A Camera for Life

写真家の人生に寄り添うカメラ 石田真澄 FUJIFILM KLASSE

写真家にとってカメラは、仕事のための機材であると同時に、暮らしの一部として日常に寄り添う道具でもある。彼らは何を基準にカメラを選び、どのような瞬間を残そうとしているのか。その選択には、それぞれの人生観や、世界の見つめ方が表れる。カメラがあることで、人生はきっと豊かになる。そのヒントを、写真家たちの言葉から探っていきたい。

心が動いた一瞬のまぶしさを、その場の空気とともに写してきた石田真澄。高校時代に写真を撮りはじめて以来、彼女がカメラで捉えたいものは変わらない。そこに存在した光と気配をありのままに残すために、自分の感覚に自然と馴染むコンパクトカメラを選び続けてきた。

“写ルンです”の先にあった
自分に馴染むコンパクトカメラ

「写真を撮りはじめた学生の頃は、ずっとデジタル一眼レフや写ルンですを使っていました。写ルンですは押せば撮れるという機動性の高さは素晴らしいけれど、暗い場所だと途端に写らなくなったり、ピントが合う距離が決まっていて、撮りたいと思った瞬間を諦めざるを得ない瞬間もあった。そんな状況が続いたときに“撮りたい瞬間を諦めたくない”という気持ちが強くなり、いろいろなコンパクトフィルムカメラを試した末に辿り着いたのがFUJIFILM KLASSEでした」。

光の揺らぎや、人がそこにいた痕跡のような微細な気配を静かに捉え続けてきた石田。高校時代に最初に手に取った写ルンですから少しずつステップを踏むように、CONTAX TVS、TIARA、NATURA、OLYM PUS μ、Macromaxなど、さまざまなコンパクトフィルムカメラを手に取ってきた。最終的に自身との馴染みの良さを感じて選んだのがKLASSEだったという。

「オートフォーカスで撮れる安心感がありつつ、絞りだけは自分で選べるところが魅力です。どれくらい光を取り込み背景をぼかすかで、写真の雰囲気は大きく変わる。普段は大体絞り値(レンズの明るさや被写界深度を調整する値)をF4かF5.6にしておくことが多いです。フラッシュも十分な強さがあるので、暗さを理由に写真を撮ることを諦める場面が減ったのも、今のスタイルに合っていました」。

撮れる状況の幅を広げ、撮りたい瞬間を諦めないこと。そのまっすぐな思いを叶えるために、絞りを変えられること、フレアの出方、操作感、そして“見た目の真面目さ”まで含めて、最終的に自分の感覚に、KLASSEが一番しっくりきた。現在使っているもので3代目となり、色違いで同じモデルを乗り継いでいる。

コンパクトフィルムカメラの多くが修理困難になりつつある今、レアな一台よりも「市場に同じ機体がまだあること」も大事な条件だという。壊れて終わる“使い捨ての相棒”ではなく、継続的に付き合える存在かどうか。そのバランスも含めて、石田にとってKLASSEは、自分の撮り方と生活のリズムに最も自然に馴染んでいるカメラなのだろう。

ありのままの光と気配を
軽やかに捉えるカメラ選び
“あるがままの写り方”で
人の痕跡と光をすくい取る

変えることなく一貫し、彼女にしか撮れない写真を表現し続ける石田。KLASSEを選ぶ理由から、彼女の写真のスタイルが確立された道筋が、じんわりと浮かび上がってくる。

「比較的シャープに写るのですが、光の入り方によってはやわらかなフレアも出してくれます。そのクセを分かっているので、光を見た瞬間に“このカメラならこう写るだろう”というイメージがすぐに思い浮かぶんです。見たものをそのまま残したい、という気持ちで写真を撮っているので、自分が見ている景色と、カメラを通した写り方が、ほとんどズレない感覚があるので、安心して撮ることができるんです」。

何度か泊まっている伊勢のお気に入りのホテルで撮った1枚。カーテン越しの志摩半島。

石田が日常の中で純粋に撮りたいと思う対象は、人の姿そのものよりも、その人がいた“痕跡”だという。ソファに置かれた本やスマートフォン、使いかけの食器、無造作に置かれた衣服や部屋の隅で絡まった充電コード。その人の内面を映し出す生活の癖のようなものにそそられるのだという。

そのためには、人物撮影においても、正面から堂々と撮ることよりも、距離感やプライバシーの線引きを丁寧に意識している。撮るという行為は一方的になり得るし、不意打ちのシャッターが相手にとって心地いいとは限らない。だからこそ、決められた撮影時間の中で相手の様子を観察し、空気が少し緩んだ瞬間、表情がふと自然になった瞬間を見極める。

夏休み期間の水族館にて。夏休みの子どもたち。

「“撮られている”という意識が自然な距離感を崩してしまうこともあるので、私は不意打ちで写真を撮るのがあまり得意ではありません。相手がどんな気分でいるか、どんな距離が心地いいのか。そういうことを、撮る前からずっと見ています。そのうえで、ふっと空気が緩んで“今なら大丈夫だ”と思える一瞬があるんです。その一瞬を確実に捉えるためには、迷わずシャッターが切れるカメラであることが重要でした」。

彼女にとって写真は人を理解するための手段。人に心から興味を持ち、相手を理解しようとする過程でふと見えたありのままのその人の姿を記録するために、写真を撮っているのかもしれない。その瞬間に反応する身体感覚と、撮影者としての慎重な距離感。その間に立つために、KLASSEの機動力と写りを予測できる安心感は欠かせないのだろう。

日常でも常に写真を撮っているので、フィルムはすぐに溜まる。コンパクトフィルムカメラを使い始めてから選び続けているフィルムはKODAK PORTRA400。ある程度まとまったら現像に出し、データとして見返す。見返しながら撮った瞬間の感情を思い出す作業は「英単語を覚える時のような反復の感覚」なんだとか。

撮影用のカメラをまとめて入れておくL/UNIFORMのカメラバッグ。だが、KLASSEはここには入れず、蓋のないカバーでバッグに直接入れて持ち歩く。バッグから出し入れする時間よりも、即写性を重視した結果の棲み分けだ。
忘れてしまう日常を
復習するための手段

石田にとって写真は、記録であり、復習に近い行為でもある。「自分はかなり忘れっぽい」と自覚していて、楽しかったことも、誰かと交わした会話も、そのままにしておくと驚くほど早く輪郭を失っていく感覚があるようだ。だからこそ、日常の光景や人の痕跡を忘れないために、カメラのレンズを通して切り撮るのだという。

「英単語を覚えるときのように、時間を置いてから反復することで記憶が定着していくような感覚です。フィルムは撮った瞬間から現像とスキャンを経て、その写真が形になるまでに時間が必要です。そんな風に時間を置いてから写真と向き合うほうが、撮った瞬間のことを深く記憶できるんです。少し忘れかけた頃に再び触れることで、その瞬間に感じていた空気感や感情を思い出すことができます」。

すぐに撮影できるように、常にフィルムを巻いた状態で部屋に置かれているカメラ。窓から差し込む光や生活の痕跡に心が動いた瞬間を撮りこぼさないように。

写真が、自分の記憶を確かめ直す行為になっている。「撮っている瞬間が一番楽しい」という石田にとって、KLASSEはその楽しさを日常の速度で繰り返すための道具。撮らない日もあるが、カメラは常にバッグの中にあり、家の中にもフィルムを装填したボディが一台置いてある。綺麗だと感じた光や、人の気配を感じる痕跡に出会ったとき、すぐ手を伸ばせる距離にあることが大切なのだ。

特別な景色を劇的に演出して撮るのではなく、いつも見ている風景を、そのまま残しておきたい。KLASSEは、そんな石田真澄のまなざしと生活に、静かに寄り添うカメラであり続ける。

石田真澄
1998年生まれ。大学在学中の2017年5月に個展「GINGER ALE」を開催し、 翌年に写真集『light years -光年-』を刊行。以来、雑誌のエディトリアルから広告まで幅広く活動している。私生活では、忘れたくない日常を残すために写真を撮る。小説や漫画、映画が好き。

Interview & Text  Aya Sato

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