたコンパクトカメラを持って、周囲のクリエイティブな仲間たちをスナップしたり、一緒になってストーリーを考えて撮影していくことが楽しかったからだという。そして何よりも決定的なことは、写真師であった祖父の存在があるようだ。「祖父はカメラマンや写真家ではなく、写真館を営む写真師でした。お客さんの人生の節々の記念写真を主に撮っていたんです。あるとき実家に帰って倉庫を整理していると、祖父が写真館で撮影した膨大な今でいうネガフィルムや、写真に関する研究ノートが見つかりました。いかに彼が写真が好きで、人物撮影が好きだったのかを知りました。祖父が写真を志した頃は、写真を学ぶことも大変な時代で、教えてくれる先生も少なかった。なんとか教えをこえる方を見つけて学んだようですが、独立後も独学でいろいろ実験していたようなんです。だから見つけた研究ノートには成功例だけでなく失敗例も事細かく書き記されていました。ですが、戦時中もしばらくは写真館を維持して踏ん張ったようなのですが、やはり、時代の流れに飲み込まれて畳むことになった。そして戦争も終わり、混沌とした状況の中、それでも生きていかなければならない、家族を養わなければならない。そこで一大決心をし、のちに買い戻す約束で、食料と交換するために大切なカメラを渡したそうです。でも、食料は得られなかった。カメラだけ持っていかれたんです。それをきっかけに写真の道を断念せざるをえなかった。のちに祖父は『そういう時代だったんだ、みんな生きることに必死だった、誰も責められない』と語っていたと祖母に聞きましたが、どれだけ悔しい思いをしていたのかと考えさせられます。だからもしそのことがなければ、僕は写真師の孫として、今また別の人生を歩んでいたかもしれません。
写真館を閉めた後は、祖父はカメラを担いで近所の子どもたちを撮影したりしていたようです。その写真も倉庫で見つけたのですが、写真館で撮った写真とはまた違う魅力がありました。実は僕には弟がいたのですが、生まれて約1年後、病で亡くなってしまった。お葬式をするとなった時、弟の遺影になる写真がなかったわけです。弟は様々な病院を転々としていて、ずっと保育器の中にいたから、“写真を撮る”ことまで両親は心の余裕がなかったんだと思います。だから亡くなった弟の顔写真を撮ってくれないかと父が祖父に相談したのですが、祖父は断固拒否した。撮らないという選択をしたんです。きっとその時の弟の顔は撮れなかったんだと思います…。僕も写真を撮るようになって、祖父の気持ちがわかるような気がします。そういう選択肢もあるのだと。僕は今も祖父と一緒にシャッターを押しているような気がします。そうであってほしいと心から願っています。祖父の好きだった写真、人々の姿をこれからも一緒に撮り続けていきたいです。みなさんももっと写真を撮ってほしい。心が動く瞬間をカメラを持つことで記録することができ、写真にすることでいつでも見返すことができる。何度でもその思い出の旅へ出ることができるのも、カメラを持っている人だけが味わえる特権ですから」。

「実はこれ、大人の女性のように見えるかもしれませんが、5歳ぐらいの女の子なんです。アイスランドでの映画撮影で共演したちびっ子で、撮影の合間は天真爛漫でニコニコしながら現場を走り回っていました。でもヘアメイクが始まり、ブラッシングやコテでヘアが整えられていき、お化粧もされていくにつれて、憂いを帯びた女性の顔に変わっていくように見えました。あまりにも驚いて、不意に撮った神秘的な一枚です」。

「フランスのカンヌ国際映画祭に招待いただき、現地の街中を歩いていたときの一枚です。急に目の前にこの女性が飛び出してきました。『そのカメラで私を撮ってよ』と言わんばかりにどんどん近づいてきました。それで何枚か撮影したうちの一枚です。この日はたくさんの写真を撮っていたのですが、その中でも彼女の醸し出す生命力や幸福感が、こちらにも力を与えてくれるような1枚になりました」。

永瀬正敏
1966年生まれ、宮崎県出身。俳優として映画やドラマで活躍する傍ら、写真家としての活動も精力的に行い、これまで9冊の写真集を発表、国内外で多くの個展を開いている。

Photo  Masatoshi NagaseInterview & Text  Yutaro Okamoto

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