Leica 100th Anniversary Vol.3

写真家・若木信吾は なぜライカを選ぶのか

カメラ好きな人々は口々に言う、「ライカかそれ以外か」。カメラの特集をするうえで避けては通れない存在だ。数々の名機を生み出したライカが初めて、35mm版フィルムフォーマットを採用した初の量産モデル“ライカI”を生み出してから今年でちょうど100周年。そんな記念すべきタイミングにあたって、“なぜ人はライカを選ぶのか”を、4人の写真家のインタビューを通して考えたい。

単なる機材選びにとどまらない価値がある
若木信吾

Leica M10 + Apo summicron 50mm
ライカ発祥の地であるドイツ・ウェッツラーに建つ「フリートヴァルト館」の中からみた景色。「窓を開けて見る景色よりも、ガラスを通して見る景色の方が面白いと思う時がある」と若木は話すように、日本のガラスとは違う光の抜け方がこの写真を通して観ることができる。写真の手前の道路にピントは当たっていたとしても、奥にある町の家一軒一軒の細部までしっかりと写っているところにライカらしさがあるようだ。

雑誌から映画まで幅広く活動をし続ける写真家、若木信吾。レンズを通した幅広い活動をする若木だが、そのほとんどを「ライカで撮っている」という。地元である静岡の浜松で過ごした中学時代からカメラ小僧であった若木。最初からライカ、というわけではなく、ほかのメーカのコンパクトから始まり、一眼レフ、大学以降は「35mmの一眼レフがあまり好きになれなかった」という理由から6×6の中判を使用していたという。そんな若木にとってライカを使うきっかけとなったのは、仕事で一緒になったとあるアートディレクターからの依頼。
「『機動力のある35mmの写真が欲しい』と言われて。でも僕は35mmの一眼レフが嫌いだったし、中判でも機動力に自信はあったので『やだなあ』とゴネていたんです(笑)。そこで選択肢として出てきたのがライカでした。レンジファインダーのライカは価格が高いのは知っていたし、自分には関係ないと思っていたのですが、その仕事のギャラを『じゃあカメラ1台分にしよう』と提案してくれて。それで思い切ってM6を買ったのが最初です。使ってみたら、もう一発でハマってしまった。それから20年以上、仕事もプライベートも基本はずっとライカ。フィルムから始まって、今はM10とS3がメインです」。
若木が厚く信頼をおくライカだが、どういった部分が特に魅力と感じているのか。
「一番は、レンズですね。ライカのレンズはピントの合っていないところまでちゃんと写る。多くのレンズは、ピントが合っているところはもちろんシャープですが、ボケたところが“得体の知れない塊”になりがち。ボケていても、『そこに何があったのか』が分かってほしいタイプなんです。ライカのレンズはその中間領域がものすごく自然。ピントが合っている部分。少し外れている部分。完全にボケの部分。そのグラデーションのどこを見ても『ものがものとして存在している』。その解像度が高い。だから、絞りを開けざるを得ないような光の状況でも全部がちゃんと繋がって見える、自分がその場で見ていた以上に、写真の中に情報が残っていて、後でプリントを見て『こんなにも写っていたのか』と驚くことが多いんです」。
そうした描写において、バランスの高さから今ではアポ・ズミクロン 50mmを使うことが多いという若木。このレンズは「自分の目よりも信じている」という。「歩いていて、『あ、いいな』と思った景色って頭の中では一瞬で消えていくじゃないですか。シャッターを切る行為って、その瞬間をただ記録するだけじゃなくて脳にぐっと押し込む感じがある。撮った風景や光が、あとで夢の中の風景になって出てきたりもするんですよね。どこかの国で撮った道が、別の夢の中の町の一部になっていたり。写真を撮ることで、明らかに景色が“素材として”脳に残る感覚があるんです。写真を見返すと、自分がその場で気づいていなかった細部までが写っているから、後から見返して発見があります。『自分が見ていた通りに写っていない』という不満より、『自分が見ていた以上のものが写っている』という驚きの方が大きいのがライカなんです」。
ライカを使い始めてから20年以上が経過したが、いまだに新しい発見があり、ますますその魅力に惹かれている若木。それは、性能だけではなく、背景にある物語にもあるという。
「ここ数年、ライカ本社のあるドイツのヴェッツラーを訪ねたり、本を読んだりしてその歴史に触れることが多くなりました」。
顕微鏡メーカーとして始まったライツ社、三十五ミリカメラを発明したオスカー・バルナック、レンズ設計のマックス・ベレーク。彼らが「ガラスそのものをどう作るか」から研究し、色消しガラスを開発し、50mmを“標準レンズ”として定義していくプロセス。ガラス工場を自前で持ち、戦時中やインフレの時代には社員のために金券を発行し、福利厚生の概念みたいなものまでつくってしまう。そうした歴史を知り深みにハマっていく。
「現在の社主であるカウフマン家による“ファミリー企業”としての再建の話も含めて、ライカって“ファミリー”というキーワードをすごく大事にしている会社です。ライカを使う人たちも、そのファミリーの一員、という感覚は確かにあって、ライカを首から下げていると世界のどこででも、ちょっとした会話が生まれる。その特別感もあって、単なる“機材選び以上の行為”を感じます。僕の仕事は、写真だけじゃなくて、映像を撮ったり、本を作ったり、浜松で本屋をやったりもしています。でも、その中心にはいつも写真があり、そこから映画や言葉、本づくりへと枝分かれしているイメージです。写真と絵、写真と詩、写真と店。いつも写真と何かの関係性を考えていて、その真ん中にはいつもライカがあるんです」。

若木信吾
米国ロチェスター工科大学写真学科を卒業後、雑誌や広告、音楽媒体など幅広いフィールドで活動。さらに、自ら編集発行する書籍や、故郷である静岡の浜松に根ざした書店“BOOKS AND PRINTS”の経営、映画制作など多才な創作活動を続けている。

Photo  Shingo WakagiInterview & Text  Takayasu Yamada

Related Articles