Loading...

about Respect Time
Kunichi Nomura is a Japanese actor, writer, DJ, interior designer, and radio personality from Tokyo, Japan. For Wes Anderson's Isle of Dogs, Kun is credited as co-writer and casting director, while lending his voice for the character of Mayor Kobayashi.

about Respect Time
Kunichi Nomura is a Japanese actor, writer, DJ, interior designer, and radio personality from Tokyo, Japan. For Wes Anderson's Isle of Dogs, Kun is credited as co-writer and casting director, while lending his voice for the character of Mayor Kobayashi.

物心ついてからこんなに家に居たことはない、そんな春を過ごした人もたくさんいると思う。当たり前が当たり前でないという現実を知り、何が本当に必要なもので、無駄がいかに多いかと気づいたり、またその逆に無駄だと思っていたものにどれほど意味があることかと気づかされたり。普段できなかった片付けをしていた。何しろ時間ならたんまりとあった。飲みにも行かず、買い物にも行かず、ましてや旅行などにも当然行かない。ストイックなまでに家に居ると、オンラインで色々と必要なシェルフなどを買い込み、夜な夜なそれを組み立てて、そこから部屋の片付けに入る。まぁよくもこんなに溜まったものだというくらいのTシャツやらスウェットがあった。あまりというか、ほとんど新品の服を買うことがなく、昔から持っていたものが古着化したものと、昔買った古着がビンテージと化しているものばかりで、その山を前に途方に暮れながら、まぁ一枚ずつ畳むとするかとTシャツを広げる。すると最初の一枚目から手が止まる。「これは海の家をやっていたとき、その最初の年に着てたやつだ」「これはアメリカに住んでいたときに、フットロッカーで買ったジョーダンとスパイク・リーのTシャツじゃないか。一緒に買いに行ったデイヴはどこで何をしているのだろう」一枚、一枚にそうした思い出が蘇る。ライブを見に行って買ったツアーTシャツや映画Tは今や、ビンテージとしてえらい値段になっているものもたくさんあった。会場で15ドルとかそこらで確か買ったはずのものが、いつのまにやら数百ドルになっているらしい。時の流れの速さと、過去と今を繋ぐ線の間に起こった様々な出来事を考えると呆然とする。結局Tシャツを片付けるだけで1週間くらいかかった。コロナで変わった日常で、結果的に良かったと思える数少ないことの一つがこの片付けだった。断捨離とは全くならなかったけれど。
 
 
自分の持ち物を見ていて、気付いたことがある。それはどれもが、大量生産の中で生まれた、当時は無価値だと思われていたものばかりあるということだ。高校のときから履いているリーヴァイスの501や、チャンピオンのリバースウィーブのスウェット、ヘインズやフルーツ・オブ・ザ・ルーム、スクリーンスターのボディのTシャツ。どれも新品のときに買ったものもあれば、そのときから古着だったものもあるが、もともとは手作りで作られたわけでも、手に入らないような素材で作られたわけでもない。昔、テキサスの高校に通ったときに、初日に張り切って501のXXを履いていった。それこそが自分が持つ、最高のオシャレ着であり、大事なものだった。受けは最悪だった。「お前の実家は貧乏なのか?」「そんなボロいの履いて、リーヴァイスだぞ」「それは仕事着だ」。寄ってたかってラングラーを勧めてくる。カウボーイが履き、ロデオのオフィシャルスポンサーになっていたラングラーこそ、高品質のオシャレなデニムとそこではなっていたのだ。どんなにリーヴァイスがレアなもので、格好いいかを説明しても無駄だった。俺は自分が想像していたアメリカが実際は違うというのをそのときに初めて実感したような気がする。俺が501に認めていた価値というのは世界共通でも、普遍的なものではないということを知ったそのときに。
 
 
元の価値は大したことがなくても、やがて時が経ち、そのものだけがもつ表情を持ち得た時に価値というものはその姿を変えてくる。もちろん失われてしまった技術、もはや同じものを作ることができないというものも、その価値は大きく変わってくる。その時にしか作られない展示会でのTシャツや、ツアーTもそうだ。ただ、普通の作業着だった501は、大量生産された中で残った時代、時代のものにはそれを認めた人たちの間では、生まれた当時想像もつかなかったような価値が生まれてきた。あの時代の織り機で、あの染めじゃないと生み出せないもの。そしてそこに流れた時間、そこにこそ価値がでてくるのだ。どんなに同じものを揃えて作っても、リプロダクトの製品がかなわないのはその点だ。時間。その物が経てきた時間、そして自分がそのものと出会い過ごしてきた時間が、そのものの価値を、世間がどう思うかは抜きにして、自分がどう思うかの価値を高めていくのだ。
 
 
僕らが古着、それもビンテージと呼ばれるものにハマったのは90年代のことだった。50年代製、60年代製と呼ばれるデニムや革のライダースを見て、よく理解もできなかったが、ただただその佇まいが素敵だと思ったものだった。どんな人が着ていたのか?どんな紆余曲折があって日本に辿り着いたのか?縦落ちしたデニムの破れに、シワの入った革に勝手な物語を想像したりした。あのとき手に入れたそれらのものはそこからさらに30年の年を重ねた。この世に生み出されてから自分の手元にくるまでの時間よりも、自分のもとで過ごした時間のほうが最早長くなってきたこれらの服に、値段などつけることはできない。そこには汗と涙にまみれた思い出がこびりついているのだから。そして90年代に新品で買い、そのまま愛用してきたものも立派なビンテージとなった。時計やその時代を映し出した写真等のアートはもとより、モノとしては安いTシャツも、スニーカーも。当時の自分たちに教えることができたら、びっくりするに違いない。「そんな高いものになると踏んで買ったのではない」と。でも、そこにこそモノの本質が潜んでいるのかもしれない。本当に自分が気に入ったもの、欲しいと思ったものを買い、それを長く愛用していく。いつかそれがビンテージとして呼ばれるほどに。そして本当はそういうものしか必要ではないはずなのだ。
 
 
今という時代はとても便利な時代だ。オンラインででも簡単になんでも揃い、そして安くてもいいものがたくさんある。だからこそ余計なものを買いがちになってしまう。限定だから、人気の人が手がけているから。そんな理由でろくに考えもせず手を出すもので、未来に自分のビンテージとなるようなものが一体どれだけあるだろう?部屋の片付けをしていて気付いたことがある。それは時代をさっと写すファッションアイテムのようなものが殆どないことだ。あるのは個人的に好きだったり、サポートしたいと思ったバンドやアーティストのものか、自分がいいと思った大量生産品だが大事にしたいと思ったものばかり。途中まではなんとなくとっておいても、10年、20年の壁を破れずに消えていったもののなんと多いことか。コロナの影響でファッション業界も大きく変わりそうな気配がしている。昔ながらの慣習で、年に何度もショーをし、テーマに合わせた膨大な点数のコレクションを半年も前に発表する、そんな形がいよいよ変わろうとしている。時間をかけ、本当に着たいと思うものを、着れるシーズン近くに発表するというブランドも出てきた。服やものの価値を決めるのは、結局のところブランドやデザイナーではなく、身に着ける消費者である自分たちだ。新しく変わっていくだろう世界で、これからまた自分の人生をかけて、一緒に過ごしていく未来のビンテージに出会いたい。そしていつかまた断捨離だと部屋を片付けるときに、これから出会うものたちで部屋が満たされていたとしたら、それはそれで素敵なことだ。
 
 
野村訓市
1973年東京生まれ。編集者、内装集団Tripster主宰J-WAVE『Traveling without moving』のパーソナリティーも務める。ウェス・アンダーソンの映画『犬ヶ島』の脚本、キャスティングに関わったことも記憶に新しい。

Related article