THE THINGS RICOH GR1
レンズを通して物事を見るとき、 世界は少しクリアに、理解しやすくなる 野村訓市

僕はビジュアル系の人間です。といってもかつて流行ったバンドの形式でも、化粧をしている人間という意味でもない。写真が好きだということ。写真との付き合いというのは長い。最初の出会いは雑誌だった、それも洋雑誌。といってもそれは電車の高架下に捨てられていたポルノ雑誌ではない。もちろんそれが俺の青い性春の扉を開けたにはせよ。アメリカのBMXの雑誌が最初だった。小さい頃に親の知り合いの息子さんがBMXにハマっていた。ママチャリとかロードバイクしか知らなかった小学生の俺にとって、全体をメッキされ、太陽の下で光り輝くBMXは、その存在そのものがアメリカだった。それに跨り、ウィリーだのバニーホップだののトリックを決めるその姿を見て、BMXこそマストハヴなものだ!俺も乗りたい!となったのは必然のことだった。それまでにもらって溜め込んでいたお年玉だの全てを注ぎ込み、俺は安い車体を手に入れた。けど何かがあの兄貴の乗っているものとは違う。それが知りたくて世田谷に当時唯一あったBMX専門店に足を運ぶこととなった。そこは小さいながらアメリカから輸入された見たこともないパーツやらフレームやらで埋め尽くされていて、そこで俺はヴァンズのスニーカーというマイトゥルーラブと出会うことになったのだが、出会いはそれだけじゃなかった。BMX専門誌、そんなものまで売られていたんですよ。それは俺がそれまで見てきたものとは全く違うものだった。美しいレイアウトにフォント、そして勢いのあるカラフルな写真。英語なんて全く読めなかったが、写真を眺めているだけで、無限にその背景を想像することができた。将来、アメリカに行く、そう考えたのも俺が勝手に解釈したアメリカをその写真越しに感じたからだ。それからだと思う、洋書が売ってる本屋に行ってはあらゆる雑誌や写真集を見るようになったのは。次にハマったのはスケート雑誌、『スラッシャー』や『トランスワールド』だが、その時のフォトグラファーがスパイク・ジョーンズだったと知ったのは大分後のこと。そこから『ザ・フェイス』だの『インタビュー』だのカルチャー誌を見るようになって、いろんなフォトグラファーの名前を知るようになった。このモノクロの写真を撮るのは誰なんだろう?気に入った写真を見つけるとクレジットを確認するようになって名前を覚えていった。ブルース・ウェバー?最初に覚えたのはブルースだった気がする。1人、名前を覚えるとそこから深掘りするのが大変だった。ググれないからね。今思うと一体どうやって知識を得ていたのか本当によくわからない。雑誌で写真特集みたいのがあって、そこからそこで紹介されている著作を覚えたり、本屋のポップを読んで知ったり。それを一度自分の中で咀嚼して、体系付けていかないといけないから今よりはるかに大変だった。クレジットのない写真を気に入って、それが誰が撮ったのか?探す苦労ときたらあんた、わからないでしょうよ、それに何年もかかったりしたということを。けれど、あの時覚えた名前だの知識というのは何十年経っても忘れないから不思議なもので。検索して知ることってそれに比べてすぐに忘れてしまう気がするんだけど、きっと集中力が違ったんだろうな、知りたいという欲求レベルも。
まぁそこから見る写真のジャンルはどんどんと広がっていった。ファッション写真も見るようになれば、報道写真も好きになったし、風景を撮る人、ドキュメンタリー、作家系のフォトグラファー、随分と雑多に見てきたと思う。先に書いたように写真というのは一瞬を切り取るもので、その一枚でその背景にある様々な物語を、見る側が想像できるところが素晴らしいと思う。一枚の写真が、一冊の小説くらいの物語を持ったりするのだ。だから俺はその様々なジャンルの写真を見ながら延々と夢想の旅に出ていた。それは60年代のヘルズエンジェルスたちがいたサンフランシスコだったり、吸い殻だけを写した写真だったり、もう今では失われた理想のアメリカを作り上げたエディトリアルだったりした。知っている知識のかなりの部分を俺は写真から、写真を入り口として学んできた。「それだけ写真が好きならお前が自分で写真を撮ればいいのに」、よく知り合いにはそう言われたものだった。もちろん考えていた。俺だったらこういうギャングを撮りたいとか、砂漠に行ってこんな景色を撮りたい、自分の日常に存在する人たちのドキュメンタリー風の写真を撮りたいとか。けどね、まずカメラが無かった。買えて写ルンですくらいなもので、俺が一番好きだった夜の写真は大体が写っていなかったり、風景を撮っても、その出来上がりが自分の記憶にある景色とかけ離れたつまらないものばかりだった。だからか、俺はバックパッカーのような暮らしを随分と長くしたが、その頃の写真というのはほとんどない。大体がたまたま写真が趣味の人と出会い、彼らが撮った写真を焼き増ししてくれたときのものがほとんど。それから日本に帰ってきて、成り行きで編集やライター業を始めたときに、再び自分で写真をちゃんと撮ってみようか?という考えが頭にもたげてきた。
お祖父ちゃんの遺品の古いライカを試したこともあるし、二眼レフを試したこともある。張り切ってフィルムを買って海外の取材などに持って行った。まぁ邪魔ですよ。普段ほぼ手ブラで移動しているし、カバンの中身はなるべく軽く!をモットーとしてる俺にとってカメラは邪魔以外の何物でもなかった。本当はストラップで常に肩から掛けてればいいんだろうが、するととても邪魔だし、肩が凝る。じゃあとバックパックとかに入れていると、今だ!という時を大抵ミスする。大きいカメラはダメだ!俺に必要なのは小さなカメラ、それもピントがどうだとか面倒臭いから、まるで写ルンですくらい楽なカメラがいい。そういう結論に達した俺は周りにいる本職のフォトグラファーたちにリサーチを始めた。「コンタックス一択すよ」とか「いや、ヤシカがいいですよ」とかみな難しいことをいう。ヨルゲン・テラーが使っていたから間違いないとか、いやテリー・リチャードソンがこれがベストと言っているのを読んだことあるとか。迷った挙句、当時流行っていたリコーのGR1を手に入れた。現行品だし、他のよりお財布にまだ優しい値段というのが大きな理由で、自分のフォトグラファーとしての素質に大きな疑問符を抱えていた俺にとって、使いこなせないかもしれないものに余計な金を突っ込むほど余裕のある生活をしていなかったのだ。初めて買う、全自動コンパクトカメラ。大きさもいいじゃない!シャッター押すだけじゃない!ポケットにも入るからどこでも持ってけるじゃない!好きだったコダックのフィルムを買い込み、俺は勇んで海外出張の旅にGR1を持って行った。結果は。結果といえば結局現像したのは10本にも満たないんじゃないかな。要は性格的に合っていなかったのだ、カメラとは。面白いと感じる瞬間、美しい光景を目にした瞬間、フォトグラファーというのはそのときを逃さずシャッターを切れる人たちなのだ。つまり常にどこか傍観者としての目を持っていなければいけない。ところが自分ときたらどうだ、その瞬間に喋ったり、他のことを連想して物思いにふけたりして、要はその瞬間というのを全て逃す資質だったのだ。人にはそれぞれにあった表現方法というものがある。感じたものを音に変換するミュージシャン、絵に変換する絵描き、立体として表現する彫刻家。その方法は様々で、自分の感情をシャッターを押すことで一瞬の物語として表現するのがフォトグラファーなのだ。レンズ越しに投影する感情。それでいえば俺は書くのが一番まだ向いてる。そのことに気付いてから、俺はフィルムカメラで一枚も写真を撮ったことがない。iPhoneのカメラが俺には一番合っているとわかったし。作品撮りというより、記憶の画像メモとして写真を撮るのがその目的。写真がなければ自分の過去の感情も経験も、実際にあったことと証明する手立てがない。自分の記憶なのに。まぁでもそんな写真のメモがあるからこそ、俺は今も仕事を続けられている。旅先で何をして、誰と会ったか、写真をみただけでそのとき何を考えたり、感じたかを思い出すことが出来るから。文章を書く時のメモになるし、良いと思った建材、組み合わせが意外といいと感じたペンキ、そんな写真たちは内装デザインのヒントになる。だから俺はビジュアル人間なんですよ。レンズを通して物事を見るとき、世界は少しクリアに、理解しやすくなる。フィルムカメラでもiPhoneでも、アーティスティックな写真や映え写真だけじゃなく、メモとして写真を撮る、それがいいんじゃないって俺は思う。
野村訓市
1973年東京生まれ。編集者、ライター、内装集団Tripster主宰。J-WAVE『Traveling Without Moving』のパーソナリティも早、12年目になる。企業のクリエイティブディレクションや映画のキャスティングなど活動は多岐に渡る。
| Illustration T-zuan | 11:55 – 18:43 8th December 2025 Tokyo | From morning 2 cup of Americano A half box of Marlboro gold soft pack |











