独創的なアプローチで人々の記憶に残るヘアを追求してきた男、KENSHIN。デジタルカメラが台頭し始めたファッションビジュアルの転換期である90年代から00年代にニューヨークを拠点に活動し、日本にベースを移した今もなお第一線で活躍するヘアスタイリストだ。そんな彼の生き方や、選ぶモノ、作り出すモノ、全てに対する時間の価値観とはどんなことなのだろうか。「僕がモノに対して良し悪しを判断する基準として、そこに時間をかける価値があるのかということがポイントとしてあるかもしれません。僕がニューヨークを拠点にしていた時代から乗り続けている車、フォードのブロンコは良い例だと思います。70年代のまだ性能もアンコンプリートな車ですが、このルックスを見てもらったらわかるように人の手によってデザインされたものなんだなっていうのがすごく分かる。自分も手で何かを生み出す仕事をずっと続けてきたのですごく共感できる部分があるんです。10年ほど前にこの車を店で初めて見た時、時間をかけて乗っていく価値がある車なんだと直感しました。だからこそ拠点を日本に移した今もなお、船便でニューヨークから日本に持ち帰り修理をしながら今まで乗り続けているんです」。
そんな「時間をかける価値のあるモノを大切にしたい」という彼の確固たる価値観は、ニューヨークでの経験から養われていったと言う。「ニューヨークでの人との出会い。これが一番大きいです。フォトグラファーのルイス・サンチェスやアルバート・ワトソンなど、一流の方達と仕事を通して出会った事が自分の転換期になりました。撮影の際、ヘアに関して何も言われないんですよ。何も言わないけど、どこか少しでも気に入らなければシャッターを切らない。要望がどんな事なのかまったくわからない中で、自分の持っているすべてのクリエイションを出し切っていかなければいけないんです。作っては壊して作っては壊して…そのトライアンドエラーに、本当に多くの時間を費やしました」。こうした環境で揉まれていくうちに、自分の瞬発力や直感を信じる事であったり、信じたことに対して情熱を注ぐという、彼が現在最も大切にしている価値観が形成されていくこととなった。そうした経験やすべてが詰まっているのが、今までにヘアを担当した雑誌やフォトブックのページを切り抜いて保存した、彼が「ブック」と呼んでいるものだ。「今だとインターネットやInstagramでパッと個人の作品は見れてしまうけど、90年代当時はそうではありませんでした。仕事を取るためには雑誌などの自分が携わった作品を使ってブックを組み上げて、メッセンジャーに頼んでフォトグラファーに送るんです。そうしないと今と違って簡単に自分の情報にアクセスできないので、認知されませんからね。運賃が片道20ドルで、往復だと日本円で5000円近くになってしまう。当時はそれを毎日繰り返して、請求が30万円を超えるなんてこともありました(笑)。僕はキャリアが23年ほどあるので、20年ほど前からコツコツ作ってきたものになりますね。改めて見返してみると、まだ荒削りであった部分や自分のスタイルが変わって行く過程の部分などが垣間見れるんです。全速力で駆け抜けてきた爪痕みたいな感じですね。そうした経験から直感に従うというか、瞬間の瞬発力が大事だと思うようになりました。ヘアを作って壊しての間に、キラッと光る瞬間があるんです。そこを一番大切にしています。計算されたアンパーフェクトと自分では呼んでいますが、そうしたスタイルに最終的に落ち着いていくことができたんです」。クリエイションの幅を模索していた時期から、スタイルが固まっていくまで。今までの軌跡が詰まった、まさしく彼のキャリアそのものであるこのブックは時間と共に作り上げた財産だ。これだけはどれだけお金を費やそうとも決して手に入らないものであることは間違いない。
東京は代々木公園に程近い場所に店を構える自身が運営するサロン〈Epo Hair Studio〉。今の時代の『新しい美しさ』の追求をテーマに掲げ、使用するオイルやシャンプーなどを全て自身で手がけるなどサロンの新たな可能性を提案している。時間をかけてトライアンドエラーを繰り返しながら新しい価値観を生み出していくというニューヨークで得た経験は、こうしたKENSHINのモノづくりにも色濃く反映されている。「サロンを立ち上げようとしていた段階から、普通のサロンにはしたくなかった。美容室は基本的に特定のシャンプーを使用しなきゃいけないなど制約やシステムみたいなものがあるのですが、それではつまらない。昔から香りが好きで、撮影で様々な場所に行っていたのでその土地土地の香水を集めていた時期がありました。そうした経験から、特に香りにはこだわっていきたいなと思っていたんです」。そうした考えからサロンで使用するオイルやシャンプーを自作していくスタイルで運営していくことに決めたという。「最初は右も左も分からないまま精製用の釜を発注して、ノウハウをすべて独学で覚えていきました。山の中に入っていって材料を採取したり、調達もすべて自分で行いました。素材を求めてインド在住の人にメールしたり、農家の方に直接連絡を取ったりすることもありましたね(笑)。その分失敗も沢山あって、蒸留してもまったくオイルが取れないこともあったし、オイルが取れても匂いが強烈すぎてボツになったものもたくさんありました。トライアンドエラーを繰り返しながら吟味して、トータルで3年ほどの時間をかけてベースを作っていったんです」。右も左もわからない世界でも、信念を持って突き進む。そうすることで見えてくるものがある。「世界の様々な素材や手仕事で育てられた農作物を集めてオイルという一滴の液体にしていくのはすごく面白い。例えば同じ種類の素材であっても、産地や標高によって同じ香りになるとは限らない。そういう組み合わせだったり相乗効果を時間をかけて探していくのがすごく面白いですね」。昨今の情勢では、なかなか人と人とが直接会うことを自粛せざるを得ない状況が続いている。そんな中だからこそ人と人が出会った時に記憶に残るような、まだ見ぬ良い香りを時間をかけて探っていく。なぜならこうした状況であるからこそ、香りに救われる人がいるかも知れないから。このように時間をかけていくつもの正解を導き出していくというKENSHINのクリエイションのスタイル。ヘアとオイル精製という2つの活動にも共通した価値観が反映されているのだ。
選ぶものをはじめ、作るもの、クリエイションなどにおいて、KENSHINは常に時間を惜しまずに向き合ってきた。すべての物事に対して費やしてきた時間は、情熱という言葉に集約される。「物事に対して情熱をかければかけるほど良いものが生まれやすいということは、今までの経験で体に染みついています。だからこそ自分がヘアやモノを作るときは情熱と時間をありったけ注ぐようにしているんです。その方が相手にモノの良さが伝わると思っているんです。だから何に対しても妥協をするということは自分の中で難しいのかなって思いますね。ファッションにこれまでずっと携わってきて思うのは、何事にも何かしらメッセージが必要だなということ。ファッションは今まで世相を反映していたり、それがビジュアルに表されてきましたよね。今はいろいろと大変な世の中ですが、その中でも今の自分にできることであったり自分なりのメッセージの表現方法を時間と情熱をかけて見つけていきたいと思っています」。時間をかける価値があると信じるモノに対して、情熱をかけてトライアンドエラーを繰り返すこと。その時間に無駄な要素は一切存在せず、むしろその時間にこそ価値がある。何かを成し遂げる際に近道なんて存在しない。自分が正しいと思うことは、どんなに時間をかけても追求していくことの大切さを改めて感じることが出来た。
Photo Tomoaki Shimoyama | Edit & Text Shohei Kawamura |