Loading...

COLUMN
about The Places worth the effort
Kunichi Nomura

COLUMN
about The Places worth the effort
Kunichi Nomura

時間をかけても
行きたい場所があるという
ことこそが幸せだと思う
19:06 – 22:38
6th September 2021 at Tokyo
From Morning
3 cup of Americano
2 box of Marlboro gold soft pack

 
どこか遠くに行きたい、誰も知らないところに。それは自分がいつも心のどこか奥底に秘めてきた思いだ。小さい頃に本の虫になってからというもの、俺はいつの頃からか夢想家になった。活字の中に描かれる知らない街の風景や、そこの道を行き交う人たち、そして登場して活躍する主人公達を夢見て、あぁいつかそんな場所に行ってみたいと思うようになったのだ。小説、ドキュメンタリー、手あたり次第に読んでは夢想したものだった。自転車にまたがり、近所の公園ではなく隣町の知らない公園にでかけたりして、本にでてくる冒険を真似してみたりもした。公園はイギリスの森になったり、戦争下のドイツになったりし、手に持つ木の枝はマシンガンとなった。
 
やがてそういう本の読み方は、雑誌や音楽の聴き方にも影響してくるようになった。好きなバンドを見つけると、その背景を掘りまくる。どこの街の出身で、どんなシーンがあって、どこのライブハウスで演奏をしていたかとかを知りたくなり、想像で胸を膨らませていた自分がまるでその場にいることを考えながら。そんなだったから俺はゲームにはまったりすることもなく、本を読んだり、音楽を聴く以外はたいてい家の外にいた。家にいても何も起こらない、あらゆることはそれぞれの現場で起きていた。
 
俺は自分の行動範囲を少しづつ広げていった。小さいときに遠くの公園を自転車で制覇していったように。読んだり、聞いて、興味を持ったらそこへと出向いていく。住んでいた吉祥寺の本屋から六本木の本屋へ、渋谷の古着屋へ、霞町のバーに、本牧のカフェへ。本で読んだことがフィクションに思えるくらい想像と違うものもあれば、その通りだと身震いする場所もあった。名前を覚えてもらうにも苦労して、やっといろんな話をしてくれるようになったショップ、同じものを頼み続けて覚えてもらったバー。苦労して入り込んだそれらの場所は、どこにも変えがたい独特の雰囲気を纏っていたと思う。そして僕はそのかつて人の話の中でしか知らなかったその場所に自分が存在しているという不思議を味わったものだった。そこでしか味わえない空気。不便な場所でも、敷居が高くてもそこに行きたいと思わせてくれる場所、そういうところを俺は愛するようになった。
 
やがてそんな自分の関心は海外へと向かっていった。円高で航空券が安くなった時代だった。アパートを借りてバイトしながら暮らすより、どこか誰かの家に転がりこんで、貯めたお金を握りしめて海外をぶらつく方が安上がりだったし、面白かった。各地を転々としたし、2度とは来ないだろうと思う知らない土地をただ通過したりもした。長い時間をかけて随分と遠くを旅したけれど、中学時代に訪れて以来ずっと、それこそ100回は来ているんじゃないかというくらい馴染みのある街が一つだけある。それがニューヨーク。中学の頃にラモーンズやソニック・ユースのホームグラウンドだったライブハウス、CBGBにはニューヨークに行ったときには真っ先に行ったし、シド・ヴィシャスが彼女のナンシーを刺殺したチェルシーホテルにも、もちろん向かって泊まったりもした。
 
どちらも新しくも、綺麗でもない。なんなら働く人の愛想がいいわけでも、なんでもない。けれど特別な場所だったその場の空気を吸うだけで自分がなんだか特別な人間になったような気になる。大事な時間と手間をかけて行きたい場所というのは、俺にとって最初こういう場所なのだと意識的によりなったのはその時だった。どこにも替えがなく、唯一無二の場所で、そこにしか存在しない場所。どちらかというと新しい、流行りの場所を敬遠するようになり、チェーン店を嫌うようになっていった。そこに物語を感じられないのだから。そして俺はかつて読んだり、聞いたりして憧れた場所や店を訪れるうちに、自分だけの唯一無二の場所を探し求めるようになった。ニューヨークには頻繁に通うようになってから、随分と自分だけの店を見つけたものだった。店員とも馴染みになって、行けば数時間あっという間にしゃべりながら過ごせてしまう場所。朝飯はロウワーイーストのピンクポニーで、1人で二日酔いで行くと、料金をいつの間にか地元民用に変えてくれるようになって喜んだものだった。
 
スプリングストリートにあったレイズで、仕事途中にスライスピザを立ち食いし、夜は飯もそこそこに飲み歩いた。フリークショーをやっていたボックス、日曜の夜だったらモリッシーの曲ばかりをかけるモリッシーナイトのスウェイ、中でもウェストヴィレッジにあったベアトリスは最高だった。2000年以降のニューヨークで一番のクラブだと未だにいう人もいるが、店自体は特別なところが何にもない店だった。半地下の潰れたレストランをそのままクラブにした店で、ウェイティングバーがそのまま店のバーとなり、VIP席はコールドテーブルや調理機器がそのままの厨房、ダンスフロアは元々テーブル席が並ぶバンケットホールだった。天井が低く、音は最悪で、置いてある家具も、誰かの家にあるようなソファやフロアランプばかり。200人もはいればいっぱいのその店は、けれどニューヨーク1ドアマンのチェックが厳しく、知り合いがいようが何しようが、noと言われたらnoだった。俺は知り合いを通じてドアマンと仲良くなり、いつの間にか好きに潜り込めるようになったのでラッキーだったが、行くと必ずおこる入店拒否された金持ち風の男とドアマンの喧嘩を見るのが楽しかった。「中にヒースレジャーがいて俺は奴に呼ばれたんだ!プロデューサーだ、入れろ!」「だめだ。もしそうならヒースに電話しろ」「出ねえんだよ、電話に!。だから入れろ!俺をだれだと思ってんだ!」「お前がどこのだれだか関係ねえ。だめといったらだめだ。」これを週4くらいで数年やっていたドアマンの神経はどれほどタフなことか。そんなドアマン相手にどなる客が大勢いる中をすり抜け入ると、まるで誰かの家のいかれたホームパーティの雰囲気で中にはいろんな奴がいた。
 
写真禁止のパラダイス。プリンスが生前唯一DJをしたのもこの店だったし、ここでヒースたちと飲んだこともある。退廃的で刺激的で、そこで遊んでる瞬間、ここより楽しい場所はこの地球上には存在しないと確信させる強さがそこにあった。もし今、もういちどベアトリスに行けるとしたら、2週間隔離も何も気にせず多分すぐに飛行機に飛び乗ると思う。移転前のマックスフィッシュはバーやクラブをハシゴしてもつまらない夜の最終地点で、行けば知ってる誰かがそこで泥酔していて、ダウンタウンで一番安いと豪語するビールを最早味もわからず飲んだものだった。ちゃんとやっている人の顔が見え、コミュニケーションが取れる場所というのは何もしていなくても内装さえ素敵に見えたものだ。そんな店たちも景気の良さに地価が高騰して、みないなくなった。コロナでかの地を訪れなくなって2年、一体街がどうなってしまったのかわからないけれど。早くもう一度でもいいから戻りたい。
 
行動を制限されるようになって随分と経つ。家にいても大体のことがこなせる便利な世の中になったけれど、それだけじゃ感じることのできないものがたくさんある。それぞれがそれぞれの大事な場所というものが心の中にはある。俺の場合は馴染みのニューヨークの街に点在するたわいもない店だったりバーだったりするけれど、人によっては2時間車をドライブしないとつかないような本屋だったり、服屋だったりすることもあるだろう。森の中にあるピザ屋を愛してる友達がいるが、そこに行くには自宅から3時間かかるという。けれどそういう時間をかけても行きたい場所があるということこそが幸せだと思う。いつか戻りたい、いつか行きたい。そう夢想できる場所を持つことは、そこに行くと考えた瞬間からが旅であり、体験の一部なのだから。豊かな人生という質問があるとしたら、俺はそんな手間暇かけても行きたい場所をどれだけ多く持てるか?そう答えると思う。
 
 
野村訓市
1973年東京生まれ。編集者、ライター、内装集団Tripster主宰。J-WAVE『Traveling Without Moving』のパーソナリティも早、7年目になる。企業のクリエイティブディレクションや映画のキャスティングなど活動は多岐に渡る。

This article is included in

Silver N°14 Winter 2021-22

Buy on Amazon

Related article