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COLUMN about Daily Chic Kunichi Nomura  
お洒落さんというのは流行を作る人かもしれないが、
流行を追う人じゃないんだぜ。

COLUMN about Daily Chic Kunichi Nomura  
お洒落さんというのは流行を作る人かもしれないが、
流行を追う人じゃないんだぜ。

PM 20:16 – 22:09
8th March 2021 at Tokyo
From morning
5 cups of Americano
2 box of Marlboro gold soft pack

 
世界中にコロナの嵐が吹き荒れ始めてから1年以上が経った。日常がありえないくらいに変わったなかで、最も影響を受けたものの一つがファッションだと思う。普通に景気の悪い話しかない。服が売れないからブランドが停止する、店舗が潰れるから、広告費が削減されたから撮影がないとか、予算が全然ないとか。こうして今書いている雑誌という紙メディアも根本からなにか考えないと存続できないんじゃないかと皆話している。
 
服が売れないというのはなぜなんだろう?もちろん緊急事態宣言で家に篭ったり、リモートワークが進んで出社や登校しなかったり、夜も食事に出かけたり飲みに行けないわけで、必要な服の絶対量が完全に減ったのはわかる。だから仕事着から着飾る服まで1年間1着も買っていないという人もいると思う。そして家でのんびりするときに着心地のいいスウェットとか、ウォーキングやキャンプで使える機能服みたいなのが逆に売れているというのも理解できる。
 
けれどもそれだけでは限界がある。そんな中でユニクロみたいな服ばかりが売れてるというのはなんだかつまらないなとも思う。安いし高機能というのはきっとそうなんだろうけど、探せばその値段で買えるものなんて腐るほどあるからね。古着でもなんでも。要は皆ろくに調べもせず、時間もかけず、右向け右で安くてクオリティが高いという服を楽して買ってるということになる。服というのがそんなに愛情をかける対象にならなくなってきたのかもしれないが。俺はどっかの国の人民服みたいに、みんなと一緒にそんなものを全身着たくない。かといってハイブランドにZARAの服を合わせます、それがリアルなどとのたまうインフルエンサーみたいな着方はもっとしたくない。
 
ファッションという言葉は流行という意味を含んでいるので、コロナ禍において随分その意味というか価値を下げたなと思う。最近の流行なんて抗菌くらいしかなかった気がするし、ファッションは日々の生活に張りや元気をもたらしてくれるものだけれど必要不可欠なことでないということを人々が感じるようになってしまった。世界がこんな状況なのに半年前に発表された今季のトレンドとやらを着る気が、まぁ起こらないのが普通だと思う。唸るほどお金がある人たちには関係のないことだろうけれど。これからどんな形でショーが行われるのか?それはそれで興味はあるが、今までと同じには絶対にならないだろうと思う。
 
こういう時期というのもあるが自分も服についていろいろと考えた。俺は服が好きで、自分なりのこだわりはあるのだけれど、結局ファッションは好きじゃないんだなというのを再確認した1年だった気がする。流行りにも新しいコレクションというのにもあまり心が躍らないタチだが、今年は特にそうだった。じゃあ自分が好きな服というのはヘリテージが好きでそれだけ着るのか?とか流行を全て無視しているわけではないけれど、自分が好きなのはファッションではなく、お洒落なんだということを再認識した。
 
俺は「お洒落」という言葉が好きだ。なぜならそこには洒落という言葉が入っているからだ。お洒落というと、気の利いた身なりをするとか、華やかなものをまとうという意味を表す。けれどそこから「お」を取り除き、その語源である「洒落」だけに注目すれば、それは気の利いた文句という意味から、冗談、戯れという意味になる。それってすごく素敵なことじゃないか?自分にとって気が利いてると思うものが、ちょっと笑えるユーモア性もあり、それが結果垢抜けていることに繋がるということなのだから。
 
そうやって考えるとコロナまでのファッションというのは流行であってつくづくお洒落ではなかったと思う。発売日に世界中で一斉に売り出されるものを買ってその時に着たり、金さえ積めば絶対に手に入るレアなコラボものとかを身につけることは、ファッションではあるかもしれないがお洒落ではない。そしてそれは着ても見ていても笑えないから洒落もない。人に見られること、どう評価されるかに気を取られすぎて、どこか服はシリアスになり過ぎたのかもしれない。笑いというかユーモアのない服たち。
 
自分の話ばかりするのもなんだが、それしか書けないから勘弁してもらうとして、自分は若いころはもっと流行を追いかけていたと思う。つまりファッションがもっと好きだった。流行りそうなものを誰よりも早く手に入れて着たりして、すごいと言われるのは自分という人間を認められたというか、すごい人と言われたような気がして、表には出さなくても内心ほくそ笑んだものだった。けれど流行もクソもない民族衣装と裸族のような方々に囲まれた20代、好きな服を着ながら仕事に追われた30代を経て、40代に入った頃には俺にとって服とは完全に追っかけるものではなくなった。気に入ったものしか着ないとか、知り合いが作ってるものを着ることでサポートできたらしたいという理由が服を選ぶ理由になった。
 
それ以外じゃまた古着ばかりを着るようにもなった。1ミリほどのサステイナブルな理由と、どっかのマーケティングになるような服を着たくないという小さな反発心。古着を買ったりもしたが、昔買ってずっと着てなかったものを段ボールの中から引っ張り出して着たりすることも格段に増えた。「よくこんなものまだ取っておいたな」「くだらねぇ(笑)、あの一発屋のバンドTか!?けど懐かしいな」。昔のパロディ土産Tにしろ、バンドT、映画Tにしろかつて数ドルだったものが今じゃとんでもない値段で売っていたりするが、基本ちょっとくだらなくて見た人が笑ったりするもの。けれどそこから話しかけられて一緒に飲んだこともあるし、コミュニケーションのツールのために着たわけではないけれど結果そうなった。そうして洒落でやったことが自分のお洒落になった。歳をとってからはこんなんでいいと思う。真剣に格好をつけてもしょうがないし、他人にどう思われようとも、自分がニヤニヤできればいい、それが洒落なのだ。
 
洒落といえば、俺には一緒にパーティでDJしたりする仲間がいるのだが、パーティの名前をつけようというときに、マイルドバンチと名付けた。昔、ブリストルで生まれたサウンドシステムのチームにワイルドバンチというグループがいた。後のマッシヴ・アタックで、音はもちろん超絶カッコいいのだが、彼らの名前は映画にもなったウェスタン時代のならず者の名前で、ワイルドな野郎どもという意味で、音とちゃんとあっていたのだ。俺たちはもう歳もとったし、なにかあったらすぐ謝ろう、ミスを犯したら誤魔化そう、ニコニコして、がモットーだったし、音だってプロの彼らほどではないので、マイルドと名付けた。幸い本家もくだらないと笑って許してくれたし、洒落が効いてると好評だった。気をよくした俺は、いつもノーギャラでプレイしてくれる周りのDJ達へのお礼としてスウェットを作ってあげるようになった。アメリカで買えば数ドルの一番安いボディを使ったお土産スウェット。洒落で作り始めたのだが、いつのまにかそれを欲しさにDJをタダで受けてくれる外タレもでてきて、ちょっとしたわらしべ長者的なことになった。
 
ヴァージル・アブローと忘年会をしてスウェットを作ったとき、客のアジア人から100万出すから売ってくれと言われた。俺が断ると「もっと高いのか?」と言われた。「違う違う、これは洒落で作ったものでDJにあげるだけの決まった枚数しかないし、売り物にする気もない」というと相手はびっくりした顔をしてフロアに消えていった。最近は何でもかんでも買えてしまう。お金さえあればどんなレアなものも見つかり、値段が付く。この世には買えないものがあったほうがいいのだ。そして値段が高けりゃいいってものでもない。いいか、悪いか、それはそれを持つ人間が決めることだ。
 
コロナで世の中つまらなくなった。好きなときに好きなところにも行けないし、朝まで友達と吐くほど飲むことも、踊ることもできない。そしてこれが一体いつまで続くのかわからないところが気が滅入るところだ。だからせめて自分を正気に保つために、自分がハッピーでいるために、自分を喜ばす何かをしよう。流行りも他人の目もどうだっていいじゃない?洒落を効かせてクスクスしよう。それでお洒落さんになろう。そして、お洒落さんというのは流行を作る人かもしれないが、流行を追う人じゃないんだぜ。
 
 
野村訓市
1973年東京生まれ。編集者、ライター、内装集団Tripster主宰。J-WAVE『Traveling Without Moving』のパーソナリティも早、7年目になる。企業のクリエイティブディレクションや映画のキャスティングなど活動は多岐に渡る。

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