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Interview with
Daisuke Gemma (Creative Director)
about Fashion needs Music

Interview with
Daisuke Gemma (Creative Director)
about Fashion needs Music

洋服や音楽、多分野のインプットがあるから、 違うアウトプットができるんです


 

音楽とファッション、それぞれの目覚め

「自分の人生で何ができるのかを考えたとき、影響を受けていたのが藤原ヒロシさんだったんです」。
 
源馬大輔の仕事を一言で表すのは難しい。現在も続くサカイのクリエイティブディレクションに始まり、今は無き会員制の高級セレクトショップ、セリュックスのブランディングディレクション、国内外の重要ブランドを扱うアタッシェ・ドゥ・プレスの雄、プレッドPRの設立など、彼のこれまでの実績は挙げればキリがないが、その多様さゆえに彼を形容する適切な肩書きが見つからないのもまた事実。そんな型にハマらない彼の活動、そのルーツを尋ねたときに出てきたのが冒頭の言葉だ。
 
「最初は藤原ヒロシという人をDJとして知ったんですよ。そんな人が洋服もやっていいんだ、って若い頃に衝撃を受けたのを覚えています。自分の好きなことを仕事にするっていうのが今も僕のテーマだったりするんですけど、洋服が好きで、音楽が好きで、家具も好き。好きだとそれだけでモチベーションになるじゃないですか。だから、そういう気持ちが自分の原点なのかもしれないですね」。
 
世界を飛び回る合間に様々なイベントやパーティでミュージックセレクトも行う源馬だけに、彼をDJとして認識している人も少なくないだろう。現在ではハウスやテクノ、ディスコなど、主に四つ打ちを中心とした選曲が多い源馬だが、その音楽への目覚めはネオロカビリーという意外なものだった。 「子供の頃、友達の年の離れたお兄ちゃんがロカビリーのバンドをやってたんですよ。そのとき、“これだ!”と思ったんですよね。そこからはラバーソールを履いて、ボウリングシャツの袖を切って、ヴィンテージの501®に革ジャンを着たりしてましたね(笑)」。そこから音楽に興味を持ち、徐々に自分で選択して聴くことを覚えていった。「当時、ネオロカビリーが好きな人って、パンクな方に行く人と、ジャズとかに移行していく人とに分かれる傾向があって、僕は後者でした。格好は相変わらずヴィンテージジーンズだけど、高校生の頃にはデザイナーズにも興味が出て、そこにドリス(ヴァン ノッテン)のセーターを着たりとかね」。
 
触れるものすべてが新しかった10代のこと。微笑ましい話ではあるが、節操が無い感は否めない。しかし、夜遊びを覚えたことで、そんな雑多な彼の興味は、徐々に鋭さを増していく。「今でもやってるプラネットカフェっていうお店が地元にあったんですけど、そこにニューヨーク系の外国人のDJがよく来ていて。その頃からパラダイスガレージにも興味が出て、すごい頻度でレコード屋に通うようになりました」。 そんな日々を過ごしながら、20歳を過ぎた1996年に彼はロンドンへと渡ることになる。

 
 

衝撃的だった、英国でのいくつもの出会い

「その頃、自分の人生はこの先どうなるんだろう、っていうプレッシャーを感じていたんです。それで、何かが変わるかもと思って渡英してみたんです」。「不安でいっぱいだった」と彼は話すが、英国に渡ったことで彼のファッション観や音楽観は一気に深まっていく。そのきっかけとなったのが、名門セレクトショップ、ブラウンズとの出会いだ。同店でも取り扱いのあった旧メゾン マルタン マルジェラやジル・サンダーがメンズをスタートしたその頃、 源馬は当初客としてこのショップに通っていたが、日本人客が増えていたこともあって、誘いを受けて土曜日限定の店員として働くことになる。
 
「最初は英語なんてカタコトでしたけど楽しかったですよ。お店で掛かる曲もスタッフたちが選んでいたんですが、僕が音楽が好きだったこともあって、30枚ぐらいCDが入るオートチェンジャーと向かいながら毎日曲の流れを考えてましたね。当時はターンテーブルに触ることはまだあまり無かったけど、やってることはほとんどDJでしたね」。英国生活にも慣れ始め、今でも記憶に残る邂逅も数多く経験したという。
  
「仕事だけじゃなくて、パブなんかでいろんな人に会いました。知り合いに偶然紹介されたのがクリス・カニンガムだったり。すごいですよね(笑)。その中にアフリカ系の建築家、デイビッド・アジャイという人がいて、彼にはショップの改装もお願いしました」。コネクションの広がりに伴い、源馬は当時のロンドンの音楽シーンもより深く垣間見ることになる。そのきっかけとなったのが、初めて目の当たりにしたDJハーヴィーだった。「僕が地元にいたときは、ディスコとかダサくない? なんて思ってたんですよ。だけど、ロンドンでハーヴィーのプレイを見たときから、ディスコってヤバいな、に変わってました」。日本で耳にしたバブリーなサウンドやメジャーな旋律とはまるで違う、本物のディスコに出会ったことで、さらに音楽の世界へ没頭していった源馬。 
魅力的な出会いはさらに続く。
「ニューフォニックというレーベルが、クラブの起源と呼ばれれている“ザ・ロフト”というパーティをやっていたんですけど、そこのコンピレーションを聞いて、面白そうだなと思っていた矢先に、知り合いがそのパーティの主催者だったデヴィッド・マンキューソというDJをロンドンに呼んだんですよ。当然、僕も足を運んだんですけど、そこでかかってた『トリニダード』という曲が衝撃的でした。その曲の中で使われてるベルの音が、めちゃくちゃ自分に入ってくるんですよ。クラブってただデカい音をかけてるだけのところが多いけど、そこのダンスフロアは普通に会話ができるのに、高音が上から降ってくるような感覚で。要は、デヴィッドが音量だけじゃなくて、周波数まで徹底してるってことなんですよ。ハイエンドなサウンドシステムで聴くことの重要性をそのとき知りました」。

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