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Color of Jackson Pollock

Color of Jackson Pollock

Denim Jacket ¥120000 by Sacai × Jackson Pollock Studio (Sacai)
ジャクソン・ポロックの色
ジャクソン・ポロックとその絵

 
1912年から1956年の44年間、アメリカに一人の男が生きていた。名前はジャクソ ン・ポロック、職業は画家。 彼が描いた絵を見たことがある人も多いだろう。縦横2メー トルを超える大きなキャンバスに、跳ね飛ばされた塗料が幾層にも重ねられていく。こうした絵はキャンバスの「全て=all」を「覆った =over」作品として「オールオーヴァー絵画」と呼ばれた。  
 作品に対する評価はさまざまだ。 一方では、20世紀アメリカで生まれた最も偉大 絵画と評され、他方では、めちゃくちゃに描かれた単なる落書きと評された。単なる絵の具の絡まり―20歳の時に初めてポロックの絵を目にしたとき、確かに私もそう思った。だが不思議とその絵が脳裏から離れず、 そのときから今日までずっと彼の絵について考え続けている。
 
 

sacai 2019AWのポロック

 
 ポロックに魅了されるファッションデザイナーは多い。たとえばマルタン・マルジェラは、スニーカーの先端部分に赤や青、白色の塗料を、まるでポロックが跳ね飛ばしたかのようにつけたデザインを発表している。アレキサンダー・マックイーンもその一人だ。彼は1999年に観衆の目の前で、白いドレスを着たモデルにロボットが塗料を噴射して、ポロックの絵のような模様をつけていくという作品を発表した。 他にもディオール・オム、ドリス・ヴァン・ノッテン、ミハラヤスヒロなど、ポロックにインスピレーションを受けたコレクションを発表しているブランドは枚挙にいとまがない。
 そして今年、ファッションブランドサカイが、2019AWコレクションにおいて、ポロックをモチーフにしたデザインを発表した。グレーを基調としたスカートやオーバーコート、ブーツなどに、跳ね飛ばされたイエローやブルー、ホワイトなどの色がプリントされている。これは確かにポロックの筆致だ、と思った。これまで他のブランドから発表されたデザインは、いずれも「ポロック風」の模様をつけたもので、ポロックの絵そのものをプリントしているわけではない。それゆえ今 回サカイが発表したデザインは、ポロック直筆の塗料の飛び散りを模様としたという点で 新しい。
 だが、はて、こんな色調の作品はあっただろうか…?と考えこんでしまった。一応のところポロックの作品はすべて頭に入っているはずだが、こんな色調の作品は記憶にない。そこでコレクションの説明文を読んで、なるほど、と思う。これは、ニューヨーク州にあるポロックのアトリエの床をプリントした衣服なのだ。

ポロックの絵を生んだ床

 私がポロックのアトリエを訪れたのは2015年の夏のことだった。アトリエは、ニューヨーク州マンハッタンから東に伸びるロングアイランド島のさらに最東端、イーストハンプトンにあり、現在は研究所や展示室として使われている。海にせり出したこの半島は、ニューヨーク州の中でも有数の高級避暑地であり、プール付きの別荘やブランドショップが立ち並ぶエリアだ。
 街の中心地から少し離れた緑豊かなエリアに、ポロックは妻であり同じく画家であったリー・クラスナーと1945年から暮らしていた。青々とした草が一面に広がる庭の端に、木造の住居とアトリエが建てられている。もともとは農民や漁師が使用していた家で、ポロックたちは釣り道具などが納められていた納屋を改築してアトリエとしていた。
 
 アトリエの内部は15畳ほどの板張りの空間が広がっている。天井は高く、大きな天窓が二箇所についている。現在つけられている蛍光灯は当時は無く、ポロックは窓から降り注ぐ太陽光の下で作品を描いていた。キャンバスを床に敷いて、その周りを歩きながら塗料を撒き散らすという描き方をしていたため、床の木板にはキャンバスからはみ出した塗料がおびただしく残っている。ポロックは1946年からおよそ7年間、ここで作品を制作した。この床には、その7年間のすべての色が堆積しているのだ。
  
 床のところどころには、キャンバスの四角形の跡が残っている箇所もあり、色を手がかりに、そこでポロックがどの作品を描いたのかを特定したい欲求にかられる。クロムイエロー、ヴァーミリン、インディゴ、これは1952年の《ブルー・ポールズ、No. 2、19 52》という作品に使われた色かもしれない。レモンイエロー、ターコイズ、パールホワイト、これは1950年の《インディアンレッド の地の壁画》に。ブロンズ、モスグレイ、シルバー、これは1949年の《No.8、1949》に、等々…。 確かにこの場所で、数々のオールオーヴァー絵画が生み出されたのだ。
 


 

リー・クラスナーと共に

 
 だがこのアトリエは、ポロックの色だけで彩られているわけではない。1956年にポロックが交通事故で死去した後は、妻のクラスナーがこのアトリエで制作をしていた。クラスナーもポロックと同じように抽象絵画を制作したが、ポロックとは違ってキャンバスを壁にかけて絵を描いていた。そのためアトリエの白い壁には、彼女が使用した色が垂れ落ち、雫となった形で残されている。ナイルブルー、ビリジアン、マゼンタ、ワインレッド、プラム、キャロットオレンジ…クラスナーの色は、ポロックの色に比べて鮮やかであるのが特徴だ。床面をポロックのややくすんだ色が彩り、壁面をクラスナーの鮮やかな色が彩る。その光景を見た瞬間、確かに二人がわずかな期間ではあるものの、この場所で寄り添うように生きていたのだという想いが体を駆け巡った。
 
 ポロックは非常に寡黙な作家で、自らを積極的に売り込むことは少なく、自身の作品について多くを語ることもなかった。そんなポロックを影から支え、稀代の作家へと押し上げたのはクラスナーであったと言われる。彼女はポロックをコレクターや批評家たちに紹介し、その魅力を伝えた。また、制作中の姿を写真や映像に残すように勧めてもいた。こうして撮影された写真や映像によって、ポロックの制作中の身振りに関心が集まり、「アクション・ペインティング」という用語が生み出されるに至っている。さらに、クラスナーと付き合ってから、ポロックの作品の中にクラスナー由来の明るい色が使われ始めたことも指摘されてきた。
 
 だが1953年以降、ポロックは制作をほとんど止め、アトリエの床もメゾナイトの板で覆ってしまった。ポロックの死後、その何もつけられていない真新しい床の上にクラスナーは立ち、1984年に死去するまでアトリエを使用した。その後、1987年からアトリエの大規模な保存修復作業が行れ、床を覆っていた板を取りはずしたところ、ポロックの制作の痕跡が完全な形で残されていたことが判明したのだった。  
 ポロックは晩年に使用する色数を徐々に減らし、1951年以降は黒一色の作品に集中して取り組んでいた。そのため、床の上で一番面積を占めている色は黒である。黒一色で生涯を閉じた画家の痕跡に、壁面のクラスナーの明るい色彩が今も寄り添い続けている。
 

 
 
 
筧菜奈子
1986年生まれ。美術史研究者、作家。京都大学大学院修了、博士(人間・環境学)。著書に『めくるめく現代アート』『ジャ クソン・ポロック研究』『日本の文様 解剖図鑑』。

 
 
 

Text&Illustration Nanako Kakei

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