Creating The Sound of Tokyo Daizo Murata
村田大造が創り出す 日本、東京らしい音と空間
DJ BAR Bridge Shinjuku
東京都新宿区新宿2-19-9 角ビル B1
03-6384-1053
@dj_bar_bridge_shinjuku
文化人がこぞって集った〈P.PICASSO(ピカソ)〉、多くの伝説が語り継がれる〈Space Lab YELLOW(スペースラボ イエロー)〉、そして現在に至るまで数々の名パーティーを生み出した〈SOUND MUSEUM VISION(サウンドミュージアム ビジョン)〉、〈Contact Tokyo(コンタクト トーキョー)〉など、クラブシーンに燦然と名を残す名店をプロデュースしてきた村田大造。クラブ黎明期から現在に至るまで、東京の夜を作り上げ、牽引し続ける業界の最重要人物の一人だ。そんな彼はクラブと並行し〈DJ BAR Bridge Shibuya(DJバー ブリッジ シブヤ)〉や〈DJ BAR & LOUNGE WREP(DJバー & ラウンジ レップ)〉といったDJバーも手掛けている。まさに東京のカルチャー形成の根幹を担う彼は、音と空間についてどのように考えているのだろうか。村田が手がけた中で最も新しく、最新の音響空間を持つ〈DJ BAR Bridge Shinjuku(DJバー・ブリッジ・シンジュク)〉で話を聞いた。
村田大造
(Global Hearts 代表 / ナイトクラブエンターテイメント協会 副理事長 / 一般社団法人 日本ミュージック・バー協会 副代表理事)21歳で手がけた〈P. PICASSO〉を皮切りに〈CAVE〉、〈Space Lab YELLOW〉、〈AIR(エアー)〉、〈SOUND MUSEUM VISION〉、〈Contact Tokyo〉などクラブプロデュースを中心に、飲食店、ダンススタジオ、ラジオスタジオなど幅広く事業を展開している。
音楽は創造と活力を
生み出す一要素
「特定の空間が、なぜ人々に必要とされるのか。それはそれぞれの空間に共有される要素があるからだと思うんです。カフェであればお茶を嗜み、会話を楽しむ。レストランであれば、テーブルを囲んで食事をする。それがクラブやDJバーに変わると空間に音楽という要素が加わってくる。それもカフェやレストランのような特定の人だけではなく、音楽という共通項を持つ不特定多数の人々がコミュニケーションを交わす場所になります。ただ僕が作り出した〈P. PICASSO〉や〈Cave(ケイブ)〉、〈Space Lab YELLOW〉といったクラブはお客さん主体というよりは、どちらかというとDJが中心で海外から新しい音楽を伝えること、日本のDJ技術を向上させられるかを考えていました。クラブにおけるDJは、野球で言うとピッチャーのようにその場所をコントロールする存在。彼らの成長がお店の成長につながるんです。特に僕がクラブを作り始めた当時はインターネットが発達しておらず、クラブに来ないと聴けない音楽がたくさんありました。そうしてその空間でしか流れていない音楽を聴くことで新しいインスピレーションが浮かんでくる。人間は無から新しいものを作る力はないと思っていて。クラブという空間で遊んで会話をして、知らない音楽を聴いたりする中で、新しいインスピレーションを生み出す。音楽が人に与えるものはイマジネーションを生み出すきっかけだと思います。そこに人との出会いが組み合わさり、仲間ができ、活力をもらい、未来を創造するきっかけになる。僕にとってクラブとはそういう場所なんです」。
過去を再現する音と
今を模索する音
本誌では多数のミュージックバーを紹介しているが、村田がプロデュースしているお店にミュージックバーを冠する場所は一箇所もない。その違いを彼はこう説明してくれた。
「音と空間に対するスタイルの違いだと思います。ミュージックバーはヴィンテージのターンテーブルやスピーカー、製造年の違うアンプを切り替えたりしながら、特定の時代の音を再現して時代の空気をまとわせるもの。その音を聴きながらお酒を楽しんでもらう形だと思います。それに比べて僕が作ってきたお店はこれからくるであろう音楽性を日本に伝えるためのもの。だからこそハウスもテクノもヒップホップも一般的ではない時代に外タレを呼んだり、DJを教えたりしながら世界の音楽の動きをリアルタイムで伝えていました。ほかにも80年代後半に作った〈Cave〉を地下1階と地下2階で違うジャンルをひとつの空間にまとめたのも90年代以降はミクスチャーが普通になっていくと思ったから。〈Space Lab YELLOW〉に“スペース ラボ”とつけたのもスタジオがあって、ライブもDJもできて、外タレも呼べる、さらにはレーベルもあるなど、空間を音の実験室として捉えるためだったんです。そうした音楽の歴史を若者に伝えるために大規模なクラブの〈SOUND MUSEUM VISION〉や〈Contact Tokyo〉を作ったりしてきました。ただ、クラブだけをやり続けるわけではなく、〈DJ BAR Bridge〉など、DJバーの構想も20年前くらいから考えていたんです。眺めの良い場所で会話をしながら、良い音を楽しめる場所を作りたかった。ただそれもミュージックバーというよりはダンスホールの中にバーがあるような、ダンスミュージックバーのイメージなんです」。
日本にしかない
ダンスミュージックの音を作る
村田の手がけるクラブやDJバーにはRey Audio(レイオーディオ)が使用されている。元々パイオニアのエンジニアだった木下正三が立ち上げたプロ用オーディオメーカーであり、マイケル・ジャクソンのスリラーを録音したことでも有名な伝説のエンジニア トム・ハイドリーが率いるウエスト・レイク・レコーディングスタジオにも採用されるなど世界的な評価を得ているブランドだ。そんなRey Audioを村田は〈Space Lab YELLOW〉時代から愛用している。そこには彼が40年近く日本で音と空間に携わる中で培われた強い信念との関係性があった。
「僕は日本にしかないダンスミュージックの音を作りたいんです。海外のサウンドシステムを否定しているわけではなく、日本独自のものを築き上げたい。レコードも好きだし、昔のものでも良いものはあると思うのですが、クラブは新しい価値観が生まれる場所。新しいインスピレーションが欲しいんです。Rey Audioを使い始めたのは音の再現性の高さを知ってから。2、30年前のライブを目の前で見ているかのように再現する。オーディオ自体に変なフィルターがないんです。良い音は良く、悪い音は悪く、あるがままを出す素直さが好きです。最初はスピーカーだけだったのですが、〈Contact Tokyo〉からはアンプもRey Audioに。そこからデジタルをアナログ信号に変換するDAコンバータを作ってもらいました。大音量で音楽をかけるクラブではこの回路の負担が大きく、市販のものではひ弱だったんです。そして最後に行き着いたのがミキサー。今〈DJ BAR Bridge Shinjuku〉に置いてあるのが世界にひとつのRey Audioのロータリーミキサーです。日本人の繊細でエモーショナルな音楽性を表現するには、よりスムーズに曲を切り替えられるロータリーミキサーの方があっていると感じたからです。ニューヨークやシカゴでハウスの音が確立したように僕は日本のダンスミュージックを確立させたい。日本人が持つ無駄のなさや優しさ、繊細さを兼ね備えたサウンドシステムとDJがいれば、世界に対して日本の大きな強みになる。DJがドライバーで、サウンドシステムがF1マシーンだとすれば、僕はマシーン側として良いものを作っていきたい。日本から人が出ていくばかりではなく、日本の音を外国人がわざわざ聴きにくる、そんな場所にしていきたいと思っています」。音の正解は人それぞれ。ヴィンテージオーディオから流れる音の情緒を感じるも良し。モニターオーディオの脚色のない音でアーティストの思いを聞き取るのも楽しいものだ。だが、村田の作る音と空間は私たちに新たな提案を投げかけてくれる。それはネットでは知り得ない未知の音楽の発見だったり、創造のきっかけを与えてくれるものかもしれない。彼は日本から世界に向け、新たな音の魅力をこれからも伝え続けるだろう。
先進的な場所の数々
時代を先読みし、常に先駆的な音と空間作りを行ってきた村田。〈P. PICASSO〉から始まった彼のプロデュースは時代を超え、現在に至るまでクラブカルチャーにおける重要な場所をいくつも生み出してきた。彼が作り出してきた歴史の一部をここで紹介する。
P.PICASSO(1985-1989)
村田が21歳の時に初めてプロデュースしたクラブ、ピカソ。西麻布の交差点から六本木に向う途中のビルの地下に位置し、東京のクラブ黎明期を支えた貴重な存在。壁画はイギリスのアーティスト、マーク・ウィガンによって描かれ、藤原ヒロシ、滝沢伸介、高橋盾などがDJを行い、ファッションの方面からも注目を集めていた。
CAVE(1987-2000)
1980年代後半に、渋谷の東急本店近くに店を構えていたケイブは“ケイブ=洞窟”の通り、ビルのB1にバーとダンスフロア、B2にも別のダンスフロアを設けた3フロアに別れた作りが特徴的。B1では主にジャズやレゲエ、B2ではガラージやテクノが流れ、様々な音を1箇所で楽しめるクラブとして人気を博した。90年代以降のミクスチャーカルチャーを体現していた店のひとつ。
Space Lab YELLOW(1991-2008)
日本を代表するクラブとして世界的な評価も高く、いまだに伝説として語り継がれている。1000人以上の規模を誇りながら16年という長きに渡って東京の夜を彩ってきた。フランキー・ナックルズ、フランソワ・ケヴォーキアン、デリック・メイをはじめとする世界のレジェンドDJから須永辰緒、沖野修也、矢部直、石野卓球、田中フミヤなど国内のトップDJを招致したパーティーを開催するなど、クラブシーンの成長に大きな影響を及ぼしてきた。
SOUND MUSEUM VISION(2011-2022)
道玄坂中央に位置し、300坪の巨大スペースとレイオーディオによるオーダーメイドサウンドシステムを有するGAIAを中心にDEEP SPACE、WHITE、D LOUNGEの4フロアによって構成された。国内外のアーティストがライブを行うGAIAからアンダーグラウンドなDJがプレイすDEEPSPACE、ユースたちがしのぎを削ったWHITEなど東京の様々な音が詰め込まれたさまは、まさに音の博物館と言えるだろう。
Contact Tokyo(2016-2022)
〈Space Lab YELLOW〉の雰囲気を色濃く残すコンタクトは、渋谷道玄坂の立体駐車場地下に店を構え、営業面積400m²、最大キャパシティ800人を誇った。異なる雰囲気を持つ4フロアによって構成され、テクノ、ハウスを中心に海外のトップアーティストの公演からアンダーグラウンドなアーティストのイベント、ファションブランドのアフターパーティーなど2010年代のカルチャーの礎を作っていた。
ENTER Shibuya(2022-)
村田が新たに神宮前に手がけたクラブ。これからを担う若い世代に向け作られたこの場所は、アーティストのパフォーマンスを最大限に楽しめるようフロア中央にDJブースを設け、アーティストとDJを囲うようにサウンドシステムを設置することにより、音の中にいるような没入感を味わうことができる。また、スピーカーはコンタクトのメインフロアのサウンドシステムを配置し、小規模ながら高クオリティな音楽体験を提供している。
Photo Asuka Ito | Interview Takuya Chiba | Text & Edit Katsuya Kondo |