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Interview about Style is Message N1
with Donovan "Don" Letts (born 10 January 1956) is a British film director, DJ and musician. Letts first came to prominence as the videographer for The Clash, directing several of their music videos.

Interview about Style is Message N1
with Donovan "Don" Letts (born 10 January 1956) is a British film director, DJ and musician. Letts first came to prominence as the videographer for The Clash, directing several of their music videos.

ファッションは買えても、
アティテュードは買えない

パンクとレゲエを繋ぎ合わせた張本人として今尚その功績が語り継がれる伝説的DJ、ドン・レッツ。まだ移民も少ない50年代、ジャマイカ人の両親のもとロンドンに生まれた彼は、様々なカルチャーのなかで育った。その結果、音楽的にも容姿的にも唯一無二な存在になる。70年代後半、パンクシーンの隆盛とともに強い影響力と功績を残したマルコム・マクラーレン。その裏側でリアルなシーンを支え続けていた人こそが、このドン・レッツに他ならない。

 

単にスタイル=容姿と捉えたとき、ドン・レッツのスタイルといえば誰もが思い浮かべるのが、その髪型だろう。ものすごく長いドレッドヘア。それだけで大体の人がドン・レッツとは何者か、という問いに対し、レゲエのミュージシャンであると答えられるのではないか。そんな名刺替わりのスタイルを持っているのだが、なぜドレッドヘアになったのかをこう語る。

 

「私はイギリスで生まれた黒人の第一世代なんだ。子どもだった60年代、この概念はとても理解されづらかった。ほかの人とは違う……。私も自分自身のアイデンティティを探し求めていた。そんな時に、レゲエ音楽を通じてラスタを発見したんだ。ラスタ信者にとって重要なアイコンとして、ボブ・マーリーがいた。私もこれだ!って思ったね。私のアイデンティティとしてドレッドヘアを育てようと決めたんだ」。

 

その決断は、当時のロンドンにおいて、ドン・レッツがアウトサイダーであるということを意味しただろう。しかし、その出会いや決断が、彼のアイデンティティを作り、自分のトライブ(族)を見つけることに繋がった。「60~70年代における多くの若い黒人にとって、ラスタはとても重要だった。みんなレゲエを通じて、自分たちの文化を学んだんだ」。

 

まわりに白人しかいない中学、高校時代を送ったドン・レッツにとって、自らのルーツを教えてくれたのが音楽だったと話す。ビートルズやローリング・ストーンズ、キンクスなどが人気を博していた時代。「そんな時にレゲエが現れた。ビッグ・ユースやボブ・マーリー、デニス・ブラウンなどがね。私にとっては白人のロックンロールはとても興味深かったし、対して、白人の同級生たちもレゲエに興味を示したんだ。白人と音楽的に平等になり、文化交流となった。音楽を通して、私は学生時代に友人ができたんだ」。

 

ドン・レッツは、自分が音楽からできていると語る。その理由として、音楽は多くの表現方法への扉となるからだ。「イギリスでは、音楽とスタイルは結びついているんだ。決して離れることはない。若いころ、多くの労働者階級にとって、なにかの表現をしてアイデンティティを持つためには、たった2つの方法しかなかった。それが、音楽とファッションだ。でも、ただのファッションは良くない。ファッションより大事なのがスタイルなんだ。Silverマガジンのようにね。ファッションは過ぎ去っていくけど、スタイルは永遠に残るんだ。ファッションは買えるけど、アティテュード(姿勢、態度、スタイル)は買えない。今日着ているフレッドペリーは、ファッションではなくてスタイルだよ。だから長い歴史があるんだ。ただのファッションなら、常に新しい何かが求められる。でも、スタイルを持っていれば、それは永遠に続いていくんだ」。

 

では、どうやったらスタイルを持てるのか。「もし、スタイルを持っているなら、そもそもスタイルを気にすることにはならない。自然なことだからね。難しく考えるべきではないよ。もし熱心に考えてしまったら、それはもうファッションになってしまっている。誰かの真似をするだけではダメだ。最も重要なのは、格好良いと思ったことがあれば、そのインスピレーションを得て自分なりに表現すること。私の7フィートもあるドレッドヘアは、誰でも髪を伸ばせばできる。だが、それよりも重要なのは、脳を育てることなんだ。いつしか私は自分自身のことをドン・レッツと呼ぶことにした。ほかの誰でもない。ラスタやパンクロックという定義にも縛られない、さらなる成長を求めてね。日本のみんなも欧米の文化ばかりを追うのは良くないと思う。そこに日本人らしさを合わせるんだ。カルチャーのコンビネーションが、常に新しいものを生み出していく」。

 

 

 

ドン・レッツ

UKの伝説的なパンククラブ、ロキシーで70年代にDJとして活動し、パンクとレゲエを融合。The Clashのミック・ジョーンズとのバンド、ビッグ・オーディオ・ダイナマイトでの活動などで知られるパンクカルチャーの生き字引。

 

 

Photo Kiyotaka Hatanaka (UM)
Text Takayasu Yamada

 

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