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Art and Time Photography & Art
時間に対して向き合った写真とアート作品を知る

古今東西、数々の作家が「時間」をテーマに作品を発表してきた。人々の生活において重要なものである時間。時間に追われて生きるのか、時間を操って生きるのか。様々な感情を巡らせるこのテーマに対して作家が作品を発表することは必然的といえる。
一瞬の出来事を収める写真もまさにそうで、ストレートフォトグラフィーは、切り撮られたその瞬間を観ることで感情が揺さぶられるもの。アートもコンセプチュアルに時間を題材にした作品は多い。そういった時間と密接な作品を鑑賞することは、時間と向き合うきっかけにも繋がるはずだろう。PART6では、そんな時間を捉えたストレートフォトグラフィーとアートを紹介する。

Art and Time Photography & Art
時間に対して向き合った写真とアート作品を知る

古今東西、数々の作家が「時間」をテーマに作品を発表してきた。人々の生活において重要なものである時間。時間に追われて生きるのか、時間を操って生きるのか。様々な感情を巡らせるこのテーマに対して作家が作品を発表することは必然的といえる。
一瞬の出来事を収める写真もまさにそうで、ストレートフォトグラフィーは、切り撮られたその瞬間を観ることで感情が揺さぶられるもの。アートもコンセプチュアルに時間を題材にした作品は多い。そういった時間と密接な作品を鑑賞することは、時間と向き合うきっかけにも繋がるはずだろう。PART6では、そんな時間を捉えたストレートフォトグラフィーとアートを紹介する。

The Persistence of Memory
記憶の固執 ,1931  Salvador Dalí
Photo alamy
時間を視覚的に表現した画家たち

サルバドール・ダリが描いた作品の中で最も有名なものが、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵する「記憶の固執」という作品だ。子どもの頃からよく見かけていた絵だったから、それが極めて小さい作品であったことにまず驚いてしまった。同時にその精密機械のような筆さばきで描かれた世界に一気に引き込まれてしまったのだが、なんといってもぼくの眼を惹きつけたが、木にダラリとぶら下がり、溶けて柔らかくなったような時計であり、この絵こそ視覚的に「時間」というものをアートに取り込んだ筆頭格ということになるだろう。
 
 1931年に制作されたこの油絵は、ダリがまだ27歳の時の初期作品で、現実にはあり得ないモチーフを組みあわせることで、非現実的な絵画を制作したシュルレアリスムの代表作として知られてる。欧米でも、「柔らかい時計」とか「溶ける時計」と呼ばれているほどなので、この絵の主役はやはりなんといっても時計なのである。このソフトな時計に関して、ダリは「ガラ(ダリの後の奥さんとなる人)がキッチンで食べていたカマンベールチーズが溶けていく様子からインスピレーションを得た」とコメントしているが、自身のアイデンティティを最もよく表現した傑作として名高い作品だけに、もちろんそんな単純なものではないはずだ。
 
 この絵には3つの柔らかな時計と、指針が蟻に変わった茶色の時計が描かれているが、よく見るとそれぞれの時間が異なっている。ある専門家によると、この絵はダリの夢の時間の状態を描写していて、一般的に夢がそうであるようにこの絵もまた時空のひずみを象徴しているという。現在の時間や過去の時間、そして未来を同じ画面に描いているとされ、確かに時間の流れのない夢の世界という言い方が、「記憶の固執」を説明するのにもっとも本質を突いた見方なのかもしれない。
 
 一方、ダリよりも一世代上で“静物画の画家”として知られるイタリアの画家ジョルジョ・モランディの場合はどうだろう。自分の小さなアトリエに籠り、似たような静物画を飽くことなく、40年以上も描き続けたことで知られる一風変わった画家だ。ダリやピカソが人を驚かすような前衛的な絵を残すなど、様々な様式が目まぐるしく誕生した20世紀の芸術の流れからは距離を置きながら、この画家は独立独歩、まるで時間が止まってしまったかのような静寂に満ちた絵を延々に描き続けたのだ。
 
モランディの作品は、淡いベージュやグレーや乳白色を使った何の変哲もない瓶や水差しを描いた静物画で、しかも背景は一切なにも描かれないというなんとも奇妙なものなのだ。1890年にボローニャに生まれたモランディは、美術学校を出た後、地元の小学校においてデッサンの教師となる。そして40歳からは母校で版画を教え始め、66歳になるまでその職を続けたことで生活を支え、フォンダッツァ通りに面した薄暗いアトリエにおいて、自身が信じる小宇宙的芸術を求道者のごとく探求し続けたのである。

Still Life,1952  Giorgio Morandi
Photo alamy

 
 
 ダリのような芸術家特有の強い主張といったものが稀薄に見えるものの、その一方でこの画家でしか表現できない〝普遍性を帯びた美しさ〟が感じられるのだが、評価されずともそのことを延々に追求していたとすれば、やはりこの孤高の画家の揺るぎない信念がなくては生まれなかっただろう。同じように見える絵であっても、配置を変えたり、ボトルを着色したりと、同じ容器が繰り返していてもそれぞれの作品に個性を持たせているのだ。それゆえ、自らが生み出した様式に磨きをかけるかのように、自分の全生涯をかけて到達していった凄みが、モランディの静かな作品からはひしひしと伝わってくるはずだ。
 
 

時を取り入れたアート

 ほぼ同じ作品を延々と描き続けたのはモランディだけではなかった。そのような極端ともいえる芸術へのアプローチをさらに純化させ、推し進めたのが日本人アーティストのOn Kawaraだ。漢字では「河原温」と書かれるこのアーティストは、早い段階で日本を飛び出し、1965年以来ずっとニューヨークを拠点にしてアートの制作を行なっていた。2014年に亡くなってしまったOn Kawaraだが、生前のこのアーティストの素性や素顔はほとんど知られていないという、現代において信じられないほど謎に満ちたアーティストなのである。

Today  On Kawara
Photo alamy

 
 
 実はぼくがまだニューヨークに住んでいた頃、アートギャラリーのとあるパーティー会場で、誰からともなく「On Kawaraがここにいるらしい」という囁きが聞こえてきた。とっさに「あの人かな、いやもしかしてあの東洋人かも」と見回したものの、結局その姿を特定することができなかった、そもそも顔を知らなかったわけだし…。聞くところによると、Kawaraという人は自身の個展のレセプションであっても会場に現れることがなかったそうで、それほどニューヨークのアート界においてもミステリアスな存在であり、今ネットで検索しても彼の若い時の写真が一枚出てくるだけでそれ以外はまったく見当たらないほどだ。
 
 そのOn Kawaraの代表作として知られるのが、『Today』と題された日付絵画のシリーズである。リキテックスという乾きの早いアクリル絵具を使い、黒やグレーや青や赤といった単色に塗られたキャンバスに、例えば、[MAY 1,1989]とだけ特定の日付が白抜きに描かれているだけといういたって素っ気ないものだ。このシリーズは1966年1月4日から始められ、亡くなるまでの48年間に渡って途切れることなく継続されたのだった。Kawara自身によってすべて手作業で制作されていたのだが、もし同日の夜中0時までに完成しなければ、その絵は破棄されなければならないという厳格なルールを定めていたという。
 
 一応断っておくが、『Today』は毎日描かれていたわけではなく、それも旅先のアトリエでないところでも制作され、英語が母語でない国で制作される場合は、その国の言語を使って描かれていたりした。加えて、その日に完成した作品を収納するための厚紙を使っての専用ボックスも同日に必ず作られ、箱の蓋の内側にはその日に入手したニューヨーク・タイムズなど地元で買いもとめた新聞の切り抜きが貼られていた。つまり、その日に起こった事件や出来事を日付絵画と相互作用させるという仕掛けが施され、同じように見えてもそれぞれがまったく異なるものであったのだ。
 
 このシリーズが生まれた背景には、60年代中期にニューヨークを中心に隆盛していた文字や数字を多用した概念的アートの潮流、つまり「コンセプチュアルアート」の影響があったと言われているが、兎にも角にも、ほぼ同じような作品を半世紀に渡って制作し続けたことが人々を驚かせたのである。人前にほとんど姿を現さず、ある意味自分の存在を消し去ろうとしたこの“謎”のアーティストに対する評価は、やがて時が経つにしたがってグローバルレベルで高まっていったのだが、まさに時間が生み出す価値というものを早い段階から分かっていた芸術家だったと言えるだろう。

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