Loading...

Interview with Tetsu Nishiyama about What is STREET?
Respect for the Culture

Interview with Tetsu Nishiyama about What is STREET?
Respect for the Culture

西山徹 “FORTY PERCENT AGAINST RIGHTS®︎”、“WTAPS”、“DESCENDANT”を手がけるファッションディレクター。
仕事も表現も自分たちで作る
ストリートから学んだDIYの精神
ストリートの本質は
カウンターカルチャー

東京のストリートファッションを語る上で重要人物として真っ先に名前が挙がるのがディレクター、西山徹だろう。東京で生まれ、東京で育ち、彼の歴史は常にストリートカルチャーとともにある。「フォーティー パーセント アゲインスト ライツ」や「ダブルタップス」、「ディセンダント」を手がける西山が考えるストリートとは。
 
「今、一般的にストリートと言えば、ストリートファッションのことを示していると思います。でもストリートの本質は、カウンターカルチャーだと僕は考えています。カウンターカルチャーという言葉を調べると“価値観や行動期間が主流社会のものとは大きく異なり、しばしば支流の文化的慣習に反する文化のこと”だと書いてあります。メインの潮流があってそれの対抗文化だと。ファッションに置き換えれば、メインストリームはモードだとかコレクションブランド。それとは全く違うところで、80年代にはスケートブランドが発信するスタイルやステューシーのようなサーフカルチャーに根ざしたブランドが生まれ、90年代には裏原と呼ばれるファッションが生まれました。これらすべて、今ではストリートの代名詞として呼ばれるものは、カウンターカルチャーとして発生したものです」。
 
カウンターカルチャーというと、大きなものでは60年代のヒッピーや70年代のパンクなど時代ごとに政治や戦争など社会に対する不満が人々の反骨精神を育て、こうした力強いカルチャーを生み、世界規模で多大な影響を与えていった。昨今のコレクションブランドにおける“ストリート”を求める流行も、またこのカウンターカルチャーが与えた影響の一種であろう。それほどストリートは、人種、年齢や地位を超え支持されるものとなった。そのストリートファッションの礎を築き、たくさんのストリートブランドが出来たきっかけには、ステューシーの功績があると西山はいう。「80年代ごろは、若者たちが『自分たちが着たいもの』を自分たちで探したんでしょうね。機能や必要に迫られてではなく、ステレオタイプのカテゴライズから自発的に抜け出して、手探りで自分のルーツを大事にしながら、自分たちなりのスタイルを表現していたんだと思います。そういう時期に生まれたブランドがステューシーじゃないかな。そしてそのステューシーが、人や音楽を介してロンドンやニューヨークのクラブ文化と混ざり合っていき、ファッションを超えた文化的なものになっていったと思います」。ファッションとカルチャーが結びついた起源的なブランドとして、ステューシーが後世に続くストリートファッションへ与えた影響は計り知れないだろう。西山もまた、その影響を受けた1人だという。
 
 

カルチャーに対して
接し方に変化が起きた

西山が中高生の頃、もっとも傾倒していたのは、BMXやスケートボード、バイクやDJといったカルチャーである。それらのカルチャーが今に続く彼のクリエイティブのルーツとなっているのは言うまでもない。「当時は、そういったカルチャーを吸収していくこと自体が楽しくて仕方なかった。多感な時代にのめり込んだだけに歳を重ねた今でも勿論好きではあります。でも、当時と比べると全く違って見える気がします。今では、ジャンルレスにいろんな要素を取り入れたファッションを楽しむ人が増えて、その傾向自体がメインストリームになっている状態だと思います。だから、自分が感受してきたものとはまた違った意識なんじゃないでしょうか。自分としては、今はカルチャーを吸収するというよりも、俯瞰で分析している方が楽しくなってきています。例えば、今に続くストリートファッションのオリジナルを作ったと思っているショーン・ステューシーがディオールとコラボレーションをして、そのディオールにはクリエイティブディレクターにキム・ジョーンズがいて……。と、現在のカルチャーを作った過程を顧みながら、色々と分析するのが面白かったりするんです」。キム・ジョーンズやヴァージル・アブローがハイブランドに進出してから、昨今のコレクションブランドにおける度重なるストリートカルチャーのクローズアップは、一昔前では考えてもなかったことだ。「そういう時代が来るべくして来たという感じですよね。過去にはNIGO®︎君がフェンディのパーティーをディレクションしたこともありましたし、なんとなくそういう時代になる予感はありました。その流れも今ピークを迎えているとも思います」。ファッションの主流文化を見て育ったデザイナーは、主流な服を作るだろう。しかし、今のファッションシーンはサーフやスケート、古着の文化、ドメスティックブランドやインディペンデントなブランドと、様々なジャンルがある混沌とし始めた80年代から90年代に影響を受けて育った世代が作るからこそ、ハイファッションと文化交流して新しいアウトプットになっていると西山は分析する。そういったジャンルをまたぐことへの戸惑いを払いのけ、新たなスタイルを作る起爆剤になったのには、藤原ヒロシ氏やNIGO®︎氏の存在が大きいのではないかと聞くと。「もちろん、ヒロシ君がフラグメントでルイ・ヴィトンとコラボレーションしたことは起爆剤になったと思います。そして、それ以前からヒロシ君やNIGO®︎君の活動に影響を受けた人たちのクリエイションが注目され始めた。そういう人たちがカウンターカルチャーやハイファッションを融合させているのかなと思っています。ファッションの文化自体、常に融合したり変化し続けることが自然な形なので、本質は、どんどん変わっていくべきもの。ですから、今起きている出来事はとても必然的だと思うんです」。

スケートボードカルチャーに傾倒していた中高生の頃、特に憧れを持ったというスケーターでありアーティストのマーク・ゴンザレス。当時のスラッシャー誌面を今でも大事に保管している。

 
 

日本独自のリミックス文化が
東京のストリートを生み出した

では、西山は影響を受けたカルチャーを通して、どう自身の表現に繋げてきたのか。「スケートボードも音楽も映画もメインストリームとは違う部分に常に自分は興味がありました。スケートボードでは、マーク・ゴンザレスとかニール・ブレンダーが好きで。同じものが好きで共感できるスケートボーダーの友達が当時周りにたくさんいて。そういう仲間と集まって遊びの延長で何かを作ったりする時代でした。クリエイションに関して、自分たちは主流じゃなく、逸れたことをやっていると思っていたので、有名になろうとか、何かすごいことをしてやろうという気持ちもなかった気がする。周りの人たちも、結果的にその後メジャーになっていったりしましたが、当初は自分たちのやりたいことをやるという考えだけでした」。そう語るように、マーク・ゴンザレスが着ていた自作のプリントTに影響を受け、西山も自身でTシャツを作り始める。初めて販売した場所が、NOWHEREでありそれらは即完売。そのことが後の西山のデザイナー人生を左右することとなったのである。「原宿にいる周りのみんなも自分たちの好きなことをやっているだけでした。欧米のカウンターカルチャーからの影響を取り入れ、自分たちのフィルターを通して表現する。それが日本独自のリミックス性を持っていて面白かったですね。その頃ヒロシ君はDJで、クラブでヴィヴィアンを着ながらスクラッチをして、スケシン(スケートシング氏)はパンクロックやヒップホップを聴きながらスケートボードしたりして。滝沢(滝沢伸介氏)も、当時のバイカーといえば大体、黒Tにデニム、エンジニアブーツというのがお決まりの中、全く違うスタイルを持ってネイバーフッドを始めたり。ジャンルがひとつひとつ区切られて、そこからはみ出ることが難しかった時代に、日本独特のリミックス感覚で文化が生まれていったのが面白かった」。日本が独特な変化を生み出すことに長けているのには、異文化の流入がダイレクトではなく、独自の文化に変化しやすい島国であることも大きな要因だろう。

スタジオ内にある西山の部屋は、雑誌やビデオ、CD、スケートボード関連のグッズなど彼のアイデンティティを感じるモノで埋め尽くされている。特に若い頃影響を受けた映画はテリー・ギリアム監督の“未来世紀ブラジル”だという。

Related article