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COLUMN 
about New Tokyo
Kunichi Nomura

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about New Tokyo
Kunichi Nomura

俺たちは東京に住むということの意味を
再考しなければならない
PM 21:18 – 23:14
9th June 2021 Tokyo
From morning
6 cup of Americano
2 box of Marlboro gold soft pack

 
若い頃というのはどこか排他的だったりする。ナワバリ意識が強いというか、仲間意識が強いというか、他所者に対して敵対的な考えを持っていた。例えば小学校の頃は隣の学校が嫌いで、中学の頃は同じ区の中学は全て敵で、高校の頃は渋谷の周りの都内が全部敵だったりした。井の中の蛙大海を知らず、というけれど、まさしくそうで、小さい場所に止まっていると、大きく物事を眺めることができないものだ。
 
俺が東京という街を意識したのは何だかんだ高校の頃だったと思う。生まれも育ちも東京で、親戚も全員東京の江戸っ子として育ったので、それ以外を知らなかった。東京こそが普通だと思っていたので、この街に出てきたかったとか、それが夢だったという人に会うようになって初めて、へぇそんなにここはいい街なのか?と意識もしたり、逆に排他的な考えも持って、人の故郷をメチャクチャにすんな!と感じることもあった。いろんな人が東京に出てくるわけで、都内に住む人たちの割合でいえば外部からくる人たちのほうが人口は多いわけだ。それが寄ってたかって勝手なこと言ったり、したりして反感持つことがあったのだ。
 
けれど、それが歳をとるうちにいろんな人たちが集まり、新陳代謝を繰り返す中で、街の活力というかエネルギーが生まれるんだということに気づく様になったのだけれど。そう考えると、自分が若かったときのほうが東京のエネルギーというのは強かったと思う。ベビーブーマーの子供世代は人口が最多で、とにかく東京を目指す人が多かったから、活気があった。少子化が進んでいく中で、地元を離れたくないっていう若い人たちが増えてくると、東京みたいな街は死んでくる。コロナで都心離れと言われているが、これからもしかしたらさらに、街は大人しくなっていくのかもしれない。
 
東京の良さ、それは世界の大都市にも同じことがいえるかもしれないが、夜の人口が多いことだと俺はずっと思っている。地方都市にいても昼間はやることがある。お店やモールもあるし、友達と遊べる場所だってあるだろう。だけどやたら人がウロウロし、店が無数にあるなかで、よりどりみどりいろんな場所があって、不特定多数の人間と出会える東京の夜は、そこには存在しない。そしてそんな夜こそ、東京に住むことの醍醐味なんだと思う。なぜなら昼間、人は仮面を被って生きているからだ。大人になればそれぞれ名刺に書いてあるような会社とその肩書きの中で生きている。人と接する機会は限られた昼間の時間の中で、その枠から逸脱する機会など余りなく、被った仮面を外すこともない。ところが夜は違う。もちろん肩書きをチラつかすつまらない大人もたくさんいるが、それより自分自身をさらけ出す人のなんと多いことか。自分が仕事を始めて、ここまでやってこれたのは、夜に出会った人たちとの出会いだったと本当に思ってる。
 
俺が10代の頃、それはバブルの終わりではあったけれど、世の中がまだその余熱に浮かれていた時代だった。歳をとるだけ楽しいことがある、そして金も儲かる、どこかそんな風潮があるなかで、今考えるとみな随分と刹那的というか、明日のことなどどうでもいい的な生き方をみなしていたと思う。
 
高校生の小遣いだって今と違わないが、誰も貯金なんてする奴はいなかった。あったらあっただけ使う。何でも欲しいし、どこでも行きたい。将来のことより今だ、というのが当時の気風で、夜に繁華街に繰り出すとまぁ景気がいいというか、気前のいい年上がたくさんいた。苗字も分からず、昼間何やってるかも皆目わからない人たち。バーやクラブのカウンターでたまたま隣合っただけで、ずいぶんと酒を奢ってもらったり、その後食ったこともないような飯をご馳走になったりした。ちょっと昼間は会いたくないなと思わせる危なそうなおじさんから、怪しい姉ちゃん、年齢も何もかもがバラバラな人たちと出会い、人との付き合い方から何からいろいろと教わった気がする。それこそ最初は酒の種類やご飯から、危険回避術まで何もかも。昼間の出会いとはまったく違う、生きてくために必要な実践的なもの。
 
そして仕事をするようになってからはそのときの出会いが俺をたくさん手助けしてくれた。それはかつて住んだロンドンや頻繁にいっていたニューヨークのような大都市でも同じことだった。俺だけが特殊なわけじゃない。誰だって気に入った女の子と始めて話し込んだのは夜の食事や酒の席だっただろうし、仕事でも相手の以外な面を知ったり、アイディアを話し込んで次につながるきっかけが夜だった経験があるはずだ。俺たちは夜の子供なのだ。繁華街が公園で、バーやクラブはそこにある鉄棒や砂場と一緒なのだ。初めて会った近所の子供と、時間が経つのも忘れて一緒に遊び、仲良くなる。大人になり俺たちはその遊ぶ場を昼の公園から夜の街に変えただけなのだ。
 
そんな機会、東京に住むということの最大の売りを俺たちはコロナで失った。人の交流が途絶えたわけではない。デジタルで繋がっていたり、会いたい人とはちゃんと機会を作って会うこともできる。けれど、無計画に無作為に街をほっつき歩くことで生まれる偶然の出会いが失われたのだ。俺はずっと都心の近くに住んできた。どこの繁華街からも歩こうと思えば歩ける距離の街に、無理して高めの家賃を払って暮らしてきたのは、偶然の起こりやすい都会の夜から近くに身を置きたかったからだ。そんな俺でさえ、コロナになって都心に、東京に住むことの意味を何度も考えた。夜のない東京に住む意味はあるのか?毎日あった打ち合わせは半分はリモートにして、どうしてもというものだけを数日に集約すれば、少し離れたところに住んでも十分に機能する。地方移住を考えている、2拠点生活にすでに舵を切った友達と話すと結局のところ理由はそれだった。地方に住みたいわけでも、庭のある家に住むのが夢だったわけでもない。ただ、東京の夜がないのであれば、無理してそこに住む理由が無くなったという消去法なのだ。
 
どちらにしても、俺たちは東京に住むということの意味を再考しなければならない時期に来たのかもしれない。そもそも振り返ってみれば観光客でごったがえし、外人相手の土産屋のようなわけのわからないものを売る店が増え、誰が何の意図を持って考えたのかさっぱり見当も付かない再開発という名の金太郎飴のようなビルばかり建つ東京についてをだ。個人的にも俺は夜以外で東京が持つ素晴らしさを、もう一度見つけなきゃならない。再開発に否定的過ぎて、どこか否定的になっていた自分をオープンにしなきゃいけない。そして俺だけじゃなくこの街に住むもの全てが、東京についてちゃんと考えるべきだ。こういったら言い過ぎかもしれないが、俺たちの東京はある意味、戦後の東京なのだ。それまで価値があるとされた都心は、人影が減り、家賃の高さと相まって空きテナントが目立つ街となってきた。コロナという爆撃で価値観が変わってきたこの街を、俺たちはこれからどうしたいのか?昔の東京を語ったり、こういうものだという話はもう終わりにしよう。もう同じ日常は2度とは帰って来ない。過去から続く東京に囚われるのではなく、これからの東京を新たに作る。再発見じゃない、再出発。来年の今頃、東京を語るときに失われた何かを嘆くより、芽吹いてきた新たなものについて語れるように。今こそがそのときを始めるための出発点なんだと、俺は信じる。
 
 
野村訓市
1973年東京生まれ。編集者、ライター、内装集団 Tripster主宰。J-WAVE『Traveling Without Moving』のパーソナリティも早、7年目になる。企業のクリエイティブディレクションや映画のキャスティングなど活動は多岐に渡る。
 
 

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