Loading...

Interview with
Genbei Yamaguchi

Interview with
Genbei Yamaguchi

日本人の根源的な意識を問う

これからの時代、根を意識することが大切
山口源兵衛

 
今年、記念すべき10回目を迎えた京都で行われる国際的な写真祭、京都グラフィー。そこで行われた、スペインの写真家イザベル・ムニョスと世界的ダンサーの田中泯、そして、京都で280年以上の歴史を持つ老舗帯匠“誉田屋源兵衛”の10代目当主、山口源兵衛による展示に心を奪われた。会場としても使われた、誉田屋源兵衛は歴史ある京町家。過去にもここで展示を行ったイザベルが、山口の織物や古布に感動し、「もっと日本の根源的な部分を知りたい」という思いから生まれたのが今回の展示であった。太古から続く、豊かな自然が遺る奄美大島を舞台に、田中泯と山口源兵衛を撮影したイザベル。そこに写し出された見るものを引き込む田中泯の踊り。展示されたプリントには、現代を生きる我々の感覚には理解し難いほど、純粋で人間の本質的な姿や生き物としての力強い形が表れていた。そして会場のクライマックスに展示されていたのが、イザベルの写真を裁断し糸に紡ぎ、また写真として織り上げた帯という世界初の“写真の織物”。これには、観た誰しもが度肝を抜かれたことだろう。コラボレーションという昨今よく耳にする言葉では生ぬるい、気鋭の3者による意地と意地のぶつかり合いとも言える、激しくも美しい作品が展示されていた。
 
山口の作る帯や着物はほかとは一線を画す。理由のあるものづくりを突き詰める山口は、衣服の観点から歴史を深掘りし続け、当時の人たちがどのような精神状態でその衣を着ていたのか、なぜそうした紋様をまとう必要があったのか……と考察を重ね、イメージを膨らませた上で作品を生み出している。過去に2度インタビューをしたことがあるのだが、日本人の根本的な感覚を揺さぶるような話はとても新鮮だった。約3年前、SilverNo.5でも山口を取材した。その号はテーマが“色”であった為、日本の色彩感覚について話を聞いた。その時の内容も歴史を遡り、ひいてはシルクロードを辿りエジプトにまで話は発展したのだが、話の中で「縄文時代こそ日本人の根源的な感性を知るヒントがある」と聞いた。その一言は掲載はしなかったもののずっと心に残っていた。本号のSilverでは、プリミティブというテーマを掲げているだけに、まず、この縄文の話や日本人の根源的な部分を聞こうと山口の元を再び訪ねた。
 
 

自然の中に生かされている
その事実が感受性を養う

 
「縄文は今注目されていますけど、ややこしいですね。たくさんの学者が研究していますが、世間に発表できないことが多すぎる。だからこそ面白いけれど、こういう場所で伝えづらい。それでも1つ、重要なことを話すとすると、縄文時代と弥生時代では、全く文化が違うわけです。弥生時代の道具というと、現代の生活用品みたいな実用になりますが、縄文に作られた壺を見ると水も何も入れられないような穴がいっぱい空いたものばかりです。なぜこういう形になったのかを考えると、縄文時代の人たちは、どれほど人間が弱い存在であるかという自負があったからなんだと僕は思っているんです。壺も何もかも、道具として自分たちが使うものではなく神様のものだった。日本は地震が起きる、津波が来る、獣もいる。どう足掻いても結局、何の抵抗もできない訳です。そういう自然に対しての畏敬の念を持っていたからこそ、水を飲む器でさえ神様のものという意識があった。神の器なんて使ったら失礼だと。こぼしながらも手ですくって飲まないとバチが当たると思っていたはず。今の人間は、道を歩いていてつまずいたとしても、偶然だと捉えますが、昔の人はバチが当たったと考えていたはず。偶然というものがなかったんですね。この間、車を運転していて少し車体を擦ってしまったんです。そういうこともたまたま起きたのではなく、大事故を防いでくれたと感じる訳です。『次は気をつけろ』という神様の警告だと捉える。そういう感受性は、今ものすごく大切だと思います。そうした自然の中に生かされているという意識が無くなってしまったのが今の人類。それでも、この間バリに行った時、竹藪の中に竹の家があって感動しました。人間が住むはるか昔からそこにあった自然の中に後から入ってきた私たち人間がお邪魔させてもらいます、という心の表れを感じました」。
 
安心、安全を求め、危ないものを排除し続け、今では自然をコントロールするまでになった人類。いつからか、食事の前に手を合わせることも減ってきているように思う。自然の中で人間が優位に立とうとする現代において、改めて縄文時代には強くあった自然に対しての畏敬の念を思い起こすことが、人間的でプリミティブな感受性を開く鍵なのかもしれない。

「写真でも帯でもない、超越したものを作りたい」という思いで京都グラフィーに展示した作品は、イザベルが撮影した写真を断裁し糸にして織るという、高度な技術と革新性によって生まれた世界で初めての“写真の織物”。奄美の原生林で植物の根を見たイザベラは「踊っているようだ」と形容し撮影。その写真に組み合わせたのは、縄文に多用された紋様。

奄美の泥に塗れた山口の後頭部。よく見ると細い糸、太い糸、細かい編み地、荒い編み地が組み合わさっており、網も一緒に織るという超絶技巧を感じられる。「網は、網目というように、目なんです。昔は、網目がこっちを見ていると思われていました。その奥に僕の頭の写真が織ってある。つまり、僕の頭がみんなを睨んでいるんです」。

「泯さんが僕のショーの時に、身体を絞り込んでガリガリになって踊ったんです。本人にいうとつけ上がると困るけど、彼を見てキリストを直感した。それでこういうデザインにしたんです」。

 
 

本を読むのではなく本を感じる

 

山口は、これまで書籍や学者の話を通じて、そうした歴史を知るほかに、当時の人たちがどう考えていたのかを理解するため、生死をかけてハブと戦うなど実体験を経て感性を養ってきた。話の随所から伝わってくる溢れるほどの情報量の多さから、おそらくこれまでに膨大な量の本を読んだのではないかと聞くと、こう答える。
 
「僕は本を読まない。本を読むということは、予備知識を入れるということ。そうすると、知識に束縛されて、直感力とか感受性というものの出番がなくなる。帯や着物作りはほぼ直感です。本を読まないと言いましたが、本はものすごい量持っています。ですが、本を読むのとは違います。本を感じるんです。歴史書でも、何月何日に何があったというような歴史自体はどうでもいい。歴史自体の研究をしたい訳ではなく、その時に生きた人たちの精神性やなぜこういう衣装を着る必要があったのかという歴史の奥を知りたいんです」。
 
世界中のあらゆる情報が溢れている現代において、物事を感覚的に捉える瞬間は圧倒的に減っている。服を買うとき、アートを見るときもモノそのものを感じることよりも情報を見ることの方が時間として多い、そんな気がする。ものづくりをする人は、頭で考えるのではなく直感で見極めることこそが大切である。山口でさえ、アイディアが溢れる時もあれば、何にも浮かばない時もあるという。感受性を養いながら、今、山口が挑戦しているモノ。それは古代の織物だ。
 
「目指しているのは、日本神話の中で天照大神が天の岩戸から出てくる時に飾ったとされる織物。天照大神を誘い出すために、その場を浄めることに使った布です。江戸時代までは、その織物が宝物として扱われていたようです。江戸時代の人たちからしても、古代の粗末な織物だったはずなのに、それを宝物として認識していたというから、どういうものだったのかと困っているわけです。その糸口を見つける為には、頭で考えてもわからない。当時の人の感受性で考えていかないとわからないと思うんです。例えば、古代の人が鹿狩りをしていたように、僕も鹿狩りをしています。そういったあらゆる繋がりを体験しながら、当時の人はどういう感受性を持っていたのかと糸口を探っているんです」。

 
 

情報ではなく、
感受性を養う

 

感受性の大切さについて、本号では様々なインタビューを通してそれぞれが語っているが、山口もそれがこれからの時代により必要になってくると念を押す。
 
「この間、江戸の学者が『日本は今も江戸時代』だと言っていました。今の政治と何も変わっていないという。変わらずずっと同じことをしている。そういうこともあって、これからの時代に必要なのは、“地下”を意識することだと思う。植物で言うと“根”の部分です。さっきも話しましたが、人間というのは変わらないわけです。なぜ変わらないのかというと、顕在意識に支配されているからだと僕は思う。例えると、顕在意識は地上に出ている部分。葉っぱや枝、花ばかりをみんなが一生懸命見て、情報ばかりを得ようとしています。でも、昔は“根”を重要としていた。目に見えないプリミティブな部分への意識がものすごくあったんだと思う。その理由は、命懸けで生きているからこそ、無視のできないことが多かったからです。現代では、普段から命を感じることがあまりないですよね。だからこそ、今と昔では想像力が全く違います。前にSilverでも話しましたが、色も今みたいに何色だというふうに見ていなかった。色はつまり、色気であり気配ということだった。桃色というと、桃の香り、桃の味、桃の花、すべてが桃色なんです。それぐらいの感受性を持ってなかったら生きていけるような世の中じゃなかったのです」。
 
自然の少ない都会での生活では、五感を刺激する何かを感じることは滅多にない。効率を求め続けた結果、生活は便利になったが、余白のない都会での生活を脱しようと地方へ移住する人が増えたり、人々が自然を求めアウトドアがブームになっている状況は、やはり人間の中に残るプリミティブな部分が反応しているからだろう。室町三条で生まれ育った山口も、最近になって少し離れた場所に家を作ったという。場所は、京都市から車で1時間ほど離れた山に囲まれた田園風景が美しい大原地区。住む場所を街から自然へと変えたことで、新たに変化があったようだ。
 
「僕はね、夜すごく寝るんですよ。だから、昼寝や居眠りなんてだらしないことは絶対しない。それなのに、大原の家に移ってからもう2回も居眠りをしてしまったんです。居心地が良かったからでしょう。その時に、ふと思ったんです。そうか、空気も自分だと。人間というのは、不思議な動物で、体の中にある時は汚くないと思っているのに、外に出たら汚いと思うものがある。唾を吐いたら、自分のだとしても戻したくない。つまり自分の外は、自分だと思っていないんです。でも、それは違います。空気だって、息をしている訳だから周りの空気は自分だと思う。つい居眠りしてしまった時に、大原の田舎の空気が心地良いから僕みたいに動物的な人間は反応してしまったんだと思いました。動物はより敏感です。犬を飼っているんですが、大原に行って比べ物にならないくらい元気になった。周りに獣がいるから落ち着いていられない、野生に半分戻ったような様子です。結局、都会は本当の自然がない。生物として住む場所ではないと改めて思いました。大原の家は、川の横で景色もいい。朝も気持ちがいいんです。そういうところにいると、色々なメッセージが降りてくるんです」。
 
この大原の家はまだ完成していない。庭を作っている途中で、理想的な形になるまではあと2、3年かかる。やがては、敷地の一部をカフェにし、誰しもが美しい景色の中で時間を過ごせるような場所にすることを計画しているという。

上の帯のベースとなった奄美の根の写真。今回の展示ではこの作品のほかにも田中泯や山口を撮影した多数のプリントや映像が公開されていた。

旧知の仲である田中泯の踊りのために制作した衣装。擦り切れや穴など損傷を見ると、田中泯の踊りの激しさを改めて感じることができる。

新作浴衣に配された柄は、ヴァイキングの紋様。「この紋様と類似したものが日本でも1500年前にあるんです。世界中が同じようなことを考えていたのでしょう」。

 
 

ハイリターンを求めるなら
人と違う自分の道を歩くこと

 

京都グラフィーで公開した織物の写真や、前述した神話の衣など、奇抜なアイディアで世界中から注目を浴びる山口のクリエイション。メディアや政治家、海外のトップメゾンなど様々な著名人が山口の話を聞きたいと日々、誉田屋の暖簾をくぐる。それは、山口が衣という分野においてこの上ない生き字引であり、まだ誰も見たことがないものを求めて挑戦をし続ける姿に惹かれるからだろう。73歳、いまだに前傾姿勢だ。しかし、そんな山口も若りし頃に先人から学んだことの影響が大きいという。
 
「昔、僕が尊敬している染色の先生に『源兵衛、八坂神社と大阪の造幣局の桜を見に行く人間になったら終わりや』と言われたんです。京都に常照皇寺という寺があるんですが、そこにある1本の桜を見に行けと言うんです。今でこそ、常照皇寺は有名になっていますが、当時は京都人でも知らない人は多かった。常照皇寺の桜は通り過ぎようとした天皇が、その桜を見たいがために引き返したという逸話があります。それで、御車返しの桜と呼ばれているんですが、『京都にいるならそれを見る男になれ』と言われました。何が言いたいのかというと世間とは逆を行くことが大事だということ。最近は、どの企業のコマーシャルを見ても当たり障りないものばかりが流れています。炎上しないよう、安全な方向を向いているんでしょう。けれど、その安全は決して安全ではない訳です。ノーリスクでハイリターンなことは実現しない。やはり、ハイリスク、ハイリターンが原則なんです。誰も歩いていない道を歩く方がチャンスが転がっていて、得るものがあるということを染色の先生から教わったんです」。
 
山口の手がける帯や着物を見れば、そうした攻めの姿勢がよくわかる。この日見せてくれた新作の着物も、まさに常識に囚われないデザインが魅力だ。背には、何か文字が書いてある。反対にして読むと、そこに書かれている文字は“我唯足知(われただたるをしる)”。意味は、“欲深い人は、何かを手に入れても決して満足なんてできないのだから、欲張らずに現状に満足しなさい”ということ。龍安寺のつくばいに記されたその有名な言葉を、逆さにして配した。
 
「この説教くさい言葉、大嫌いなんです。(お金を)使う時は使わんかい、ケチ臭い!と僕は思っているので。そんなこと言ってたら日本の経済ダメになる。消費というのはエネルギーで、消費しないという人はエネルギーがない。それで、我唯足知をひっくり返したんです」。
 
この着物以外にも、山口の作る織物はこうした念が強く込められている。京都グラフィーで展示されていた、田中泯が着て踊りボロボロになった着物もそうだという。
 
「田中泯さんは親友ですから、彼の衣装を全部やっているんです。彼は農業をやっているんですが、その勢いが半端じゃない。踊っているけれど農民なんです。彼は大地のエネルギーを吸い上げて生きていて、俳優としてもほかとは存在感が全然違う。コンクリートばかりを踏んでいる人間には出せない力がある。彼が何のために本気で農業をやっているのかというと、昔の踊りは農民から生まれているからです。毎日、あくせくと働いた農民が踊ったから、脚型が違うわけです。泯さんはそれをやるために、限界まで農業をしているんです。限界まで動かすと、自分の都合で脚は動かない訳ですよね。それを自分の中に取り入れたい。自分の作為が見えたらこんなに格好悪いことはないから、自分が踊るんじゃなく、身体が踊る。それを目指している訳です。僕が泯さんに衣装を作る時は、彼に日々脱皮してほしいと思って作っているんです。外に向ける衣装ではなく、泯さんの内側に向けて作っている。もっとおかしくなれ、もっと狂え。そういう思いで作っています。それが彼に対しての僕の大応援歌なんです。僕が作る衣装はそうやって、何かから守ってくれる素材だったり紋様だったりする訳ですが、今の安心安全な時代には当てはまらないのかもしれません。でも、衣というのは本来、外に向けるのではなく内に影響を与えるもの。限界を越えさせたり、重い使命を負わせるようなものが本当の衣だと思って作り続けています」。
 
和服を着ている人を見かけること自体少なくなった現代において、山口の作る衣を身にまとうには覚悟が必要だ。だが、それくらい本気で衣をまとうことも時に必要である。生地や紋様に込められたメッセージが、人生のエネルギーとなる衣。日本人のプリミティブな部分を山口は衣を通してこれからも探り続ける。

我唯足知を逆さに向けた、誉田屋源兵衛ならではの前衛的な浴衣。襟の部分の生地が違うのは、江戸時代のアイディア。布が貴重だった当時、仕方なく手ぬぐいなどある布を使って継ぎはぎをしていた着物からヒントをもらったデザインである。

 
 
山口源兵衛
1738年から続く、京都の老舗帯匠、誉田屋源兵衛の10代目当主。歴史について深く考えた豊富な知識や経験に基づくものづくりを大切にし、日本古来の生地の復活や、型を破る斬新な提案をし続ける。
 
◯ 誉田屋源兵衛
https://kondayagenbei.jp/
 
 
 

Photo Yuto Kudo Interview & Text Takayasu Yamada

 

This article is included in

Silver N°16 Summer 2022

Buy on Amazon

Related article