01 Fumi Nikaido

ルーツを巡る 故郷 沖縄への里帰り [二階堂ふみ/俳優]

The Busena Terrace [Hotel]
沖縄本島北部の名護市にある、東シナ海を臨む部瀬名岬にそびえるザ·ブセナテラス。自然との調和をテーマにした建物は大胆な半屋外構造で、海や木々、星空を身近に感じることができる。新しいホテルが次々と建つ沖縄の中でも、沖縄の人たちが憧れとしているリゾートホテルの一つである。二階堂は大人になってから念願叶って宿泊をしたようで、日常を忘れて部屋で存分にリラックスし、海を眺め、敷地内に遊びに来る鳥の姿を見たりして楽しんだようだ。カートで敷地内を移動して辿り着く一戸建ての別荘のようなスイートヴィラもあり、日常を脱ぎ捨てるような特別な体験を味わうことができる。
沖縄県名護市喜瀬1808
0980-51-1333

俳優、二階堂ふみ。感受性豊かな人間力と芯の強さが伝わってくる演技が魅力で、国内外で幅広く活躍している。そんな二階堂が生まれ育ったのは、古き良き沖縄らしさや人情が色濃く残る沖縄県那覇市の壺屋というエリア。活動の拠点を東京に移すまでの幼少期や10代を過ごした沖縄が二階堂の原点だ。自身のルーツを辿るため、二階堂は故郷沖縄をロードトリップした。

沖縄は生活を通して
“当たり前”を教えてくれる場所

二階堂自ら運転して案内してくれた今回の旅。小学生の時にスカウトをされた古着屋アンクから、大人になって行くようになった老舗のオーセンティックバー、バーバリーコーストまでさまざまなルーツを巡った。その旅を経て沖縄への想いをこう話してくれた。「二階堂という名字は沖縄にはもともとないらしく、小学校では『ナイチャー(沖縄の人ではない)』と呼ばれたこともありました。母は沖縄返還(1972年5月15日に沖縄県の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還されたこと)の前に生まれ、激動の時代で育った人でした。アメリカの統治下で育ったから生活の中にドルがあったり、アメリカと沖縄の文化が混ざり合っている時代を過ごしていたんです。私自身は東京や海外をはじめとした外のものに憧れて触れていましたが、その時間と反比例するように沖縄の魅力を多く見過ごしていたと思います。そう気づいた頃には昔の沖縄はどんどん失われ、今では帰ってくるたびに景色の変わり様に寂しさを感じます。だからこそ今は沖縄のことをもっと知りたいですし、沖縄の言葉を勉強したいと思っているんです。沖縄の言葉を知っていたら、大好きだったおばあちゃんともっと話すことができたんだろうなと思うし、今を生きる人に沖縄の話をいろいろ聞いておきたいんです。

人とのつながりが
沖縄の美しさ

なにごともそうですが、自分がそのときに気づけなかったことに人は惹きつけられるものですよね。今は沖縄で生まれ育って本当によかったと感じています。沖縄には社会的立場も含めて全く異なる人がたくさんいた。それが当たり前の環境なので、人種や性別、大人と子供も境界がなくて、みんなが一体であるようなすごくエネルギーのある社会なんです。多様性が叫ばれる現代よりもはるか前から沖縄はそういう場所でした。両親は仕事で忙しい人だったので、三和荘のファミリーをはじめとした近所の人たちに面倒を見てもらったり、飲屋街で働いていた親戚のお店に預けられたりと、小さい頃から大人の社会と触れ合っていました。だから子供と大人の違いも自分の中にはない。アカデミックな場所で学ばなくとも、沖縄は生活を通して“当たり前のこと”を教えてくれたのです」。沖縄は琉球王朝時代やアメリカ統治下時代、基地問題など、日本のほかの地域とは異なる背景を持っていることは事実。大きな変化がほかの地域よりもあったからこそ、沖縄に生きる人々は変化に流されぬよう、手を取り合ってコミュニティのつながりを強め、多様性を受け入れる土壌を育んだのではないだろうか。
「私がしている俳優という仕事は、仕事の本質は変わらずとも、現場や周りの環境は常に変化していきます。そういう変化が好きですし、それが楽しいのですが、一方で沖縄に帰ってくると変わらないものがまだ残っていて安心します。私が今住んでいる東京は、したいことや一緒にいたい人を選べる、取捨選択をしやすい街です。地方と呼ばれる地域は逆に取捨選択をしづらい部分があるかもしれませんが、その分だけコミュニティのつながりに強さがある。そういう共同体の温かさを沖縄に帰って再認識することはとても大事だと感じています。東京で出会った人たちとこうして一緒に沖縄に来て思い出の場所を巡り、自分を愛してくれている場所が沖縄には多くあったんだなと改めて気づくことができました。感謝しています。いい旅だったなぁ」。

Sanwaso [Hotel]
二階堂が生まれ育った那覇市の壺屋にあるビジネスホテル 三和荘。近所だったこともあり、幼い頃からよく遊びに来ていたという。「壺屋は新しいお店やホテルが増えてきて、商店街もかなり景色が変わってしまったのですが、三和荘は本当に何も変わっていなくてびっくりしました。三和荘のおばあちゃんは20年近く前から見た目すら変わっていないですね(笑)。台湾系のご家族が経営されているのですが、みなさん本当に優しくて素敵で、よく面倒を見てくれていました。建物は年季は入っているけど丁寧に掃除されていますし、リゾートホテルとはまた違う、実家のような安心感があります。おばあちゃんが手作りしてくれる野菜マンも最高ですよ」。
沖縄県那覇市壺屋 1-7-9
098-867-8689
沖縄のことを深く知って
好きになってほしい

自分には帰る場所がある。そう思えるだけでどれだけ人は安心できることだろうか。二階堂に同行して過ごした二日間は、お店や飲み屋など行く先々で素敵な出会いの連続だった。自然や文化の美しさはもちろんだが、人情味ある美しい心を持った人が多くいることこそが沖縄の魅力だと気づかされる。「その場所に住み続けている人は変わらなくても、外に出ていった人は外の感覚になっていく。沖縄から外に出た私が、沖縄の人には変わらないでほしいなどと言える立場ではないですし、それは単なるエゴだとわかっています。でも変えない方がいいことも絶対にあるのではないでしょうか。変えるということは利害関係や外部の都合が原因となることが多いと思いますが、土地のことを真剣に知ろうとして、地元の人と関係性を築いた上でなければ望ましくない結果になりかねないと思います。イラク戦争があった頃に、母の周りでも反米意識が高まり基地反対派も多かったようです。でも本当は心で考えるべきことだと思います。当時母が目の前を歩いていた若い米兵の男の子を見て、『あの子達が明日にも戦場へ行くと思うと、自暴自棄になりかねない気持ちを私が理解できるなんて言わないけれど、私自身もどう気持ちを整理すればいいかわからない』と言ったことがありました。それが真実ではないでしょうか。思想や宗教など関係なくて、そこにいる人の人生が大きな力に左右されてしまうことが問題なのです。システムに飲まれるのではなく、目の前にいる人こそ大切にしないといけない。沖縄はオープンな部分もあれば、センシティブな部分もある。ここ10年間の変化だけでも目まぐるしいですし、限界を超えてしまって無法地帯化していると感じる場面を目にすることさえあります。でも保守性と革新性のバランスを丁寧に調整しないと、文化を守ることはできない。そういった歴史や背景を知った上で沖縄に来てもらうと理解が違いますし、なによりも楽しんで好きになってほしいと心から思います。人と繋がることが、沖縄の何よりも美しい文化体験なのです」。

今回の旅でとりわけ思い出深いのは、旅の宿であり、二階堂が幼少期から近所の付き合いであるビジネスホテル 三和荘とホストファミリーの温かなおもてなしだった。思い出話に花を咲かせる彼女らの姿に、長く続く交流関係がいかに人生を豊かにするかと改めて感じる。「ふみは小さい頃から頭の冴えてる子だったのよ」と三和荘のオーナーが話してくれたが、事実今回の旅で思い出の場所を巡ったり、路地を曲がって景色が変わるごとに二階堂は記憶を鮮明に蘇らせて、当時の様子を丁寧に話してくれた。道中に乗ったタクシーのドライバーのおじさんとも二階堂はすぐに打ち解け、「昔はここに防空壕があったね。桜坂の飲み屋街も景色が変わってしまったなぁ…」など昔話で盛り上がっていた。そしてそのおじさんは別れ際に嬉しそうにこう言った。「沖縄の昔のことをこんなにも共有できる若い子は久しぶりだよ。お姉ちゃんと話せて楽しかったさー。沖縄もまだまだ捨てたもんじゃないね。沖縄にはいいところがいっぱいある。あんたら、こういう人を大切にしなさいよ。生き証人だからね」と。

Inshallah [Coffee Shop]
1974年創業で、地元の人の憩いの場として愛されてきた老舗喫茶店のインシャラー。観光客で賑わう国際通りにありながらも、コーヒー発祥の地アラビアをテーマにした幻想的な店内が大通りの喧騒を忘れさせてくれる。トルココーヒーやダッチコーヒーなど各国のコーヒー様式を楽しむことができるのも魅力だ。喫茶店という大人の世界への憧れから、二階堂は中学生のころに1人で初めてこの店を訪ねたという。中学生にとってドリンク一杯は決して安いものではないため、握りしめたお小遣いでオーダーし、インシャラーの空気感に胸を踊らせたと話してくれた。
沖縄県那覇市牧志
1-3-63 098-866-6840

ANKH [Vintage Clothing Store]
二階堂が小学生のころから今も通い、「好きなものはこのお店から教わりました」というほど彼女のファッション感や好きなものの世界観を形作った古着屋 アンク。淡いミントグリーンの内装が印象的で、バンドTやガーリーなワンピース、チャイナドレスまで幅広いヴィンテージアイテムが取り揃えられている。店主 田阪さんの好きなものが詰まった宝箱のような空間がワクワクさせてくれる。二階堂は当時小学生ながらに1人でこの店を訪ね、田阪さんと親交を深めて毎週のように通ったようだ。時には学校の宿題を店内ですることすらあったという。二階堂はこのお店にいたときにモデルとしてスカウトされ、芸能活動をはじめることとなった始まりの場所でもある。店主 田阪さんとお店のブレない世界観が二階堂に初心を思い出させるのかもしれない。
沖縄県那覇市松尾 2-11-22
098-863-0028
ANKH

Barbary Coast [Authentic Bar]
老舗中の老舗として愛され続けるオーセンティックバーのバーバーリーコースト。圧巻の一枚板のウッドカウンター越しには、壁一面にシングルモルトやジン、ワインなど様々なお酒が所狭しと並んでいる。ピザやムニエル、生牡蠣などフードも充実しており、二階堂はいつも食事も楽しむという。なによりも酒の肴になるなのは、オーナー上野さんの人柄と軽快なトークだ。「お酒という治療薬でお客さんの心を癒す、夜の心療内科ですよ」と上野さんはバーテンダーとしての心構えを教えてくれた。「バーに来るようになって、大人になったと感じます」。と二階堂は言う。この日も常連客で賑わっていたが、気づけばほかのお客さんは帰ってしまった閉店過ぎまで二階堂は夜のひと時を楽しんでいた。
沖縄県那覇市久茂地 3-15-2 2F
098-861-8961
「自分を愛してくれている人がいると
改めて気づきました。良い旅だったなぁ」

Sea Side Drive in [Restaurant]
1967 年創業の沖縄最古のアメリカンダイナー。創業者の大城保三が米軍基地への出入りをしたときに目にした、駐車場が広く、イートインもテイクアウトもできるアメリカンスタイルのレストランに憧れてオープンさせた。大きな窓ガラスが海の景色をダイナミックに取り入れ、赤と白のギンガムチェックがノスタルジックなテーブルクロスや、今も動くジュークボックスが当時の香りを残している。メニューもバラエティ豊かで、この日二階堂はエビフライ定食とフライドポテト、コカコーラをオーダーし、美味しそうに頬張りながら綺麗に完食していた。「小さい頃に母の運転で来たことがありました。今回は自分の運転で来たのが感慨深いですね。車に乗ることで行動範囲が広がったことが大人になったなと実感する瞬間です」。
沖縄県国頭郡恩納村仲泊885
098-964-2272
Sea Side Drivein
Photo Masato KawamuraHair & Make-up Aiko TokashikiInterview & Text Yutaro Okamoto

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