Urizun

古酒に秘められた 沖縄の伝統文化 [うりずん/居酒屋]

入り口正面のカウンター前に位置する甕や赤土は創業当初のもの。当時は内装にかけるお金がなく、自然豊かなやんばるから採掘した土を使って壁にしようとしたところあまりにも工事が進まず、土壁はここ以外には使われなかったそう。そんな思い出に触れながら食事を楽しめるのも50年以上の歴史を誇るうりずんならではだろう。
沖縄の歴史と共に育った
うりずんの成り立ち

取材に向かった5月の沖縄は穏やかな天気と心地よい風に恵まれ、とても過ごしやすい気候だった。そんな初夏に吹く風を表す沖縄方言を店名に冠するお店がある。沖縄が本土復帰を果たした1972年に開店して以来52年にわたって営業を続ける泡盛古酒と琉球料理の名店「うりずん」だ。そもそも泡盛とはタイ米を原料に作られる沖縄の蒸留酒であり、3年以上熟成したものは古酒(クース)と呼ばれる。しかしうりずんで提供されるオリジナル古酒は10~30年熟成と長期のものであり、先代土屋實幸が百年熟成の古酒を作ろうと立ち上げた「泡盛百年古酒元年実行委員会」という団体は、現在は2代目土屋徹へと受け継がれ活動を続けている。なぜ、うりずんは人々に愛され、そして泡盛へ情熱を注ぐのか。オープン当初のスタッフであり、現在は泡盛百年古酒元年実行委員会の会長も務める、知念博に話を聞いた。
「うりずんが開業した当初、泡盛は臭い安酒として嫌われていました。当時の泡盛はとても匂いがキツく、飲むと翌日体が臭くなるほど。米軍から流れてきたウイスキーなど洋酒の人気もあり、たとえ泡盛を好きな人でも瓶をカウンターの下に隠して飲むほど、人気のないお酒でした。そんな泡盛を『沖縄が誇る文化だ』と、県内全メーカーの泡盛を取り揃え、始めたのがうりずんでした。人気のなかった泡盛をメインにした居酒屋はお客さんがすぐ来るはずもなく最初の5年くらいはずっと赤字でした。お店の経営だけでは生活できず、昼はほかのお店に弁当を売るなどして生計を立てていました。経営が安定し始めたのでは8~10年ほど経ってからだったと思います。しかしそんな中でも土屋さんは少しずつ古酒を集め始めていました」。

店内に飾られる泡盛の数々。今では手に入れられないものも多い。1本100万以上の値がつくものもあるというから驚きだ。オープン当時52場ほどあったという酒蔵は、現在は47の蔵がそれぞれ泡盛を生み出しているという。
仕次ぎを繰り返し生まれる
甘く華やかな古酒の味わい
先代 土屋の懐の深さ

思わぬ苦労話から始まったうりずんの成り立ちだが、この店が50年以上続く要因は古酒だけでなく先代 土屋の人柄が深く関わっているという。
「徐々に人が集まり出したうりずんでしたが、みんな土屋さんに会いに来るんです。彼はとにかく聞き上手でした。どんな話も全て受け止めて決して悪口は言わない。そんな彼の人柄が好かれていたから、みんな彼と話したくて常連になっていったんです。昔うりずんをフランチャイズにしようという話が出たことがありました。話はある程度進んだのですが、最終的に諦めました。うりずんは古酒を楽しんで土屋さんに会いにくるお店。土屋さんのいないうりずんはうりずんではないと気付いたのです」。

泡盛特有の熟成方法

人々に愛される土屋のもとには多くの客が集まり、いつしか沖縄の文化人も訪れる名店となったうりずん。そんな彼が情熱を注ぎ続けた古酒には「仕次ぎ」という伝統の熟成方法があるという。
「泡盛は古酒になることで喉越しがまろやかにそして香り高くなっていきます。良質な古酒には3つの特徴的な香りがあるんです。それが、雄ヤギの香り(ウーヒージャーカザ)、豆腐の焦げの香り、そして椿油の香り。この香りを出すために行うのが仕次ぎです。時間が経つにつれて泡盛はアルコール度数も香りもだんだんと下がっていきます。それを防ぐために新しい泡盛を継ぎ足すことを仕次ぎと言うのですが、ただ足せば良いというわけではありません。例えば100年ものの古酒に新酒を足せば、強い新酒が古酒の中で暴れてダメになってしまう。なので100年ものには50年ものを、50年ものには25年ものを、と世代を超えて代々仕次ぎを続ける必要があります。さらに1種類の酒だとクセが出やすいため、熟成具合を香りや味で見極めながら種類を足していくとクセを抑えあってまろやかになっていくんです。また、古酒の熟成にはシャム南蛮甕などの甕を使うのですが、同じ甕に同じ泡盛を入れて、仕次ぎをしても蓋の閉まり具合や甕に生えるカビなど様々な条件で味が変わっていってしまうんです。だからこそ年に一度は甕を開き、味と香りを確かめてどう直していくのか、どのお酒を仕次いでいくのかを見極めなければなりません。独学で仕次ぎを学んだ土屋さんはその調整が抜群に上手でした」。
実際に30年古酒を飲んでみると、まず驚くのはその口当たりの柔らかさ。アルコール特有の喉が熱くなる感覚はなく、すっと口全体に馴染んでいく。そして香りはバニラのような甘さから時間が経つにつれてフルーツのような爽やかさも感じる。今まで飲んだどのお酒とも違う不思議な魅力あふれる一杯だった。

本邦初公開だという古酒を熟成させている倉庫。うりずんから車で約5分の首里にある一軒家の倉庫では、熟成に最適だという3石(1升瓶約300本分)のシャム南蛮甕を中心に、様々な方法で古酒が丁寧に保管されている。この倉庫に「泡盛百年古酒元年実行委員会」の甕の大部分も保管されているという。
平和を祈り継ぎ足される
百年古酒への思い
貴重な古酒の飲み方

今でこそお店で気軽に注文できる古酒だが、戦前は裕福な家庭のみが甕を持ち、それを結婚式などのお祝いの席のために分けてもらうという伝統があり、今よりもっと貴重なものだった。そんな古酒だからこその飲み方があると知念は語る。
「古酒は飲みやすいからガブガブ飲めてしまうけれど、その飲み方は古酒に失礼だと思うんです。ちぶぐゎー(沖縄伝統のお猪口のようなもの)に古酒を注いで、別にチェイサーを用意します。古酒を少しずつ舐めるように飲むんです。飲み込まずに味と香りを楽しんだら、それを水で流し込みます。そうするとさらに香りが広がるんです。古酒は戦前、2合で2~30万はしたと言われています。これは少ない古酒をみんなでゆっくりと楽しむための知恵。しっかりと味わうことは受け継がれてきた古酒への礼儀でもあるのです」。

戦争によって途絶えた
伝統の復興

戦前は家庭で熟成をしていた古酒。その歴史は古く100年、200年を超えるものも存在していたという。しかし、第二次世界大戦による空襲でその甕はほぼ破壊され、振り出しに戻ってしまった。そんな古酒文化の再建のため、立ち上がったのが土屋であり、「泡盛百年古酒元年実行委員会」だった。「うりずんをオープンしてしばらくしてから、土屋さんが『百年古酒』を作ろうと言い出しました。空襲でなくなってしまった沖縄の伝統をもう一度再興しようとしたんです。1人1000円ずつ、今でいうクラウドファンディングのような形でお金を集めて、泡盛と甕を買い100年間蓄えていこうとしたんです。土屋さんが亡くなってしまった今は倉庫で保管しながら県や平和記念館にも寄贈し、仕次ぎを我々で行っています。古酒は1世代では決してできないもの。世代を超えて仕次ぎ、育んでいく古酒は平和でないとできないことなのです。もし、百年古酒ができれば沖縄が100年間平和を維持できた証拠になる。生前土屋さんは沖縄を『古酒アイランドにしたい』と言っていました。沖縄に行けば平和の象徴である古酒をいつでも飲むことができる。古酒は土屋さんにとって沖縄の平和の象徴なのです」。
知念の話を聞き、古酒を通して沖縄独自の歴史や大きな被害があったからこそ抱く平和への強い思いを感じる。うりずんの古酒を通して観光地とは違った沖縄の魅力に触れてみてはいかがだろうか。

Upper Left お店の壁にかかる三線。突然客によるライブが始まることもあるという。沖縄の酒には音楽が欠かせない。
Bottom うりずんで提供されている琉球料理の数々。古酒に合うとおすすめなのは豆腐ようドゥル天。ドゥル天は田芋(里芋に似た沖縄特有のいも)と豚肉、椎茸など練り合わせて揚げたうりずんのオリジナル料理。カラッとした衣から現れるねっとりとした芋の食感とコクは古酒と合わせると箸が止まらなくなる美味しさ。ほかにも沖縄の家庭料理などとはまた違う宮廷料理を楽しむことができる。

うりずん
沖縄県那覇市安里388-5
098-885-2178
@urizun_okinawa

Photo Yoshiyuki OngaInterview & Text Katsuya Kondo

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