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What is Japanese color ? Genbei Yamaguchi

What is Japanese color ? Genbei Yamaguchi

日本の色彩感覚

色には様々な種類があるように、世界各国その土地ごとに親しまれてきた色というものがある。我々が生活する日本はどうか。日の丸にも表れている紅色、日本を象徴する桜の色、黒や金の組み合わせも武士の鎧を彷彿とするからか日本的な色だ。しかし、グローバリゼーションが進む現在、日本人である我々が自国の文化を考える機会も少なくなっている。色をテーマに特集をおこなう本号において、日本には本来どのような色の考えがあるのかを知っておきたい。
 

帯職人 山口源兵衛とは

京都室町に創業280年を超える帯の製造販売をおこなう老舗“誉田屋源兵衛”がある。その代表である10代目、山口源兵衛は、和装業界では知らぬ人はいない人物だ。代々受け継がれてきた技術と確信を持って作りだす帯。その美しさの裏には、長年、日本の歴史を研究し続ける山口源兵衛の努力が詰まっている。例えば、桃山時代の風俗が描かれた屏風に登場する580人ほどの人物、1人1人の服装を自ら調べ、どういう素材でどんな染めを行なっている着物なのかを推測する。はたまた、着物が生活必需品だった時代は、今のように平和な時代ではない。武士も役者も誰一人として明日の命が保証されていない時代だ。当時の人たちがどういった覚悟で着物を着ていたのかを少しでも理解するために、奄美大島のハブと素手で対峙するなど、一言で言ってしまえば現代の傾奇者である。上記の話は、山口源兵衛が行う活動の一部分に過ぎないのだが、氏が作る帯を一目見ようと世界中の名だたるトップブランドのデザイナーやCEOなどが誉田屋源兵衛を訪れるのだ。そんな山口源兵衛に日本の色について話を聞いた。
 

禅から生まれた日本的な思想

「まず先に言っておきたいことは、みんなが思う日本っぽさというものは室町時代以降に出来たものや。それまでの時代は中国崇拝による文化やった。あるとき中国から漢字や仏教が入ってきた訳やから、一気に日本の文化が変わったんや。奈良時代に遣唐使、遣隋使によって中国の色が入ってくるようになった」。例えば、日本でも高貴な色として扱われる紫色。その紫色が高貴な色として日本に 伝わった流れはこうである。古代エジプトの女王クレオパトラは、貝紫染めをして、それが地中海からシルクロードに伝わり、2500年程前の時代に中国の皇帝がその色を目にして自ら取り入れた。「でも中国では貝紫染めの原料が手に入らなかったから、紫根染めをするわけや。それまでの皇帝の色は金や赤だったのを紫に変えた。そのもっと後で日本が真似をするわけや。紫が日本でも位の高い 色になったのはそういう理由がある」。
 
では、さらに過去を遡ると日本では色をどう捉えていたのだろう。「最初の色は鉱物染めや赤土染め。世界的にも赤を使うことから始まった。赤というのは血の色で、実際に人の骨を赤に塗ったりもしているわけやから。その当時の人たちがどういう色の識別を持っていたかというと赤と白と黒。これが特別な色で、 ほかの色には意識がなかったと思う。色は匂いでもあり、昔の人は単純に色=colorとして捉えてなかった。目に見えないものすべてが繋がっていた時代で、今みたいな分離思考とは違うからね。色気という言葉のように日本の色は抽象的なわけや。例えば、桃色というものは、桃の香りや味も全部一体として捉えていた。桃色といえば桃の香りや甘い味がしてくる、色の気配なんや。色が身分差のために用いられてくるようになったのは、その ずっと後の時代」。
 
島国である日本は、今でこそ先進国だが、中国文化が入ってくるまでは今でいう発展途上国であった。そんな中、異文化が入ってきた当時の日本における影響の大きさは容易に想像できる。しかし、そんな中で日本らしい文化や美意識も生まれ、発展してきたという。「日本らしさの文化が最高地点まで高まったのは室町時代。貴族文化は中国の文化から影響を受けているから、日本的なものを作りようがない。武家社会が能や茶といった文化を作っていった。それのキーマンが一休や。一休に皆影響を受けて、 東山文化が作られ足利義政の銀閣寺ができた。実際はもっと複雑な話やけども。せやから銀という色には禅的な印象を受けるんやと思う。お茶も禅から生まれて、日本らしいと思えるものは禅と強固な結びつきによるものなんやなあ」。室町時代の武家社会が禅を発展させ、日本らしい文化を生み出してきた。我々、日本人が完璧な美に惹かれるよりも、少し乱れたものや未完成なものに美を感じたりする感覚は、禅の思想によるものなのだと気付く。「“綺麗”という漢字の“綺”、は奇妙な糸と書く。糸の乱れ。“麗”は鹿がひるがえった時の美しさ。なんの乱れもないものに日本人は美しさを感じない。
 
鎌倉時代にそこそこ身分の高い人がやっと紙を手に入れらるようになった。それまで紙は天下人にしか手に入らへん貴重なものやった。そんな紙をわざわざ割いて継いだ継ぎ紙に和歌を書いていたんやで。茶碗も金継ぎに美しさを見出すやろ。現代では、みんなストーンウォッシュしたデニムを履いたりしているけれど、それが格好良いとなったのはここ数年のことやんか。日本では、600年前から新品の着物をストーンウォッシュしてたりするからね。新品の絹の着物なんて誰も買えない時代に、わざわざ新品を石で擦るんやで。日本人がそういう未完成なものに美しいという感覚を持つようになった影響はやっぱり禅やと思う」。

左_山口源兵衛がコレクションする100年程前の銀箔。 今の銀箔と違うのは銀が贅沢に使われており厚みも魅力。ペルシャから伝わったとされる箔の文化も、いまだに大事に残しているのは日本くらいだという。 右_経年変化によって自然と色が変化した銀箔をそのまま配した山口源兵衛の帯。まるで現代アートの抽象芸術のような逸品である。

 

銀色に日本の精神性が現れる

銀には日本的な精神が宿ると山口源兵衛はいう。「銀っていうのは時間が経つにつれ真っ黒になるやろ。一概には言えないけど、 昔の衣装の黒い部分は銀だったわけや」。そう言い、山口源兵衛が見せてくれたのは、100年程前の銀箔だ。それはいわゆる銀色としたものではなく、酸化によって様々な色が表れた銀箔。「100年前にはこれも一面銀色やったと思う。時間が経つにつれ酸化して 真っ黒になっていくんや。その経過の途中に緑や紫、青に変化してやがて黒になっていく。これにも銀色が見える部分があると思うけど、元々の銀色でもない。色が変化していく途中である瞬間にだけ、また銀色になる時がある。それがこの状態や」。深い色や微妙な色、錆びた色という日本らしい色味がこの箔に現れている。機械が無かった時代、銀の玉を叩いて伸ばしたのが当時の箔。それによ り厚みや凹みが生まれ、100年経った今、複雑な色のグラデーションがこの箔に生まれた。この作為的ではない自然が作り出した色を山口源兵衛が帯にそのまま映したのが、写真で紹介している帯だ。「自然が生んだ現代アートやと思ってる。モノを作るということは自分の思想や価値観が作っている訳やんか。俺は出来るだけ作家的な思想を出さずに自然な美しさのある帯を作りたい」。
 

感受性がモノや色を見る目を養う

「染色に携わる人ならわかると思うんやけど、絹糸はそのまま置いておくと駄目になる。染めることで耐久性が出るんや。保存のための染色から始まった。実は、絹の着物を作ろうと思ったら8千頭の蚕を殺すことになる。安物でも6千頭。その命を奪ったという意識が当時はあった。今の染色は色で考えるけど最初は色やない。そんなにもたくさんの命を頂いて作った絹糸を守りたかったんや。それに今、女性がリップを塗っているのも、元々は魔除けのためやろ。口から悪霊を入れないために塗った。シャーマニズムや。目に見えないものがすべてであった時代から、今は目に見えるものがすべての時代になった。 今でも人々が神社に参拝したりしているのは、そういった目に見えないものに対する意識がまだ残っているから。その感覚を大事にしていきたい。侘びや寂びの意味も理解していく必要があるはずや。侘びの究極な言葉に「藁屋に名馬」という言葉がある。崩れかけた藁屋なのに名馬がいるんや。この対比が侘び。利休も侘びを追求したけど、秀吉と利休のような人物の対比も侘びやと思う。侘びは命がけでしていた精神の贅沢なんや。室町時代に絵のない白紙を見て『見事な絵や』と言った逸話も残る。『桜の花を春に見ず、冬に見ろ』って言った話もある。そういう目をしているのは究極の感受性やと思う。命がけでその精神の遊びをしていたのが日本なんや。世界はそういう日本の文化を評価しているのに、今の日本人はあまり自国の文化を大事にしていない。日本人の繊細な感性を知るには、歴史を知る必要がある。日本の先人が繋いできたこの縦糸をもっと理解することが大切だと思う」。  
 色は色、匂いは匂いと分離思考で捉える現在、精神性で発展してきた日本文化の色を語るのは容易ではない。しかし、歴史を学び文化を知ることで日本独自の感覚を養うことが日本の色=美を楽しむことに繋がるのだろう。

山口源兵衛
京都室町にて280年以上続く帯問屋の10代目。 2008年ユナイテッドアローズと組み安土桃山文化をテーマにした男の着物コレクション“傾奇者達之系譜”の発表など、歴史と革新を持ち、現代に日本文化を伝える人物。

 
 
 

Photo Tomoaki Shimoyama Interview&Text Takayasu Yamada

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